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Heart。

心理学はいわば'人の心理'という'拠り所(実体)'がある。哲学はそこにない、今までにないものを 探り
見い出そうとする。
否定的に言うのでないが、心理学者( ユングだったか?.〜~ 私は好きなのですが)が哲学(者)を ( 総じて)うわついた根拠のないことを言っている と言うこともある。でも 私はなぜか その哲学に惹かれ、今でも惹かれ続けている。それは、おそらく心理学等にみられる 「横」への拡がり がなく 一心に「縦」への希求を感じるからだ。

何の保証もないけれど、空(クウ)をきるような頼りない ( (ある時は)何も ない)ところでもがき、考え抜き、けれども たとえ それが 途上 であるとしても、 突き詰めた普遍性に触れる部分を少しでも内包していれば、それは実在がない、実体がないとはいえない。

そこに触れた人1人、またそれに触れた人の言葉に触れた人の1人にでも、もしも、生きるチカラをなくしている人の心に届くことが あるなら、そして、みずからも、一心に 何かを希求している人の心にも届くなら、それは '役に立った'と言えるのではないだろうか。たとえ' 哲学はわからない'といって死んでしまった人がいても。

そして、拠り所のある心理学と違い 、拠り所を持たない、自己を含め '既存のすべてのもの'との闘いを営みとする哲学 が、あるときには発狂してしまうほどの真剣さを持っておこなわれることを、揶揄する ことは できない 、と私は思う 。その '態度'からだけでも、生きるエネルギーを 自身に感じることができる。

日本には'哲学する'という言葉が 根づいておらず、また西洋哲学は ごく最近( 明治初期の頃~)に西洋から入ってきたものであるため、理解や解釈は 難解を極め 、ただ 理解したりにとどまるところはあるのだろう。けれど、日本(や東洋)の良い点である、( 部分を全体の中の一つとして捉える「全一」
という思想もあるように、)

細分化された西洋医学的な役割りや考え方 捉え方でなく、統合していく という観点も 、今 哲学を捉えるうえで 役に立つものがあるかもしれない。

人の心に触れるもの 、
生きるエネルギー、その、生命の根源 。そしてそことつながっているもの、-' Heart'。Heartは、普遍の住人である。

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