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深夜1時。

帰宅してすぐ、自分の部屋のドアを開けて、荷物を置く。
窓とカーテンを閉めて、冷房をつけて、電気を消して部屋を出る。

0.1秒くらいでコンタクトを外さない決断を下す。
クレンジングだけ掴み、棚から出したタオルを携帯の上に置いて浴室へ。

時折"無"になりながらも、15分程度で湯船へ。
携帯をぼんやり見つめて、アプリとかSNSを無駄に眺めて、深夜2時。

ここまで、脳は停止。


自家製の梅ソーダを持って部屋に帰ると、机には待ち望んだ小包が乗っていた。気づかなかったことに初めて気づく私。
ガサガサと開けて、仕分けて、1分くらい眺めてからしまう。

家の中の時間の流れがゆっくりになるまでに、1時間くらいかかる。
私にはそれくらいかかる。
家族が起きていると、それは大変不愉快な思いをさせている。
だけど皆、全員そうだということに気づいていない。

もう少し余裕が欲しいなと思う時は、決まってもっと余裕がなくならなければと思う。
余裕というのは何だろうか。

気持ちなのか、時間なのか、お金なのか、体力なのか

なんでも良いけれど、何もしなくて良い時ほど朝起きれるのはなぜか。
決まって目覚ましがなくても起きれる時期は、二度寝する日が訪れるまで続く。
朝起きれなかった日を境に、私は違う私に。

毎朝起きて、連絡をしっかり返す私に戻るスイッチは、今のところ見つかっていない。

何もできないけれど、なんとかやる気が出て徹夜でもなんでもしようと思った時は、文章が書ける。
それはやるべきことじゃないけど。

友達はいい。大好きだ。
気持ちが明るくなって、ちょっと先の未来のことを考えられる。
自分よりも大切だと思う友人ができるっていうのはすごいことだ。
私もそういう人間でよかった。

SNSをみて、友人の誕生日を1時間過ぎたなと思って後悔しても、後悔しかできない。
だけど、深夜2時にPCを開いて、まだ過ぎていなかったなと気づく。よかった。

全て無表情でやっている私の表情筋は、本当に動かない。
深夜に1人の時は本当に動かないし、時間はゆっくりだ。

仕方がない、というのは最低な言葉。




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