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自分を生きる

2020年、コロナの影響で様々なことが強制停止状態になって、改めて自分を深く見直すことができたと思う。自分の原点。原点回帰。思い起こさせられることが本当に多かった。 そう、実際その影響を強く感じ始めたのは春から初夏の頃。でもその頃はまだ、あくまで「今までの延長」で何かできることを探した。何かできることはないかと躍起になった。でもなかなか、形にすることができなくて。 そんなことを繰り返したら 「本当は自分は何もしたくないのだ」 という所に行き当たった。 何もしないこと

    • とにかく何か書いてみよう

      • 2ヶ月前

        ちょうど2ヶ月前の今日の今ごろ 私は母と温泉宿の送迎バスに乗って駅に向かう途中 駅に荷物を預けて近くの ちょっといいスーパーでちょっといいお酒を買って タクシーに乗って母の実家に向かう 私なんかもう何十年ぶりだろう、の、母の実家へ 小さい頃は毎年行っていた母の実家 商売をやっていることもあって 子供3人連れた母の滞在は大変だったと思う よく迎え入れてくれたものだ 最後に行ったのは高校生の頃 ちょっと嫌なこと言われて「もう絶対行かない」と思った 思春期はいろいろ難しいの

        • 育ちのいい男

          あるタレントさんを見て常々感じていることがある。 「ああ、育ちがいいんだろうな」 物腰や語り口調とか、ふとした時の反応。基本的におっとりしていて、争わない。無邪気さ。天性の可愛さみたいなもの。計算とかあざとさとか、駆け引きのない感じ。 「いいおうちで育った人」そんなイメージ。 出自からして実際育ちがよいのだろうと思う。私の人生ではあまり触れることのないタイプの男性。 田舎育ちの私にとって、男の子とは雑で、ガサツで、デリカシーとかはなく、元気で、豪胆で、どこか乱暴なイ

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          心通うこと。

          自分がメインでやっているSNSのアイコン、さらっと線画で描いた似顔絵なんていいなぁ、とふと思いつき「ネットで描いてくれる人探せるのでは?」と、検索したらけっこうな数にヒットする。あーそういえばけっこう前に友達が話してた、ネット上で自分のサービスを売れるアプリがあるって言ってたと思い出す。 画風も価格もいろいろあって、その中で一番イメージに近いような、サラッとしてるタッチの方に連絡してみる。参考にしてほしい最近の写真がマスク着用のものしかなく、顔が写ってる別写真も添えて「これ

          心通うこと。

          それが今の正直な私

          先日、義理の親戚という人とある場面で会い、オフィシャルな場で数回会ったところで「今度家に遊びに行っていいですか?」と言われ、心底びっくりした。私の中にはまったくない発想だったから。 まず、ほとんど初対面にあたる人の「家に行く」という発想がない。 そして、親戚付き合いは面倒なのものだと思ってる(特に義理の関係って…)。 さらに、自宅に人を招くこと自体、得意ではないというか。 そんなこんなで、動揺しながらはっきりとした返事をせずにお茶を濁してしまった。 そう、そこの叔母

          それが今の正直な私

          吠える犬ほど弱い、って言うけど、実際吠えられた方は怖いんだよ。弱いなら弱っててくれればこっちも対処のしようがあるものの。

          吠える犬ほど弱い、って言うけど、実際吠えられた方は怖いんだよ。弱いなら弱っててくれればこっちも対処のしようがあるものの。

          肉親=盲目的に大事にしなきゃない関係、の時代は終わった。

          実家家族とのつき合いって、私にとっては長く鬼門だった。 肉親だから愛着もあるけど、かといって気持ちよく過ごせるか、というとそうでもなく。自分不在でいろいろあれば寂しくもあるくせに、時にすごく面倒臭い存在でもある。好きなのか嫌いなのか、自分でもどっちやねん、と持て余すこの感じ。でもこういう矛盾にまみれたものこそ家族なのかも、なんてことも思うけど。 先日の帰省で、今まで我慢してたことに(ぐだぐだながらも)やっと「ノー」と言えたこと。今までどこか批判的にしか見てなかった家族の中

          肉親=盲目的に大事にしなきゃない関係、の時代は終わった。

          自分で立つ

          母は子供と出かけるのが好きだ。でも私は、母に「どこどこに行こう」と誘われるとげんなりしてしまう。気が重い。何でだろう?一緒に出かけてしまえば、それなりに楽しい。一応娘として、母の望みを叶えてあげてるという満足みたいなものもある。 でも、思う。 重いのは、母の「思い」が重い、からじゃないかと。 「いつならいいんだ」「どこならいいんだ」。1回どこかに行けばまたすぐに「次はどこに行こう」という話になる。いつにする、どこにする、その圧に、疲れる。そう、この母の「会おう会おう」攻撃

          好きで嫌いで、嫌いで好きで、

          実家に帰ると、母があれこれ世話を焼いてくれたり気遣ってくれるのがわかる。 だから、母に対してネガティブな気持ちを持つことがものすごく悪いことのような気がしてしまう。 母に対しての批判的な気持ちとか否定的な気持ちとか。 親なのに、 子供なのに、 良くしてもらってるのに、 会いたがってくれてるのに、 気にかけてくれているのに、 でも。 その人をいくら愛していても、 嫌だと感じることはあるよね。 嫌なものは、嫌だよね。 いくら、愛を注いでもらっているのがわかっても、

          好きで嫌いで、嫌いで好きで、

          怒りって

          最近近所にオープンしたばかりのお店の口コミ評価がかなり低くて、なんなんだろうと読んでみたら、低評価は「かなり待たされて入店したのに売り切ればかりで商品が全然なかった」という怒り。 それで思い出した。 以前、ショッピングモールに買い物に行った時のこと。ちょうどオープンしたてのお菓子屋さんがあることを思い出し、見に行ったら並んでいる人数がそう多くない。けれど、丁寧な口調ながらも怒っている年配の男性がいて、その様子を見てやめた。 注文をとって会計を先に済ませ、商品も出来上がっ

          予定変更のようで

          ある予定を入れていた3日間、関係者に濃厚接触者が出たため延期になった。 ぽかん、と3日空いて、思い出した。 そういえば。 ふと、行きたいな、と思ったけど「あ、ここはもう予定あったんだ」で、やめたこと。 映画。 行きたい、と思ってからタイミングを逃して、でもそろそろ行かないと上映終了しちゃうんじゃないか、という作品。 できればサービスデーに行きたい、でも「あ、ここはもう予定あったんだ」とあきらめてた。 これ、行けるじゃん。 そしてもう1件。 前からチェックして

          予定変更のようで

          それすらいい

          自分の気持ちに気づいたら、その気持ちに基づいて行動することが正しいと思っていた。 簡単に言ったら、苦手意識のある相手に気づいたら、その関係を断つ、避けることが正しいと。 でも、思うんだ。 苦手意識のある相手と離れるでなく、苦手意識を持ちつつも付き合っていくようなこと。 それすら、いいんだろうなって。 世の中って本当に、白黒はっきりと分断できるものじゃない。 1人の人に対して、嫌悪したり憎いと思ったり怒りややるせなさを感じる反面 心打たれたり笑顔になったりあったか

          それすらいい

          恐れることなく。 しがらみもなく。

          先日、某大型衣料店に服を出してきた。 リサイクルの取り組みがあり、古着を引き取ってもらえるのだ。 出してすっきり。 そう、手放したもの達には、小さな違和感があった。 サイズ感が合わないとか、生地がイマイチとか。大きな問題はないけど、着るたびに小さく「もやっ」とする。でもまだ古くないし、もったいない。 でも、でも。 結果、出してよかった。 そして気づいた。 それらの服は、買う時点で「好き」が最初でなく「安い」とか「便利そう」といった条件が優位だったということ。

          恐れることなく。 しがらみもなく。

          次世代レベル/そういうプログラムを生きている

          先日、ある文章を書いたことで、私は自分がほとほと疲れ切っていることに気がついた。 それは「何が悪いんだろう?」と考えること。 悪者探し。原因探し。 自分にとって望ましくない出来事が起こると、その模索が始まる。 体調が悪くなれば「私のどんな行為が原因なんだろう?」と考え、「自分が悪いからこうなるんだ」に変わり、結果、自分を責めることにつながる。 それをずーーーーーっと長いことやってきた。 過去を振り返ってみれば、さまざまな場面でその「悪者探し」を、ずっとずっと、ずっ

          次世代レベル/そういうプログラムを生きている

          ジャッジせずただ受け入れる

          ただ、かゆい。 ただ、しんどい。 ただ、そこはかとなく楽しい。 ただ、気持ちいい。 ただ私はこんな風に感じているんだな、と思う。 起きたことに対して、ただ、そうなんだな、で終了。 そこに意味づけも理由も原因究明みたいなものも必要なく。 ただそれが起きている。 ただそんな風に感じている。 それだけのこと。 それだけでいい。

          ジャッジせずただ受け入れる