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制作への想い

私は絵が好きだ。
でも、その対象になる作品は限定される。タイムラインに流れては消えてく中でピンポイントで“これは良い”と言える作品に出会ったりもするが、大抵私の好きな絵の言えば自分の絵なのである。
私の制作にはこれと言ったコンセプトがない。
私はいつも揺らいでる。不安と憂鬱の真っ只中でぷかぷか大航海中だ。
果たして私は私であるのか。
私は別の私に生まれ変わるのではないか。
本当の私はどこにいるのか。
不安定な自分が辿り着く先がどこなのか。私はいつもそんなふうに考えている。考えざるを得ない。
チューリップシリーズで、春の浮遊感やよろこびを表現した時私はある種の快感を得た。《楽しいだけじゃただの自己満足》、それでも私は良いと思った。必ずこの多幸感は誰かが感じ取ってくれて自分と同じような幸福感に満たされるという確信があったからだ。春特有の憂鬱感や不安感のようなものに関して、わたしは少女の目に涙を書き加えた。泣いているようにも、微笑むようにも見える。そう言えば学生の頃から不安と憂鬱と花と少女というテーマがあった。
人生は短し。人生の中で私は絵を描き続ける。たまに立ち止まって考える。私がぷかぷか浮かぶそれは海ではなく小さな水槽の中かもしれない。
それでもまた描き続ける。私は、私のために。誰かのために、祈りながら。

『こじれたガール』

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