『カムイ伝』:メモ

(【注意】『カムイ伝』が好きな人にとっては不快な内容です。お勧めしません)

『カムイ伝』(第一部、第二部、外伝)を読んだ一番の印象は「その場しのぎから来るマンネリズム」。読み始めた当初は、〔壮大な構想に沿って、はじめから終わりまで一分の隙もなく描かれた作品〕なのだろうと想像していたが、まるで違った。

「本伝」も「外伝」も、絵柄が変わるまではまだよかったが、絵柄が変わってからは、〔本質的に同じエピソード〕を、ちょっと目先を変えて繰り返しているだけ。

大体の見当でぼんやりと始めて、連載しながら、その都度思いついたことを描き繋げて数十巻の大作をでっち上げている印象。黄金期の少年ジャンプ漫画の大半もこれと同じことをやっていて、志ある当時の少年達を大いに白けさせた。

悪口ばっかり言うのもアレだから逆も言えば、士農工商の身分制度に苦しめられる人間たちの「リアル」は『カムイ伝』に学んだと言っても過言ではない。それは素晴らしいし、感謝している。のだが、絵柄が変わってからの『カムイ伝』は、どちらかというとただの「残虐ポルノ」。「外伝」の方も、絵柄が変わってからは、池波正太郎の原作を、さいとう・たかをが漫画にした一連の作品にそっくりで、まるで物足りない(実際、「外伝」の最終盤には「仕掛け人」が出てくる)。

『カムイ伝』を全巻読むと、白土三平が、水木さんや手塚治虫のような「国民的漫画家」の地位を獲得できなかった理由が分かる気がする(白土三平の業界内評価については関知しない)。端的に、幼稚で青臭いのだ。つまり、よど号をハイジャックして北朝鮮に亡命したり、テルアビブの空港で銃を乱射したり、毛沢東語録を掲げて造反有理と叫んだり、或いはISISにのぼせて中東に移住したりする類の〔世界や人間に対する認識の「簡単さ」〕が『カムイ伝』には溢れている。或いは、自衛隊員相手に屋上で演説してしまう三島由紀夫の「お人好しぶり」と言い換えてもいい。「成熟した大人」や「志ある少年」は、そんなものを有難がらないし、敬愛もしない。勿論、共感もしない。ただ、「簡単でいいねえ」と気の毒がり、と同時に警戒するだけだ。国民的支持なんて望むべくもない。

(2024年3月27日 穴藤)


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