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ホームレス生活


ホストを辞めてからの僕は、元々引きこもりがちだったこともあり、仕事をするでもなく趣味があるわけでもなく、ずっと女性からお金を貰いながら自堕落な生活を過ごしていた。起きる時間も寝る時間も特に決まっておらず、養ってもらっている情けなさや、相手の女性の気持ち、そして自分の未来の事から目を背けたくて、起きている間は常に大麻とアルコールで脳を紛らわせて暮らしていた。そんな生活でもそれなりに楽しかったし、幸せだったと思う。

そんな僕が家を解約してホームレスになろうと思ったのは、やっぱり女性関係のトラブルが原因だった。金銭的な施しを繰り返し受けていくたびに、僕の事も、僕の家も、自分の所有物かのように扱われる事に嫌気が差したのだった。

「それが嫌なら自分で働いて自分で生活費を払えよ」と言われたらそれまでなのだが、自分の家さえ無ければ特に支払いもないし、食事は人に奢って貰えばいいし、家は泊めて貰えばいい。その人のことが嫌になったら別の所に逃げたらいい。そんな安易な考えで今の生活を始めようと思った。

2022年の10月から僕には家というものがない。
家を解約する時の家具の処理や退去費用等を全て面倒を見てくれた女がいた。そして家を解約して旅に出る時にも、まとまった旅の資金を持たせてくれた。僕と一緒に居たいという理由でお金を払う女性は何人かいたが、僕の現状や今後の事を案じて、僕を自分の所有物にするでもなく、遠くに行ってしまう僕にお金を渡してくれたのは彼女一人だけだったと思う。

これほどまでの愛に僕はどう応えたらいいのか今でも正解が分からない。ただひとつ言えるのは紛れもなく今の僕の人格はその人があって成り立っている。お金以上に、見返りを求めない優しさと、相手を思いやるという強さを教えてくれた。とても感謝をしている。なのに僕には恩返しができなかった。

そればかりか、僕はあろうことか旅に出てすぐに名古屋でぼったくりのガールズバーに行き、その持たせてもらったお金のほとんどを溶かしたのであった。

「家も無いしこれしか全財産が無いのです」と伝えたが、それでも彼女達はドリンクを頼むことを止めはしてくれなかった。当然と言えば当然であるが、もうどうにでもなれという気持ちと同時に、人とは他人に対してこうも無慈悲に冷たくなることが出来るという事実になぜかゾクゾクと興奮したのであった。僕を心配して渡してくれたお金をこんなことに溶かしてしまった罪悪感はあったが、この時の僕はなぜか被害者的思考だったと思う。

大切な人から貰った大切なお金なのだけど、この時くらいから正直、僕は家やお金がないという事自体に味を占めていたのだと思う。

なぜなら「家が無い」と言うと優しい人が家に泊めてくれるからだ。「お金が無い」と言うと優しい人が僕にお金をくれる。それが僕にはなんだかとても心地が良かった。

ホストをやっている時から疑問だった。お金を沢山持っている人が、大してお金が無い人から搾取をするのがどうにも腑に落ちない。ホストに通う女性にしても、自分がお金を貢ぐ側にも関わらず、なぜかお金が無さそうなホストは選ばないのである。普通に考えて、施しを与えるのであれば恵まれない人に与えた方が自然だと思うのだが、このような理不尽を幾度となく見てきたのであった。全身ブランドで高価な装飾品を身に纏っている人間が、みずぼらしい格好の人間から搾取をする。この構図が僕には理解が出来なかった。

お金を払って相手をしてもらう以上、能力が高い人間を選びたい気持ちはわかる。良い接客を受ければ自分の学びにもなるし、だから必然的に能力が高そうな身なりのしっかりしているお金持ちを選ぶ。それは自体は理解が出来る。

だがそんな考えでホストクラブに通っている女なんて数えるほどしか見た事がないのであった。大抵の女が寂しさに耐えられずに自分の生活費を削りながら担当のホストを潤わせていく養分になっていく。ホストの身なりや、大して意味のない役職のために枯渇していく女を嫌というほど見てきた。

そんな僕にとっては、お金が無い事も家が無い事も、罪悪感をなるべく感じずに人から施しを受ける理由になることに、安心感すら抱いているのである。

つい最近も全財産の40万ほどをキャバクラで使ってきた。今回はぼったくりでもないし、自分がバーで働いて稼いだお金なのだが、なんでこんなことを繰り返しているのか自分でも不思議だ。基本的に酔っ払うと人に物をあげたり、財布の紐が緩くなる方ではあるが、家も金もなくても人間の本質は変わらないのだな、となぜか他人事かのように俯瞰して考えていた。きっと大してお金が無いのにホストに通う女もこんな感じだったのだろう。断るのも面倒臭い。そして考えるのも面倒臭い。もうどうにでもなれ。それ以外の感情が一切ないのだ。

所持金が2000円で一週間以上過ごした事も、どうしても泊めてくれる人がいなくて路上で寝た事もあるのに、なぜか僕は全く学習しないのである。それはやっぱり心の根底に、お金なんて無くなったら貰えば良い。という考えだからなのだと思う。

その人がどんな気持ちで稼いだお金なのか、どんな気持ちで渡してくれたお金なのか、それを度外視してお金を使ってしまった僕は、相手の気持ちや状況を一切省みない、ぼったくりのガールズバーの女の子と何も変わらないのだと思う。いや、赤の他人ではなく身近な人にそんな仕打ちをする僕はきっとそれ以下だ。

最近になって気付いた事がある。いや、昔からうすうす感じてはいたが、最近になって確信に変わった。

僕は目的があって人からお金を貰うのではなく、人からお金を貰う事自体が目的なのだ。お金を貰う事で愛されてると感じたり、相手にとって自分は必要な存在なのだと感じて悦びを見出している異常者だ。

言葉でどれだけ好きだと言われても信用出来ないが、お金を貰えれば貰うだけ信頼出来るのであった。長年水商売をやってきた弊害だが、もう直せる気も、直す気すらもないのである。完全に壊れてしまった。正そうとも思わないのである。

こんな僕だが、名古屋から大阪に行き、一人のホームレスと出会って少しだけ考えが変わった事がある。

その人は僕の大阪での職場のバーの近くのファミリーマートにいつもいて、そしていつも一人で喋っている不思議な人だった。栄寿司の前にいつも座っていて、どうやらその辺りでは有名な人らしい。

お互いにホームレスということもあり、勝手にシンパシーを感じた僕はすぐに彼に近づいた。どんな生活をしているのか、どうしていつも一人で喋っているのか、単純に興味があったのと、これが未来の自分の姿なのかもしれないと思い、毎日のように彼を遠くから観察したり、横に座り話しかけた。

彼はとても気さくな良い人だった。一緒に大声で唄を歌ったり、HUNTER×HUNTERの話などをしてすぐに仲良くなった。

彼と仲良くしていると、周りの人からよく聞かれる事があった。

「あの人って会話になるの?」

どうやら彼は周りから統合失調症だと思われているらしい。彼の話は真偽は定かではないがいつも新鮮だし、きちんとした根拠もある話ばかりだった。そしてなによりも、僕なんかよりもよっぽど整合性が取れていて、しっかりとした人間なのである。

彼を観察していて分かったのは、彼は知らない人からの施しは受けないということだ。通行人からお金を渡される所は幾度となく目撃したが、受け取ったのを見たのは数回である。きっと人から施しを受けて、何度もトラブルにあってきたのだろう。

「貰ったら何かお返しをせなあかんやろ」そう言って彼はいつも知らない人からの金品の授与を断った。僕はそんな彼のことが大好きになったのだ。

凍てつくような寒さの中でもいつも笑顔で楽しそうにしている彼だが、真冬なのにいつも短パンを履いている事はさすがに気になった。なので僕は毎日のようにホットミルクティーを渡して横に座り、一緒に温かい飲み物を飲みながら、僕は彼からはタバコを一本貰い、一緒に吸ったのであった。

そして、寒さもいよいよ限界を迎えてきたので暖かい長ズボンをプレゼントしようと思ったのであった。

彼が受け取ってくれるかどうかは分からないが、僕はドンキホーテに行き裏起毛の暖かいジャージを買って彼に渡したのである。案外すんなり受け取ってくれたことが僕の事を身近に感じてくれているみたいでなんだか嬉しかった。

それから数日後のことである。いつもように彼の横に座りミルクティーを渡すと、彼は「いつもありがとうな足りひんと思うけど」と言いながら僕に4000円を渡してきたのであった。

断っても断っても、彼は僕にお金を渡したのだった。彼がその長ズボンを履いてくれているだけでなんだか嬉しかったし、与えた側のはずの僕の方が幸せになれた。それだけで充分だったのに、目頭が熱くなった。

貰ったら、いつかなにかお返しをする。そんな当たり前のことだけで人をとても幸せな気持ちにできるということを彼から教わった気がする。

僕は今まで人からたくさん貰ってきた。そしてこれからもたくさん貰うつもりだ。それでしか愛情を感じる事が出来ない人間なのはきっと変わらない。

だからこそ、その感じた愛情には、きちんと愛情で返そうと思う。貰ったものを大事にすることもそう。貰った分のお返しをするのもそう。たくさん施しを受けて、たくさんお返しをしようと思いました。こんな僕の事を助けてくれる人がいるこの世界が大好きです。いつもありがとう。お返し、もう少し待っててね。

見返りを求めない優しさと、貰ったらお返しをするという幸福は少し矛盾しているような気もするけれど、これからもまだまだ僕はホームレスの旅を続けるので、その答えはいつか見つかるといいな。日々変化していく僕を、どうかこれからもよろしくお願いします。

地球上のどこにいたって、生きている限りきっとまた会えるし、みんなと過ごした思い出は忘れないよ。間違いなく、みんながいてくれたことによって僕は今の人格を形成しています。昔よりかは少しはまともになれたかな?いつかみんなにとって、僕もそうなれたらいいな。

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