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旅に出て、5日が経った。

たった5日、されど5日。
日本の生活から遠ざかるということがどういうことだったか思い出すのには十分な時間である。

元々、旅は好きな人間だったはずなのだけれど、大学という誰よりも自由な4年間をほとんど旅せず終えようとしている。
自由だからこそ足をつく暇もないほど予定を詰め込んだ日々を送っていたのだが、所々にもっと旅を挟んでみたら何か違う人間になっていたかもしれない。

自分の属するコミュニティの中で人に話しかけることがとても苦手だ。
人間は好きなんだけど、そのコミュニティの中の自分の全てが前提となって一人間として認識された状態で話しかけることがとても苦手だ。

多分、自分の知らないところで色々な所から得た情報を混ぜた私を認識されることが耐え難く嫌だと思う。
要するに、死ぬほどプライドが高い。

「プライドが高い」なんて言い方になったのには理由があり、色々な知人やネット上の知らない人がコ私のコミュニケーション苦手問題の原因をプライドの高さに落ち着けてくれるからである。
半分納得しつつも、理想が高いんじゃなく純粋に自分のやることなすことに対して自信がないだけなのではないかとも思う。

別れの決まった人間関係が何となく好きだ。
どんなにダメな自分を露呈しようとも、その人は別れて数日すれば私のことを忘れるからである。
仮にもし違っても、含みのある目で私を見るその人の目線を私が受け取ることは一生ないので、気が楽なのである。
人間は、基本的に他の人間に対して興味関心のない生き物だと思う。

旅は素敵である。
一期一会だし、なにより別れの時に心の底からの嘘偽りない気持ちで「いつかどこかでまた!」と告げられるからである。

自分のことを偽る必要もなければ、見栄を張る必要もなく、何かに追われることもない。
なにかに属することがない。

私は出会った人の記憶の中で、名前と年齢、国籍くらいしか情報のない人間でしかない。
素敵なことだと思う。
それぐらいで十分なんしゃないだろうか。

適応能力が高いほど日常に適応してしまうので、根のない草のように日々を上手く生きている人は本来旅を日常に挟むべき人種だと思う。
自分探しの旅とは上手くいったもので、「日常生活」に自分を決められてしまうようでは自分なんていつまでも持てないのだと思う。

家族も恋人も友人も、物理的に絶対に会えない時間が挟まった方が好きな部分を思い返すかもしれない。
いいことしかない。
たまには、できるだけ、遠くに。



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