二種類の本と「知的ボディビルダー」

二種類の本がある。「基礎訓練」の本と「実戦」の本。

ジャッキー・チェンの『酔拳』のようなカンフー映画で喩えると分かりやすい。

①『酔拳』といえば、逆さ吊りになったジャッキーが、両手に持ったお猪口で、下の桶の水を上の桶に移し替える修行が有名。あれが基礎訓練。地道で退屈。しかも腕立て伏せとか、腹筋運動とかと同じで、アクロバティックなあの動きが出来たからと言って、閻鉄心(や桃白白や火雲邪神)には勝てない。

②ジャッキーはその後で、具体的な「酔八仙拳の形」を学ぶ。あれが実戦のための修行。あれを身に付けて初めて、映画はエンディングを迎えられる。

ジャッキー・チェンのハナシではなく、本のハナシなので、そっちに戻ると、〔難しい漢字と専門用語で抽象的なことばかり書いてある〕所謂「難解な本」が①に当たる。哲学書とか思想書とか呼ばれて、主に〔中学から大学くらいの一部の男子〕が苦労しながらも得意になって読む類の本。あの手の本を読むと、「本を読む基礎体力」とでも言うべきものが付くのは間違いない。心理的にも、「難解な本」に対しても物怖じしなくなるので、得るものは大きい。しかし、所詮①なので、そればっかり読んでいても、埒が明かない。ただの「知的ボディビルダー」になるだけ。

ボディビルダーに運動神経は必要ない(「SASUKE」の山田さんを思い出せ)。重いものは持ち上げられるが、逃げ回る鶏は捕まえられないのがボディビルダーだ(経験的に、喧嘩も弱い)。ボディビルダーの正反対が、生まれつきの喧嘩屋。基礎訓練もなにもしていないのに、路上で勝つ(しかし、重いものは持てない)。

哲学教授や禅坊主などはプロの「知的ボディビルダー」。生涯、基礎訓練だけをする人たち。彼らの醸し出す「役立たず感」は、ボディビルダーの「役立たず感」に通じる。

難解な本と聞いてすぐに思い出すのは吉本隆明の本。①の代表は『心的現象論』で、②の代表は『老いの超え方』。

知的ボディビルダーになりたくなければ、30を過ぎたら①の本は「卒業」しよう。というのが今回のハナシ。


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