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助けたい人。



私は昔、社会の波に飲まれて溺れそうになった時、もがいてもがいてもがいていたら、大きな水しぶきが上がって、みんな必死に泳いでいるけれど、そんな中でも少しだけ余裕がある人がその大きな水しぶきに気付いてくれて、余裕があるから、助けられる人が助けてくれる!みたいな記事を見たことがあって。


だから、水しぶきをあげて助けてと暴れることは恥ずかしいことじゃないというか、それをしないと溺れていくだけなんだと。


溺れたいなら溺れるしかないけれど、溺れたくないなら、水しぶきをあげてもがくしかないのだと。



変に人の目を気にしたりその後の自分の立場とか、なんとかかんとかを気にしまくっていたら溺れるしか無くなってしまうけれど、そんなものを気にせずもがいてみればもしかしたら新しい選択肢や新しい仲間に出会えるかもしれないし。


とにかく、誰かに気付いてもらえるまで水しぶきをあげ続けることを諦めたらどちらにしろ溺れてしまうのです。


一度溺れて仕舞えばもう時間が経てば経つほど手遅れなわけで。



辛い時というのは、溺れないようにギリギリ水面で戦っているという状態ですよね?



そんな時、恥を忍んで助けてと水しぶきをあげてもがいている人がいたとして。


助けてあげられるくらいの技量があったり、何かに少しつかまって手を伸ばせるタイミングのある人だったり、とにかく手を差し伸べることが叶う状況だったとして。


それでも手を差し伸べるかどうかはあなた次第と言いますか。


その人がどんなに昔自分に嫌がらせをした人だとしても、逆にどんなに昔お世話になった人だとしても。



手を差し伸べられる理由がそこにあるかっていうのが決め手なのかなと。


きっと手を差し伸べるのにはリスクがあるし、それに時間を取られてしまうことであなたがやるべきことを後回しにしないといけなかったり、手を差し伸べなかった時と比べるときっと一緒に遠回りしたりしてしまうかもしれない時もあるかもしれないですよね。



そこまでして助けたいのか、そこまでしてあげられるほど余裕がないのか。


もう超シンプルに考えるしかないのかなと。



それでその人を助けて後悔したいか、助けないで後悔したいか。



それを瞬時に決断しているのは自分だということを思い出してみて欲しいと言いますか。


そしてその決断は間違っていないということを覚えておいて欲しいと言いますか。


その時その時に下した決断は、最善だそうですよ。


結果理想とは違うことが起きたとしても、それが最善だったはずって、ちょっと悟ってる方が言ってました。笑



例えば、すごく急いでるから、信号の少ない道を行きたいけど、逆にその道が混んでそうだから、信号は多いけどおおよそ時間通りに進みそうな道路を選んだとして。


結果ものすごい赤信号だらけで捕まりまくったとして、10分遅刻してしまったとして。


もちろん怒られるし、謝らないといけないし、もっと早く出れば良かったとかって思うかもしれませんが、早く出れば良かったは結果論なたらればであって。


そしてその赤信号に引っかかりまくったことは、引っかかりまくるべくして引っかかりまくっているのだとか。



信号が少ない方の道で変に飛ばしてしまって焦って他の車と事故ってしまっていたかもしれないのだと。


それを避けるために本能的に、いや宿命的に、その道を選んでしまったくらいのレベルらしいのだとか。笑


信じるか信じないかは、あなた次第…!笑



私はこういうの、信じてしまいます。笑



じゃ、しょーがねっか!ってな具合に。笑



今日はそんな助けたい人はきっと助けてしまうし、助けたくない人、もしくはどうしても助けてあげられない人は自分以外が助けるものかもしれないお話しでした。


また来週!



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