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自己紹介

昨年11月からnoteをはじめ、つらつらと思いのままに育児記録がてら記事をあげていたのであるが、なんと「自己紹介」をしていないことに気がついた。

わざわざこんなド平凡な、たった子供1人の育児で息が切れ切れな私の、一体何を紹介するのかという話である。

とは言え、何処の馬の骨かも分からぬ謎の人物のnoteなど何の説得力もないのも分かる気もする。
特に育児や教育系など、肩書き・成果があってナンボであろう。

ということで、ここからはおずおずと自己紹介たるものを、今更ながらはじめたいと思う。

「育児・教育」サイドから見た私について、記したい。

仲良くなれそうだな、と思った方は是非仲良くしていただければ嬉しい。

・はじめに


まずは自己紹介を始める前に、
私のnoteはただの育児オタク記事である
ことを、まずはご承知いただければと思う。

私の「オタク」ジャンルは、知育とか教育とかとも少し違っていて、
的確に言葉を選ぶならば「人育て」的ジャンルだ。

親である自分が死ぬまでに、娘に何を残せるか
という視点での子育てを、大変真面目にマニアックに行っている。

オタクの熱量を全面に出されても、一般人は引くばかりである。
どの分野のどのオタクもそうである。
人の参考になるところなど、ほとんどないと自覚している。

とは言え、出会いたいではないか。
同志に。

「いや、私もオタクの端くれぞ」という同志は、
集おうぜ集おうぜ〜♪
語ろうぜ語ろうぜ〜♪
という、人育て同好会風な雰囲気と、私から漂うオタク香ばしい香りに、是非親近感を感じていただき

「ちょっとお察し……」という方は回れ右で、元来た道を戻っていただければと思う。

1.私の肩書きについて


私の肩書きを記す。
現在は「ただの専業主婦」である。

専業主婦になる前は、公立中学校の教壇に立ち国語を教えていた。

公立中学校の前は、傷害事件を起こし家庭裁判所で措置になった子どもや補導を繰り返す子どもなど、いわゆるヤンチャボーイヤンチャガールが通う学校の教壇に立っていた。
子どもたちの年齢は小学生から中学生まで。
専門の国語だけでなく、家庭科、体育、音楽、部活、数学、英語とほぼ全て教えていた。

その前は、知的障害と発達障害を併せ持つ子どもたちの入所施設で、支援員として子供たちの療育に携わっていた。
ここでの子どもたちの年齢は小学生から高校生だった。

その前は、タイムカードを押しても本社でコソコソ修正され、いつの間にか私の15時間の労働時間が8時間労働になっているブラック企業の書店員だった。書籍だけでなく文具も担当していた。
入社1年目で、書籍は昨対150%、文具は昨対200%にしたら、先輩社員からいじめられた。
入社して一年半、ハードな社畜生活だったが、15時間労働26連勤中、ふと、倒れた。

その他、実経験がないので、たいしたものではないが、資格としては司書や日本語教員の資格、あと大変しょぼくて書くのも気が引けるが独検4級も持っている。

2.娘を授かるまでの流産と不妊治療について

娘を授かったのは結婚して7年後だった。
正直、親親戚の誰もが我々夫婦は子供を作らないと思っていたと思う。

元々、夫婦共々子供嫌いだ。

高校から付き合って結婚した夫とはソウルメイトで本当に仲が良いのだが、男女の関係は全くない「未完成婚」だった。
そんな中、夫婦として完全なるレスを脱するために互いに努力できればねえ、と話していた時、神様のいたずらが起こった。
なんといきなりの自然妊娠をしたのである。

子供のことなど全く考えていなかった私達なので、かなり動揺した。

こ、ここここの子の名前を、とととととととりあえずお腹にいる間は「チョコちゃん」と呼ぼうか…。

と話をしていた矢先、我が子は私のお腹からいなくなった。
稽留流産になり、そのショック、というか強い強い余韻を私は半年引きずった。

小さな命だったけれど、まるでビックバンが起こり宇宙が出来上がる過程を見ていたような気持ちだった。
あんなに宇宙を自分の中に感じたのは初めてだった。

流産が自分の人生を考え直すきっかけをくれた

半年後、改めて子供を作ろうという話になった。
たった今子供が欲しいというより、40歳を超えた自分が「あの時子供を産んでおけば」と思うのではないかと思ったから子供を産むことにした。

万年レスなのでタイミング法は効率的ではないと考え、不妊治療に着手。
人工授精からのスタートになった。

結果的には3回目の人工授精で陽性になり、娘を授かった。
4回目の人工授精で陰性ならば、もう子供は諦めようと結論づけた頃だった。

3回目の人工授精で陽性なのだから、振り返れば順調な不妊治療だったが、当時は「どこが出口かわからないトンネル」をただ進んでいるようだった。

この「子供に執着しないモチベーションの低さ」で、トンネルをグイグイ突き進むパワーも経済力も、当時の私たちにはなかった。
(当時はまだ不妊治療は保険適用外だった)
私たち夫婦にとって、子供はそこまで強く希望した存在ではなかったのだ。
2人と猫2匹での生活が、十分楽しかった。

娘を産んだ後、人工授精からのスタートで第二子も希望した。
しかし、第二子不妊治療で発覚した私のAIHはなんと0.03以下であり(打ち間違いではない。3や0.3ではなく、0.03だ)、もう30代半ばにして「閉経状態です」と2人のドクターに言われてしまったのだ。

低AMHどころの話ではない。
ほぼゼロに等しい。
50代女性のAMH平均値にすら到底及ばないのだ。
ちなみに第一子である娘の妊活時のAMHは年齢相応だった。
妊娠出産を経験する間に、私の卵子はすごい勢いで激減したのだ。

とはいえ当時0歳の娘を抱き、一応不妊治療は行った。

後悔はしたくなかったんだよなあ。

試行錯誤の末、採卵まで奇跡的に進み、たったひとつの卵をとることができた。
ハラハラする中、受精し分割も進み、お腹に戻すまではこぎつけたが、結局着床せずに終わった。

第二子は諦めることになった。

最初の1年は公園で遊ぶママと兄弟姉妹を見るだけで涙が溢れ、公園に背を向ける日々だったが、今はだいぶ楽になった。

※諦めきれず、娘が幼稚園に通い始めてから一度クリニックへ行ったことがある。
AMHは0.01以下になっており、ドクターからも「期待はできない。自分を納得させるための不妊治療になる」と言われた。
そこでもう踏ん切りがつき、我々夫婦は娘1人を大切に育てようと決めた。

3.今の生活について

夫は全国転勤のある会社に勤めており、娘が生まれて以降、毎年引っ越しを繰り返している。

九州在住。

また3月に引っ越すので、娘は次で5つ目の家だ。
この頻度で引っ越しするなんて、何というかもはや引越しのプロ。

親戚や親兄弟は遠方に住んでいるため頼るところは近くには皆無。
友人もママ友もいない為、日常では完全孤立孤独育児を極めている。
SNSで繋がったママ友だけが心の支えであり、現在進行形で、こそこそと重い友情を一方的に育んでいる。

4.趣味やすきなものについて


①おさけ
→ウイスキーと海外のビールが好き。
ウイスキーは泥炭臭いスコッチ、ビールはベルギーのビールが大好き。
ウイスキーは20代の頃、響21年を飲んで開眼した。

子供を産んでからはほとんど行けていないが、居酒屋やバーが聖地みたいなものだった。

カウンターのお隣さんと乾杯しまくって、会話を楽しんだり料理をシェアしたりするような「飲み人ならではのコミュニケーション」を心から愛してる。

好きなつまみは、イカゲソ、枝豆、鳥刺し、焼き鳥(ハツ、砂肝、鶏皮、レバーは鉄板)。
もつ鍋でのビールとかも想像しただけで…じゅるり。

大好き鳥刺し。たまらん


②音楽
→自然の音がすき。
人の声が入ると基本的には何でもうるさいなあと思ってしまう。
(同じ理由より、もう何年もテレビをつけていない)
音楽はなくても何ら問題なく生きていけるタイプだな。
お酒と一緒に味わうジャズとシャンソンはまあまあ好き。

③リフレッシュ方法
→水辺に行く事(海、川、湖など)、石を拾う事、野山のものを採集する事、木登り、カゴを集めること、踊ること(経験がないのでバリエーションはないしダサい踊りしか踊れない)、花を飾りドライフラワーにすること、化粧を落とす行為、アンティーク、器集め、料理、カリンバを鳴らすこと、刺繍や手芸をやること、コーヒーの香りを嗅ぐこと、旅行。

南部九州の田舎出身なので、落ち着く場所は、山川田んぼである。
子育てが終わったら、田舎に戻って、山羊と鶏と一緒に暮らしたい。

あと、興味のある分野としてはインテリアがある。
いわゆるインダストリアル系が好き。
今新しい資格勉強をと言われたら、迷わずインテリアコーディネーターだな。

私のパワースポット


④得意なこと
→手芸(編み物除く)、木工、料理、園芸、絵を描くこと、耳コピでピアノ弾けること。
器用貧乏なので、副教科ならば基本的に何でもできる。
手芸、料理、園芸は母仕込みだ。
木工や絵は父から。
ピアノは幼少期にやっており、このピアノの先生が大変なスパルタだった結果、絶対音感が育った。
完璧とは言わずとも聞けば楽譜がなくても何となく弾ける。

また子供のおもちゃは基本的には自作のものが多いし、おもちゃの修理も自分でできるものはやる。

運動はめちゃくちゃ嫌いだが、運動神経は良い方。
産前は嫌々ながらも健康のために、ランニングとロードバイクを細々としていた。

オリジナルの刺繍を施した娘グッズの一部。
同じ柄の表紙で全刺繍の布絵本も作った。
刺繍入りのワンピースやぬいぐるみも沢山作った。
ミシンは苦手なのでほぼ手縫い。

⑤ライフワークとアイデンティティ
→文章を書くこと、本を読むことは私のアイデンティティであり、ライフワークだ。

幼い頃からノートを持って木に登り、ひとりで物語を作ったり詩を書く事が大好きだった。
読書感想文も作文も小論文も大好きだった。

家には娘の絵本や読み物だけで400冊ほどあり、更に自分たち夫婦が読む本も山ほどある。
(引越しの主な大変さはこの本の量が所以)

頭が悪いので無理だと思うが、小説家になりたいとずっと思っていたし今でも思っている。
死ぬまで文章を書くことはやめられない。

文章上の私は、喋る私よりずっと私らしい。

5.私にとっての育児とは


自分は子育て向きの人間だと思っているが、我が子の「推し活」をするという意味での子育てとは少し性質が異なっていると言える。

元々「調査→思考・計画→実行しデータをとる→考察・分析」を繰り返すのが、物凄く好きな性格なのだ。
更に「マイナス思考の完璧主義者」ということも相まり、好きなことはとにかく突き詰める。

元々していた教壇に立つ仕事は、とても意義深い仕事だったが、ひとつ、にっちもさっちもいかない難しい部分があった。

「人が多い」んである。

残念なことに、日本の公立学校のひとクラスには偏差値40から偏差値70まで満遍なく存在する。
つまり、偏差値40には国語や言葉の魅力を伝え、関心を誘い理解を深めさせる授業の中で、同時に偏差値70の子どもの目も釘付けにさせなくてはならない。

私は一コマの授業に何層もの仕掛けを施した。

やはり個人的には偏差値70の扱いが難しかった。
「退屈」に耐え忍ばないといけない時間というのは誰にとっても「拷問」に近い。

当たり前に面白い分かりやすい授業だけでは駄目なのだ。

クラスには1言えば10を分かる人間だって存在する。
ならば、事前に1から70くらいは仕込んでおかなくてはならない。

私の教材研究は毎日明け方3時までかかって行われた。
内、1時間は無人の部屋で、通し授業である。

それとは別に、私にはどうしても常々無視できない視点があった。
私の大好きな言葉「生きる力」的な視点である。

国語のうんちゃらかんちゃらも大事なのだが、この「生きる力」の側面からみた「国語力」はマジのガチで大事だ。

話を「聞く」事ができず、メールもろくに「読み書く」ことができない、「話し」下手な社会人など、詰んだも同然である。
この「できない」がトリプルで揃った暁には、目も当てられない。

こちらは教材や教科書を通じて教えることに、すぐ限界を感じた。

もっと実践的で瞬発的、直感的に鍛えるべき力なのだ。

社会で必要とされる国語力はもっと流動的で不定型なものだ。
なので自作のワークシートを作り、授業の終わりに回答させ、回収し、4クラス分の全てに目を通し各々にコメントを書き…という仕事もしていた。

こんなことをしていたので、最終的には、疲れた。

こうなると、
部活なんてやってらんねーし、夜の街の見回りなんてやってらんねー、朝の挨拶活動?学校の周りに立っておはようございますー?は?

みたいな気持ちになってくる。
こちとら経験者でも何でもねえ、部活は習い事でプロに習え、夜に親に反抗して家を出て行った奴を探しにいくなど、そもそも親がやれだし警察に言え、挨拶や声掛けはコミュニケーションの基本なのだから中学生にもなって指導するなんて阿呆らしい、そんなことは当たり前にやれ、である。

継続するのは無理だと思った。
今の日本の教育現場はあまりにも整っていない。

その頃、時を同じくして姑が倒れ入院し、やれ手術だの洗濯物だの、部屋移動だのと、私が呼ばれることが増えた。
プライベートが忙しくなったこともあり、私は専業主婦へと転身した。

しかし何だ。
子供が生まれて気がついたのである。
「これは私がやりたかった人育てを遂行する絶好の契機だ」と。

相手は我が子、たった1人だ。
このたった1人を焦点に、この1人のためにオーダーメイドで自作した磨かれし珠玉の一弾を、この手で撃ち込めるのである。

しかもその反応や効果はダイレクトに私に跳ね返ってくる。
私はその反応や効果をみつつ、更なる珠玉の一弾を、思いつく限り用意して備えるのだ。

そう。やろうと思えば、そのたった1人のために、夜の3時まで弾を磨ける!

これはもう私みたいなオタク人間にとっては、楽しくてしんどい、もう育児が忙しくて忙しくて、嬉しいししんどいし嬉しいしで、たまらないやつである。

連日連夜、マシンガン改造にガトリングガン装備にと、忙しくて大変である。
専業主婦に休む暇なしとはこういうことだなあ(違う)

私の育児(人間育成)は、私の性格や特性を活かした趣味みたいなものだ。
本当ならばあと2人ほど同時に同じ空間で育て、互いの化学反応を見たくてたまらない。

弾をそれぞれ三発打ったその後の、核分裂的な相乗効果が生み出す景色を間近で見られるなんて、世の母たちが心底羨ましい。
鳥肌立ってゾクゾクするだろうな。
想像するだけで、鼻血。
AMH0.01以下のわたしには不可能なのだけれど。

長靴とレインコートを着て雨の日の桜を見に
(娘1歳)

・さいごに

うるさいようだが「親業=私の天職」だと思っている。

これまで様々な仕事に就いた。
そんな中、人に「この仕事は貴女の天職ね」と言われども、自分自身がそう思うことは一度たりともなかった。

そんな私が出会ってしまったのだ。
私の天職は母親になり育児、人育てをすることだ、と胸を張って言える。

これはもうノンストップ24時間稼働で、自分の時間を全てこれに当てがっても全く苦にならないくらい楽しい。
最高に面白いしスリリングだし、個人的には、やめられないし止まらない。
底なし沼である。
麻薬同然のどハマり具合で、毎日母親キメてはウヘウヘしている。

たいしてうだつのあがらないへーへーボンボンな女が、アラフォーにして、この類稀な「天職をみつける」というレアカードを引きあて、今までじゃ考えられないような人生薔薇色きらめきゾーンに入り、毎日が能力全解放の無敵&爆走状態だ。

しかし残念ながら、なんとこの「天職」、全く金にならない。

それでも我が子がすくすく大きくなってくれるのであれば本望であるし、目的達成であるし、至極当然、満足の極みである。

今日も明日も明後日も、私は深夜3時まで弾を磨く。

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