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アインシュタインの『愛』

アインシュタインの手紙。

アインシュタインの言う「愛」、誤解され解釈されたり受け取られることをおそれ、20年以上も公にされることのなかった手紙。彼が気づいた「愛」とは。おそらく、美しい数式で表わされらるもの、この宇宙のすべてのすべてのものが、数式です表わすことができるという。また、よく、天才数学者と言われる人たちが共通して言う言葉が、' 数式)( 数学)は美しい' というものだった。美しさの法則において、数式(数学)が完璧な法則を表わすものなら、ある意味 '文学'は、その美しき数学に叛逆するもの、詩はその法則(の縁)をなぞるもの、と言えるのかもしれない。そうすれば、日本の数学者、藤原正彦氏の言った「数学に必要なのは、論理より'情緒'、人に対する思いやりや自然に対する畏敬の念」といったもの、という言葉も容易に頷ける。そうすれば、
アインシュタインの辿りついた、偉大なるこの宇宙の'解'とは。それが「愛」だった。ただしその「愛」とは、数式で表わされるものなのだ。

この宇宙そのものが、「愛」で成り立っているという、そのものが、「愛」である、というものだった、と。
数式は、その「愛」を表わす記号であり

だから人間が一人一人楽しむためのもの、から逸脱して、我欲のためにそれを使ったり、知らずのうちにでもプロパガンダするような状況に陥るとき、これは (間)違ったものに形を変える。

プラトンは「友愛」なくして人は生きることはできない と言ったが、それは「友愛」ではなく「愛」なのである。「愛」というと、あまりにもおおきく漠然としているゆえに、アインシュタインの危惧した(する)ように、いかようにも捉えられる。「友愛」は一つの形態。

だから、「学」のつくもの( ひいては' すべて'のもの'、ということになるが)、は、すべては「愛」を表わす法則や学問を研究するものなのだ。

)eros'というもの
ももちろん「愛」と繋がる個人的なもので
'eros'と「愛」は繋がっているけれど、、その個人的なeros'を我欲の方向に使うのが(最終的にあるいは本能的に)できない種類の人たちがいる。 '心ある人'という。

心'は大きな意味でいえば「感情」であるという。肉体の臓器から発する感情と、 見えない感覚から発するものと、。

受け止める肉体がなければ感情は発することができない。肉体が跳び箱を跳ぶときのような感情(を発する時の)'踏み切り板'になっているのだ。
肉体が感情の'基地'になり、肉体がなければ、感情は湧かないのだろう。目に見えないものを、"形あるもの,,にする(あるいは捉える)触媒、基地、だから すべての肉体'を忘れされば、'感情'は次元を(駆け)登り、喜び'に昇華する。

アインシュタインは、その辿りついた「愛」を表わす方程式として、手紙の中で自身のあまりにも有名な方程式、E=mc2 を 仮にあてて、' 「愛」は光速の2倍( 2乗?.)で増殖する'と述べている。 その方程式は仮( というか、' 一旦 'だから、 )

まず「'本質直観'としての「愛」という解'があり、そこから、いろいろのヴァリエーションが派生する、その、方程式には、アインシュタイン自身、その生涯の中では行き着くことはなかった。

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