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The Path to Enlightenment Ⅱ 悟りへの道 苦の原因とは ルアンポー・プラモート師

 (続き) 普段人間も他の動物も満たされない望みが苦(ドゥッカ)を引き起こすと知っています。例えば年を取ったとき若くありたいと願う事は苦を生じさせます。健康でありたいと願いながらも病気になることは苦を生じさせます。不死になりたいと願いながら死に直面すると苦が生じるのです。私達が何かを手に入れたいと思いそれが叶わない時には苦が生じるのです。反対に私たちが望むものを手に入れた時幸福が生じるのです。

 修習者はこれよりも深い理解をします、それは渇望が苦を引き起こす。という理解です。渇望は心にそれを手に入れようと昼夜を問わず躍起にさせ”私”が楽を得て苦から逃れようとさせるのです。渇望が無ければ心は荒むいことは無いのです、満足と平穏となるのです。

 これらの四聖諦を理解した者は渇愛の有無に関わらず五蘊そのものが苦の原因だとはっきりと観える様になるのです。五蘊という苦の集合体はいつか身体と心は幸福をもたらたらすと無明のせいで信じさせられているのです。ですから身体と心が永遠に幸せであり永遠に苦からしまない様にと渇望(Samudaya)が生じるのです。そしていつでも不安定である心の葛藤が生じるのです、それはたとえ身体が死に壊れる時であっても心は無知の為に新たな五蘊を創り出し、次の生での苦へと続くようになるのです。四聖諦、身体と心の現象は苦の真因であるという事を知らないこの無知がすべての苦(ドゥッカ)の原因なのです。なぜならば、これらがルーパ(名)とナーマ(色)を掴むからなのです、新たな五蘊が形創られ、この輪廻が終わらないのです。苦の輪廻が終わることは無いのです。

The Path to Enlighetment Ⅱ Venerable Luangpor Pamoto Pamojjo

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