武蔵とプーチン

ウクライナ侵攻が始まった頃、たまたま、『刃牙道』の終盤巻あたりを読んでいた。

『刃牙道』というは、大金持ちの老人が、遣伝子工学と降霊術を組み合わせ、道楽で、宮本武蔵「本人」を現代に蘇らせる所から始まる、それ自体はバカバカしい、ファンタジー格闘漫画。その後、戦国時代の元祖「最強」と、現代の「最強」たちの間で、〔典型的な・刃牙的な・荒唐無稽な〕「対決」が繰り広げられる。

それはいい。

この漫画を読んで誰もが気付く、この漫画の重要なモチーフは、武蔵の圧倒的な「場違い」感。

どういうことか?

武蔵は所謂「剣豪」なので、ここぞという対決では、刀(カタナ)を使う。一方、主人公バキに代表される現代の「最強」闘士たちは、原則、徒手空拳。つまり、武蔵が勝つと相手は死ぬが、バキたちが勝っても相手は死なない。両者の「勝敗観」は全く別物なのだ。

作品を読み始めた当初は、格闘技の元々は生命の奪い合いなのだから、武蔵の勝敗観こそが〈純粋〉〈ホンモノ〉で、バキたちのソレは所詮ただの〈アソビ〉に思える。しかし、巻数を重ねていくうちに、〔そうではないこと、「むしろ逆」なこと〕に気付かされる。

より純粋な勝敗観は、むしろ、バキたち現代の闘士たちの側にある。武蔵の「死んだ方が負け・生き残った方が勝ち」は、ちょっと格好をつけただけの、単なる捕食行動にすぎない。要するにネズミを殺すネコの〈勝敗観〉と大差ない。

対決の〈愉しみ〉や〈充実感〉は、相手の生命を奪うこと自体にはないことに、バキたちは〈気付いて〉いるが、武蔵がそれをはっきりと自覚するのは、殆んど最後の頃。それは、武蔵が、敵の息の音を止める手段〈にすぎなかった〉格闘技・剣術の近くに居すぎたせい。武蔵は、だから、立ち合った相手の生命を奪うことと、自身の〈剣の強さ〉を証明することを分けて考えることが、なかなか出来なかった。

〔相手の生命を奪うことを決着とみなす〕ことの一番のモンダイは、〔対決・対戦〕の外側に及ぶ〔対決の結果の影響〕が甚大なこと。具体的に言えば、敗けて生命を落した側の親兄弟・子、あるいは友人・同寮たちのその後の人生にオソロシイほどの影響を与える。これは既に、〔モノ好き同士が腕くらべ・力くらべをしただけ〕では済まされない厄介なモンダイ。「ナニカもう次元の違うハナシになってるよネ」という状況。

言ってしまえばこういうこと。

例えば、現代人の性行動は、殆んどの場合、繁殖目的ではない。妊娠はむしろ「失敗・しくじり」とみなされることが多い。バキたちは、純粋にsexを喩しむために避妊を怠らない。一方、武蔵は、本当はsexを喩しんでいるのに、その自覚がないから、相手を「ハラマセた」ことをヨロコンだり、自慢したりする。しかし! sexを喩しみたいだけだったのが、コトが妊娠にまで至ると、ホラ、もうやっぱり〔次元の違うハナシ〕になってしまう。

で、ようやく本題。

21世紀の今、大っぴらな軍事侵略をやってしまうプーチンは、現代の闘技場で対戦相手を斬殺してしまう武蔵なのだ。隣国との外交問題を〈解決〉する手段として、その隣国に実際にミサイルを撃ち込み、戦車を送り込むのは、野蛮というより、「分かってない」証拠。ちょうど、〔勝負を喩しむだけなら、何も相手を斬り殺す必要はない〕ことが分かっていなかった〔『刃牙道』の中の武蔵〕のように。

2022.05.24【穴藤】

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