笑いとは「緊張の緩和」である

この言葉との出会い

タイトルにもなっている、「笑いとは、『緊張の緩和』である」という話。僕はこれを今から5年前くらい、大学生の時に知ってなるほどなぁと思いました。

そして、「僕がこれまで観てきたお笑いは、全てこの定義によって整理できるではないか」と思ったのです。

この定義は、とあるTV番組の中で上方落語の偉大な落語家 桂枝雀 師匠によって提唱されたものです。動画がYouTube上にアップロードされているので、そちらのURLを記載しておきます。(公式じゃないので消えるかも)

ちなみに、インタビュアーを努めているのは、こちらも関西の偉大な漫才師 上岡龍太郎 師匠です。

松本人志さんの後押し

実はこの『緊張の緩和』という定義は、言わずとしれた ダウンタウン 松本人志さんもよく使われます。

貧乏エピソード

と、いかに著名者がこの考え方に同意しているのかという話をしてきた訳だけどそんなのは本質的ではないので例示をば。

少し考えて欲しいのですが、ホームレスのおじさんが暗い顔で話し出す貧乏エピソードって笑えますかね。
僕は身につまされて笑えない気がするのですよね。
でも、その人が明るい顔で清々しく話していたらどうでしょう。
2つ目の方が笑える気がしませんかね。

僕はこれが一番分かりやすい例だと思っています。
貧乏エピソードって、一般的には人間の生存とか生活の危機に関する話だから、相手に同情した場合には必ず「緊張」が生まれると思うのですよね。
でも、その人が明るい表情で話しているのを見ると、「あぁでもこの人はその状況を乗り越えたんだな」と安心、つまり「緩和」が生まれる。だから、笑えるんじゃないかなと思うんです。

ボケ・ツッコミ

まぁこういう一つの例示だけだと納得はできないと思うので、少し抽象的にも議論していきたいなと思います。

例えば、日本のボケ・ツッコミという文化について考えてみましょう。日本のお笑い界においてボケ・ツッコミという役割分担での芸人コンビ/トリオが多いじゃないですか。これってなぜなんでしょう。
僕の考えは、

ボケが「非常識な行動・言動」によって緊張を作り出して、ツッコミが「常識的に対処」することで緩和するというシステムが優れているから。

です。

ボケ・ツッコミの代表例を挙げて考えてみましょう。

一番分かりやすい例として、サンドウィッチマンの漫才「ハンバーガーショップ」から。
富澤「ドリンクのサイズの方、エス、エム、エー、エル、エルがございますけれども。」
伊達「スモール(SMALL)つってんじゃねぇか。」

どうでしょう。
一瞬、頭の中で理解しづらい言葉を言われて「何言ってるんだ」という気持ちになりませんかね。
ツッコミのセリフによって「なるほど!」と頭の中で整合性が取れて安心感が生まれませんかね。
この一連の流れが、ボケ・ツッコミによって作り出される緊張の緩和だと思います。

この、会話の中で緊張を生じさせてそれを緩和させるという手法は、聴き手に求められる前提知識が非常に少なくて済みます。
と強調してみたのはこの次の章で前提知識の話をしたいからです。

フリと社会通念

上のボケ・ツッコミの話では、純粋な会話の中で違和感を生じさせてそれを正して安心させるという例だったわけですが、実は今の日本の漫才とかコントとかでこういう前提知識不要で笑えるような例は少ないです。
(ということが例を探していて分かってきた。)

例えばこちらもダウンタウンの有名なネタ「誘拐」を使って考えてみましょう。
松本「緑の鞄に500万入れて白の紙で黄色の鞄いうて書いて赤の鞄言いながら置いてくれたら俺黒の鞄言いながら取りに行くわ。」
浜田「分かるかい。青の鞄でええやないかい。」
松本「青の鞄で持って来い。」

まぁここはボケで違和感→ツッコミが正すということで安心感が生じて、実際に浜田さんのセリフ部分で会場にも笑いが起こっているわけですが、実は別の部分でこのネタの特性が見られます。
それはテーマ自体がフリになっているという点です。

松本「今どき怖いですよ。ちっさい子供なんかうろうろしてたら連れていかれたりすんねんで。」
浜田「誘拐とかね。あれタチ悪いですよ。こんなちっちゃいやつ連れて行って後で電話してきよんねん。身代金よこせとかなんとか言ってね。」
松本「・・もしもし。お前んとこにな。小学校2年生の息子おるやろ。」
浜田「おりますけど・・・。」
松本「ウチには6年生がおんねん。」
浜田「なんやねんそれ。」

この例って、実は会場の笑いが起こるのは「ウチには6年生がおんねん。」と言い切ったタイミングなんですよね。ツッコミを待たずに。
これは、誘拐犯は怖いという緊張がすでに有り、ボケの発言のバカらしさ、害の無いおっさん感によって緩和されたためかなと思ってます。
で、この緊張感は、実は導入部分の「今どき〜」とか「あれタチ悪い〜」とかいう言葉で作られている。
この導入部分が「フリ」と呼ばれるものだと思います。

もっと極端に、実はこうやって丁寧なフリをしなくても、社会通念とか前提知識がフリになっているケースがあります。
ナイツの「ヤホー」が分かりやすいですね。これもボケの時点で笑いが起こる。それはYahoo!は検索サイトという前提知識があるからです。

これら以外にも、お客さんの前提知識、社会通念によって笑いのポイントが変わる例として面白い例があったので引用しておきます。

今後取り上げたい話題

と唐突にこの章名。書き疲れたので。また拡張していく予定。
書きたいのは下記話題かなぁと。

・落語
・ジョーク
・大喜利

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