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育ちのいい男

あるタレントさんを見て常々感じていることがある。

「ああ、育ちがいいんだろうな」

物腰や語り口調とか、ふとした時の反応。基本的におっとりしていて、争わない。無邪気さ。天性の可愛さみたいなもの。計算とかあざとさとか、駆け引きのない感じ。

「いいおうちで育った人」そんなイメージ。

出自からして実際育ちがよいのだろうと思う。私の人生ではあまり触れることのないタイプの男性。

田舎育ちの私にとって、男の子とは雑で、ガサツで、デリカシーとかはなく、元気で、豪胆で、どこか乱暴なイメージというか。繊細さ、なんて感じたことはなかった。

そんな私がはじめて育ちのよさを感じる男の子と出会ったのは、小学5年生の頃。同級生のY君。転校生で東京出身という彼は、服装や持ち物もどこか違って、顔立ちも整ってシュッとしていた。物腰は穏やかで大声を出すタイプではなく、どこかおっとりして優しかったと思う。

「都会から来た子はやっぱり違う」

子供心に、そう感じていた。憧れた。卒業を待たずに、転校しちゃったけど。

その後の人生でもなかなか「育ちがいいんだろうな」タイプに巡り合えることはなかったけど、社会人になってけっこう経って、ふと、あった。

当時、美容室広告の仕事をしており、会社の後輩の伝手でカットモデルに大学生が来ることになった。家族がモデルをしてるという整った顔のイケメン。

その日、撮影場所は海だった。風があったり足場も悪い中、なんとか撮影を終えて撤収しようとしていた時だったと思う。ちょっと坂になって歩きにくい砂場で、彼は手を差し出した。

「はい」

えっ?

いやいやいや、この程度のところで助けとか必要ないでしょ、というかむしろ細身のあなたですが大丈夫ですか、年も若いのに、とか何とか、咄嗟に頭に浮かんで

「え、あははは、そんなの大丈夫だよ〜」

と、笑い飛ばして手を借りることなく、私は自力で坂を登った。そう、私は可笑しかったのだ。そのくらいのことで手を貸そうとする彼の行為が大仰に思えて。

でも気になったのは。その時一緒に笑い飛ばすでなく、意外そうだった彼の表情。

それを見て、思った。

「ああ、育ちがいいんだろうな」

きっと彼にとって、足元の悪いところで女性に手を貸すのはごく自然な行為。それは相手の年齢だとか容姿だとか、そんなことは関係ない。それを率直に受け取れなかったのは、私の問題。

レディーファーストとか、女性には優しくとか、自ずと身につくような家庭環境だったんだろう。後に、彼の実家は都会の方で親はお医者さんで…などと後輩から聞いて、深く頷くものがあったのであった。

私にとって男性は、雑でがさつなもの。

だからこんな繊細さを表現されることに、まったく慣れていなかった。

きっと自分が、女性として扱われることにも。

今こうして振り返ってみると、自分の思考やら物の見方やら受け取り方にも、いろいろツッコミどころがある。ある意味偏ったものの見方とも。

あの時差し伸べられた手を素直に受け取れなかったこと、申し訳なかったな。

そう、手を引っ込めたばかりか、その行為に対してありがとう、なんてことも言えなかった。

今ここで言っとこう、あの時はありがとう。

それから何年か経って、遊びで川辺に行った時。それこそ「手なんか借りなくて大丈夫」に思えた場所だったけど、女性陣に手を差し伸べてくれた男の子がいた。

やっぱりあの時のこと、思い出したよね。

「ありがとう」って言いながら、手を取ってもらった。

好意で差し伸べられた手は、振り払うものじゃないんだ。

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