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Freedom from Suffering⑤ 苦から自由になる ルアンポー・プラモート師

(続き) たとえ呼吸を吸い込み吐き出す事ですら苦(ドゥッカ)なのです。座る事も苦であり、立つことも苦であり、横たわる事でさえ苦なのです。試しに呼吸をいっぱいに吸い込み留まってみてください。息を吐き出してはいけませんよ。苦るしくありませんか?ほんの一瞬ですら苦が始まるのです。では、苦を感じる時、どうすればよいのでしょうか?もちろん呼吸を吐き出し苦を和らげなければなりません。ですから呼吸を吸い込むことは呼吸を吐き出すことからの苦をやわらげる事であり、呼吸を吐き出すことは呼吸を吸い込むことからの苦をやわらげる事であるのです。呼吸を吐き出すことも吸い込むこともどちらも苦であるのです。
 時々大きな苦が訪れ、ある時にはほんの小さな苦が生じます。これらの事柄は気づきや智慧が無い状態で人は人生は幸せだと信じているのです。それは私たちが若くまだ子供や少年少女であったとき、身体があることは幸せだと感じていたのです。しかし年を取ったときに身体はとても苦であると感じるのです。その時に私たちは身体をうまくコントロール出来ないと感じ始める様になるのです。昔の様に思い通りに動かないのです。真実は身体はいつも苦であるのです。しかし私達にそれが観えていないのです。最終的に身体は苦以外何もないと明晰に観ることが出来た時、私たちの心は完全身体への執着を手放すのです。身体が年老いた時、それは身体の出来事なのです、心はそれによって苦にならないのです。身体に痛みが生じることは身体の出来事なのです、心は苦しめられないのです。身体が死ぬときであっても心はそれに苦しめられないのです。苦は身体に影響を与えますが、心には影響を与えないのです(続く)


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