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生後1ヶ月の息子、心臓手術後の超回復

こんにちは!あん子です。

生後1ヶ月で心臓の開胸手術をした息子の、術後のお話を書きます。

前回の手術のお話はこちら↓

手術が終わり、息子はICUに入りました。
ICUに入っている間は、わたしは付き添い入院を一旦お休みし、病院にお任せします。
合併症や術後の回復を診ながら、一日に1度、先生から連絡が入ります。
早ければ3-4日と言われ、息子は5日お世話になりました。

この間は粉ミルクの持ち込みはできない為、息子がお世話になった病院では、病院の用意した液体ミルクでの授乳ということになっていました。
ちなみに、ミルクでも大人の食事でも、一日の病院食の値段は同じです。笑
(だから、入院するときは粉ミルク持っておいでね、と看護師さんにも言われていました)

何事もなくいてくれるといいな、と一日の終わりにいただける報告の電話を待つ日々。
バタバタする中でクリスマスになっていたようで、
「あん子ちゃんはそんな気分になれないかもしれないけど」
と、なんのクリスマスの用意もできなかったわたしに、従姉妹が用意していてくれたミスターチーズケーキ。
また涙腺が緩んだのをよく覚えています。

早くて3-4日のICUでしたが、1度だけ不整脈があったようで、一日延びました。
その時点でもう暮れもおし迫り、退院も「1月中かな」と言われており、病院での年越しは決定していました。

ICUから出てきた息子を見てまず
「顔色が全然ちがう!」
とびっくり。
手術の前は黄色く、黒くくすんでいて、黄疸がでているんだろうなあという印象でした。
(見慣れていたのでわかりませんでしたが、今写真を見比べると明らかに顔色が悪いです)
術後の息子は赤みのある健康的な顔色。
ひと目で
「元気になったんだなあ」
と、本当に嬉しく、ホッとしました。

いろんな管に繋がれながら、術後には水分制限があり、息子の場合は一日500mlのミルクでした。
栄養は点滴で入れてあるので、どちらかというとミルクを飲む練習みたいなかんじでしょうか。
が、これがミルクを飲み終わる度に「足りない!」と暴れんばかりのギャン泣き。
泣くと心拍数が上がるので看護師さんが見に来てくれて、それを伝えると
「そっかあ、飲みたいかあ・・・笑 先生に伝えておくね」
と言ってくれます。
ICUから一般病棟に移った一日目は、ミルクの度に泣いていました。

あんまり泣くので、次の日の朝診察に来てくれた先生が根負けして
「じゃあもう水分制限やめよっか!」
と笑って、ミルクを好きなだけ飲ませてくれることに。
晴れてお腹いっぱいミルクを飲むことができるようになった息子。

どれだけ飲んだと思いますか?


なんと1100ml。
前日の倍以上飲みました。

この頃からもう隠せないほどの食い意地・・・

栄養は点滴で取れてるのにこんなにミルクを飲んだので、3日目の朝の診察でまた先生に笑われて
「口からこんなに栄養取れるならもう点滴いらないね・・・」
ということで、酸素以外の管が全て外れたのでした。

ありがたいことに術後の経過はすこぶる順調で、
息子はぐんぐん回復していきました。

看護師さんたちも本当に細かいことからたくさん助けていただいたし、病棟でもICUでも、必ず最初に
「もし先生に聴き逃したことや聞き辛いこと、わからないことがあったら何でも聞いてください!」
と声を掛けていただきました。
わたしがシャワーや売店や洗濯で病室を離れているときに息子が泣くと、看護師さんが駆けつけてくれて、ナースステーションで片手に息子を抱えながら書き物をして帰りを待っていてくれていたりもしました。
ちなみにその時の息子はぜんぜん寂しそうではなく、ぴったりとお気に入りの看護師さんにくっつきながら、わたしが帰ってきても「ん?あ、もうきたの?」くらいの薄い反応。
基本的にみんな好きだけど、大好きな看護師さんが二人いたようで・・・その2人の看護師さんだと胸に顔をうずめておっぱいを探し出す。
「おっぱい出ないよ~ごめんね~」
と笑ってくれる看護師さんに謝りっぱなしでした。

息子・・・まじ頼むわ・・・。

もう管は酸素だけになっていた息子。
それも何日かすると看護師さんに
「大丈夫そうだけど取る?」
と言われ、軽い気持ちで
「あ、はいお願いします~」←病院側から言われたなら大丈夫だろうという軽い気持ち
ということで外し、数値も安定。

大晦日の日、粉ミルクなどを補充しにきた夫(個人のスペースが限られるので、一度にたくさんは持ち込めない)にナースステーション前でばったり会い、そこではじめて
「あれ?旦那さん差し入れ?もしかして明日退院できるかもよ??」
と言われてびっくり。

1月中って聞いてたから、てっきりまだ少なくとも2週間くらいとしは入院生活だと思ってました。
「酸素取れて安定してたらもう退院できるからね」
と言われてそういうものなのね、と。

余談ですが、基本的に大部屋なので(重症度によって個室になるため部屋の希望はできない)いろんな人の話し声や物音が聞こえます。
酸素を外すという話に
「まだちょっと・・・」
というお母さんの話し声が聞こえてはじめて
(そうか、様子を見るという選択もあったのか)
と少し考えました。
一度外してしまうと、またすぐ着けることはあまりしないらしく、慎重になる方もいるんだろうな。
わたしはなんにも考えずに外しましたが、一つ一つの選択はよく考えなければとも思いました。


そして、ホッとして余裕もでてきたのか、はじめてテレビカードというものを買って、年越しそば(カップ麺)を食べながら、イヤホンをつけて笑ってはいけないを観たりして、年を越し。


次の日は元旦。

なんと新年の初日にめでたく退院となったのでした。


たぶん1番月齢の小さな患者だった息子はたくさん可愛がってお世話もしていただき、
「もうちょっといてもいいんだよ~」
という暖かいお声もかけていただきながら、超速での退院となりました。


退院から1年以上経ちますが、手術という根治治療をしていただいたため、運動や生活の制限は一切なく、順調に回復して元気に走り回っています。
今ではもう通院のスパンも1年なので、本当に順調だったのだと思いますし、よほどのことがなければこのままで大丈夫と言われています。
先生や看護師さんたちには感謝しかありません。

今、こうして元気に暮らしている子がひとりでもいることを、診断後のどん底にいた自分に教えてあげたかったなあと思います。
あのときは不安で、検索ばかりしていました。

生後1ヶ月で手術が必要なくらいの重い心臓病でも、制限なく暮らせる日がきました。
そこがゴールではないけれど、どこかの誰かが元気になったというその事実だけで、安心できる瞬間があっただろうなと思います。

もしかするとわたしは、過去の自分に向けて文章を書いているのかもしれません。

そして、これを読んで もしかしたら辛くなる人もいるのかなと思うとなかなか公開できませんでした。
いろんな立場にいたら受け止め方は人数分あるのだと思います。

それでもきっと、わたしにとってのSHIORIさんのnoteのように、誰かの力になることを信じて公開します。

「産まれてすぐ、1ヶ月後の未来が危なかった子が救われた」
という事実が、誰かの希望になりますように。

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