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昨年も、たくさん人を傷つけました。

年が明けていた。

明けましておめでとうございますという挨拶をすでにたくさんかわし、令和元年は気づけば過去になり、今はついにあの「2020」らしい。

去年は色々あった。色々と言えばそれはもう色々なのであり、何があったかは書く必要がないと思っているので省略。

省略の中に含められないほど大きかった出来事は記事を書いたことだと思う。インターン先で、なぜか失恋の記事を書いた。

人生の中で、大学の4年間は結構大きなものだと思っている。
それは高校生活より大きいとか小さいとかそういうことではなく、大人と子供の間という宙ぶらりんな生活を強いられる4年間には思っているより大きな価値があるということだと思う。
ただ、それが大人よりなのか子供よりなのかは人によって違うけど。

これは完全に私個人の中での話だけれど、人生の中でも実は結構大きい4年間だと思っている大学生活の中でも、かなり大きな出来事、考えたこと、傷などを供養できたような気持ちになった。
別にそんなことのために書いた訳ではなかったので、記事を公開してどこかスッキリした気持ちになってしまったことは私の中でも意外だった。

人間と人間の間の距離ってすごく意味のわからないものだと思う。
見えない壁みたいな感じで、もうこれ以上はどう頑張っても近づけませんって距離がある。しかも相手によってすごく違う。
それって、もう努力ではどうにもならないと思う。諦めたほうがいい。
手を伸ばしても届かないぐらい距離が空いてる人間に無理に近づこうとしても、お互い疲れるだけです。
手が届くような、時には肩もくっついちゃうような距離に入れる人間だけ大事にしていたら、人生結構幸せなのではないでしょうか。

と、こんなことを思うようになった2019だった。


ずっと昔から「そこそこできる子」としての生活を強いられてきたけど、どちらかというと「できそうなのになんかできない子」だと思う。

大学の先生には直感だけで生きていると言われるし、編集長には詐欺師と言われた(後者はあまり関係ない)。私に足りないものは努力とか真面目さとかよく考えることだろうなと思って、ずっとそれができないからダメなんだと思ってきた。
でも多分できるようになる日は遠い。
自分で思っているよりずっと遠いらしい。
考える力を養おうとしているはずなのに、直感とか、「なんとなく」とか、「好き嫌い」とか、そういうところの感覚だけ研ぎ澄まされていくので。

それでもいいかもしれない、と思うようになった2019でした。


こういう、「なんかこんな感じなんだろうな」がたくさん腑に落ちてきた2019だったけど、そこにいたるために私はまた色々な人を傷つけてきたなと思っている。
言い方があれだけど、人を傷つける、人に傷つけられるという出来事は成長のためにとても必要なものらしい。
なので、仕方がないです。

2020年は、おみくじによれば私は控えめに生きていくべき年らしいのですが、多分無理。
多分色々な人を傷つけて、2019よりも少しまたそれに慣れてしまうと思います。私もまた、色々な人に傷つけられて私になるのだろうなと思います。

2019、ありがとうございました。2020、またよろしくお願いします。


Pexels の Oleg Magni による写真


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