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知り・目覚め・喜びに満たされた人 ルアンポー・プラモート師

ブッダは私達に苦(ドゥッカ)を知るようにと

教えました

身体を学び

苦が身体にあることを学び

心を学び

苦が心にあることを学ぶのです

学び続けていくです

真実に沿って学んでいくのです

すると

欲しいという心

執着という心から厭離し

それらの手綱が緩まってくるのです

そして

プッタの心が浮かび上がってくるのです

それはプールー(知る心)という事なのです

何を知るのでしょうか

それは

生の真実を知るのです

この生は

ルーパ(色)、ナーマ(名)であり

身体と心であり

他には何も無いのだと

苦(ドゥッカ)しか無いのだと

解るのです

苦が大きいか小さいかだけなのであると

拠り所になるものは何も無いのだと

解るのです

これがプールー(知る心)なのです

目覚めた人なのです

眠りから目覚めた人なのです

幸せを探し求める人というのは

夢を求める人なのです

夢の中を歩き回っても

本当の事では無いのです

本当の幸せは無いのです

しかし

喜びに満ち明るい人というのは

真実を知ることによる喜びで明るいのです

智慧による喜びなのです

執着する事が終わったのです

心が広大な喜びを持つようになるのです

自分自身から満たされることによる幸せなのです

欲に流されることによる幸せである必要が全く無いのです

この幸せは

欲望という心が終わったことによる幸せなのです

この世間ではこのことが分からないのです

この世間では

欲望という心から生じることによる幸せしか知らないのです

欲望が終わったことによる幸せを知らないのです

欲しい心が終わって

私達は真実を観ることが出来るのです

それは

プールー(知る人)真実をはっきりと観る人

ローカウィトゥーと言います

世間をはっきりと観る人

世間とは何でしょうか

世間とはルーパ(色)とナーマ(名)なのです

ルーパとナーマをはっきりと観る人

それは

苦(ドゥッカ)以外は何も生じない

苦以外は何も留まらない

苦以外は何も滅しないと

観えるのです

これが知る人(プールー)なのです

私たちが知るとき

直ちに夢の世界から外れるのです

夢の中の幸せから外れていくのです

私達は目覚めた人になるのです

眠っている人、夢の中人で

身体を忘れた人では無くなるのです

目覚めた世界に在るのです

真実の世界に在るのです

心がルーパ・ナーマ、身体と心の真実を知る時

渇愛(タンハー)が終わるのです

仏歴2566年7月16日


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