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何故

'14/1/3

〈 何故人をコロしてはいけないか ~ ? 〉

かなり前になるけれど、TBSの'News 23' という番組で、学生たちを集めたて「 なぜ人を殺してはいけないか」というテーマの対談をしていた。私は自分自身でも その何年か前から、まさにこの質問(疑問)が 何か 胸の奥から出てきて、そして答えを見つけられないでいた。何か わからない、モヤモヤとしていた。もちろん、道徳的、道義的、人道的など、いけないことはわかる。どの人々も、口を揃えて いけないことだという。それももっともだし、私もとてもよく理解もできる。しかし、この疑問に対して、私は自身に対しても明確な答えを持つことができなかった。そのとき、中の一人が 「(それ以前に)なぜ人を殺してはいけないのか わからない」 と言った。一瞬ののちその場が湧きたった。その後の展開は想像がつくのではないだろうか。ある人は少し笑いながら 、ある人は極めて真剣に、「 いけない」理由を話していたし、みな 「真剣に」考えていたと思う。しかし、この質問を発した(発されたところの)非常に'素朴'で深い部分を感じとった人は、見ている人を含め どのくらいいただろうか。次の日、アンカーのキャスターだった故筑紫哲也さんが、番組の冒頭(だったと思う)で振り返り、こう言った。(今まで 真剣に向きあったことがあったろうか、とおっしゃったかは定かでない。しかし'真摯に'考えられたことだけは確かだ)「 人を殺して良い場合が この世に2つある。1つは戦争であり、もう一つは死刑 」だ 、と。対談には 作家の柳美里さんもいらして、そのコメントも紹介され、筑紫さんは、「柳さんの、作家として誠実に考えられた」もの 、とおっしゃっていらした。

後日 、また同じメンバーが集まって'その後'の対談を(放映)したが、先の疑問を発した学生の人は、「自分でも なぜ そんな質問をしたのかわからない~」と言っていた。他の学生たちと談笑し、「普通の」'学生'に戻ったようだった 。

私が一番驚いたのは、この疑問に対して皆が一様に、「驚いた」ことだった。たぶん 今も私は変わらないと思う。人の中で、この質問を発して 話をするとき を 想像したりしてみる。もちろん、自分は聖人君子などではないし、また、あえて反道徳的な人間であるとも逆に取り立てて思っているわけでもない。でも、こんな話のできる人間と、関わっていきたい。 

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