TV版のセイラさんは口が堅い

そう、TV版のセイラさんは口が堅い。だから好い。シャアと三度目の再会をして、自分宛の金の延べ板が届いたあとで、シャアと自分の関係をブライトに打ち明けるけど、シャアが自分の兄で、彼の本名がキャスバルだということしか言わない。金の延べ板をホワイトベースのみんなで「気持ちよく」山分けしてもらうために、その出どころをはっきりさせて、なぜそれがセイラ宛てだったのかの理由を説明しただけ。「ジオン」の「ジ」の字も出さない。劇場版のセイラさんが叫ぶ「口先だけ」の「ジオンの子だということは自分たち兄妹には関係のない!」を、TV版のセイラさんはちゃんと実践しているわけだよね。(シャアと刺し違える覚悟も伝えるけど、これはブライトを「安心」させるためと、自分自身への決意表明)

唯一の「失敗」は、口を滑らせて「キャスバル兄さん」と言ってしまったこと。もちろんコレは富野さんの「意図」。要するに、ナンダカンダあってもやっぱりセイラさん(というかアルテイシア)は誇り高きお嬢様なので、「下々の者(ここではブライト)」に何でもかんでもべらべら喋って慰めてもらおうとはしないのだ、ということを示しつつ、しかし、ブライトが自力で、シャアとセイラが実は「ジオンの忘れ形見」であることに気づくために、「兄の名がキャスバルという兄妹」というヒントを(感情が高ぶったセイラがつい口を滑らせるという形で)与えているのだ。

ブライトがちょっと好奇心を起こしてネット検索すれば、ジオン・ダイクンには男女一人ずつの子供がいて、兄の方の名前が「キャスバル」なんてことはすぐに分かるだろうし、もしかしたら、検索なんかしなくても、敵国の元「王子」の名前くらい既に知っていて、シャワーを浴びているときに「あ、そうだよ!」と気づいたかもしれない。で、コレが、最終回の終わりの終わりで「ジオンの忘れ形見のセイラの方が…」という、ブライトの「俺、気づいてましたよ」セリフにつながる、という寸法。

それにひきかえ、劇場版のセイラさんは、まあ、浪花節。訊かれてもいないのに自分とシャアの本名をフルネームを明かした挙げ句、ジオンの子として生まれた自分たち兄妹の不幸を涙ながらにブライトに訴える愁嘆場。「おいおいどうした? セイラさん、ブライトのことが好きなのか?」って思ってしまうような、キャラの「崩れ方」に、引くやら苦笑いが出るやらで、もうヤレヤレ。何回観ても、「あー、ちがう」と思う。

いや、わかってますよ。分かりやすくしようしたら、どうしても、ああなっちゃんだよね。でもそうすると、現実の人間らしさが減って、演劇の登場人物感が増す。演劇の登場人物って、内省や内観に属するようなものでも、いちいち口に出して喋るけど、あれを現実の世界でやってたら、振り返えられたり目を逸らされたりするでしょ? 劇の中だけで通用する振る舞いは、観る側が「今見てるのは劇ですよバイアス」を作動させて観ているから「通用」するんだけど、それって、実は、観る側が「手加減」してるってことなんだよ。今見ているものが、劇の中だけで通用する振る舞いだって気づかなければ、まあ、そんな「手加減」なしで愉しめるんだろうけど。

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