自作台本「それがどんなに普通でも。」について

 初めまして、慧星風雪(けいせい ふうせつ)と言います。


 今回、mixiに上げている自作声劇用台本「それがどんなに普通でも。」(前編 https://mixi.jp/view_diary.pl?owner_id=24167653&id=1962351396 
後編 https://mixi.jp/view_diary.pl?owner_id=24167653&id=1962351405 )についてあれこれ思うところを書いていこうと思います。


 私は作品を作る際、キャラクターありきだったり展開ありきだったり、何か言いたい事ありきだったりと、それぞれの作品ごとにその始まりは異なるのですが、こちらの作品についてはまず言いたい事ありきです。


 「それがどんなに普通でも。」は、あらすじとしてはヒロインである たよりという18歳の女性が悲惨な家庭環境から逃げるため異世界に行き、そこでパソレットという男性と一緒に暮らすお話です。

 なお、たよりの両親はオカルトにのめり込んでおり、様々な魔法を実現する機械を作っていたため、たよりはその中の一つ「異世界移動」の機械を盗んでいます。ただ、それはたよりの取り扱いが悪かったのもあり異世界へやってきた際に壊してしまっています。

 この異世界というのは我々の住む世界と違い魔法が当たり前に存在する世界でありますが、それ以上に重要な事として、この世界では我々の住む世界で言うところの「とてつもなく親切な行為」が「ごくごく普通の行為」と認識されています。
 つまり、我々の住む世界とは大きく価値観が異なります。魔法がどうこうよりもこの価値観の違いこそが、異世界を異世界たらしめている部分だと言えるでしょう。
 また、たよりは家庭内で虐待されて育っているため、その価値観の違いというのはより顕著となっています。初めてパソレットと出会い、「普通の事」として優しくしてもらった際は非常に動揺したことでしょう。


 たよりは異世界に来たのは良いものの、そこで生きていく当てもなく、とある民家の屋根の下で雨宿りをしていました。そこの家主がパソレットです。彼は諸事情から翻訳の魔法を習得しているため、たよりの言語を聴いてすぐに法則性をみつけ、その魔法によりお互いの言語を自動翻訳し会話ができるようにしました。

 その後すぐ、お風呂を貸したり食べ物や着替えを用意したりなどし、また事情を聴いて行く当てがない事を知ると、彼は当たり前のようにたよりをその家に住まわせる事となりました。

 たよりはパソレットの一つ一つの言動全てに困惑します。あまりにも自分の中にある常識と彼の言動とが違いすぎるからです。彼にとって、そしてこの世界にとっての「普通」が彼女にとっては「親切すぎて訳がわからない」というものでした。


 たよりは言語の違いから自分ひとりでは他の人と言葉を交わす事すらできず、また外に何があるのかも何も分からないため、その後1か月、基本的に彼の家の中だけでの生活を続けます。あまりにも忍びないため、率先して家事を行うものの、今までの経験もあり、また、自分が何の役にも立っていないという思いもあり、少しでも上手く行かないとすごく落ち込み、またびくびくと怖がってしまっていました。

 そんなたよりを見てパソレットはいたたまれない思いをするとともに、段々と、ある気持ちが沸いてきます。

 自分が普通にしているだけでやたら感謝され、まるで親鳥に対する小鳥のようになつかれる事に対する喜び。そして、もし自分以外がたよりに「普通」に接したらたよりはその自分以外に対しても感謝し、好意的に接していくのだろうという確信。それに対する恐怖。

 あまりに大げさに感謝し、慕ってくれている事への愉悦。それが自分だけでなく他の人にも向かうかもしれない、更には自分が一番でなくなるかもしれないという事への恐怖。パソレットはたよりからの尊敬を自分だけで独占したいと思うようになっていきます。もっと悪く言ってしまえば、自分だけのお人形さんにしたい気持ちが芽生えてしまいます。


 ただ、そんな気持ちは間違っているという事も当然彼は知っています。だからこそ、たよりが「パソレットの使っている、翻訳の魔法を私も覚えたい」「自分一人でも何かできるようになりたい」と言い出した際にはそれに反対せず、その気持ちに応えようとします。


 彼はその後もずっと、自分の中のたよりを大事に思う気持ちと、たよりを自分だけの物にしたいと思う気持ちとの間に揺れながら、常にその両者の中で苦しみ抜いてたよりを大事に思う気持ちを優先させていきました。常に醜い心との戦いに、ぼろぼろになりながらすんでのところで勝利し続けていきました。

 私がこの作品で一番描きたかったものはそれなんです。後ろ暗い気持ちを抱きながら、その気持ちで人を傷つけないよう、どうにか正しくあろうとする。その揺れ動いて揺れ動いて、頑張ってより良い選択をする過程でどんどん気持ちが疲れていく、すり減っていく姿を私は描きたかったんです。

 彼は私の中で英雄というか、私のなりたい姿みたいなところがあるんですよ。自分が特別でありたい、自分が特別である証拠が欲しい。一番でなくなるのが嫌だ。そういった気持ちに負けないで、すべき事をして言うべき事を言う。きちんと人を愛せる強い人になりたい。この作品にはそんな願いが込められています。

 この作品に限らず、私の書く作品の、特に主人公やヒロインは私の持っている後ろ暗い部分やそれを元にしたものを抱えている事が多いです。そして、それを乗り越えたりそれと折り合いをつけながら頑張っていたりしていて。だから私にとっての英雄みたいな人が多いんです。

 また、彼の持つ後ろ暗い気持ちというのは恋愛関係に限った話じゃなく、広く一般的に生まれ得るものだと思っているので、私は作中において、彼のたよりへの気持ちが恋愛感情であるか否かはあえて触れていません。



 また、たよりについてはとてつもなく儚く弱いけど、見ている人が「この人が近くに居たら、力になりたいと思うだろう」と感じるような人物として描く事を心掛けていました。

 精神的にもだいぶ弱っていて、その上言語の問題もありで、一人で外に出て買い物をする事すらままならないながらも、家事に勤しんだり翻訳の魔法を自分でも使えるようにと練習をしたりと、とても健気な人物です。

 ただ、それは無意識的か意識的かは分からないものの、実家に居た頃の「全力で媚を売って親の機嫌を取っておかないと殴られる」という記憶の積み重ねが生み出した、とにかくできる事を頑張って役に立とうとする習性となっている部分もあるのだと思います。

 また彼女は人の優しさにろくに触れる事なく生きてきたからこそ、普通見逃すような小さなものでも、人の優しさにも気付く事ができるのだと思います。そんな彼女だからこそ、パソレットが自らの後ろ暗い気持ちをたよりに伝えた際にも、それをまっすぐ受け取った上で、彼に自分の感謝の気持ちをまっすぐ伝える事ができましたし、パソレットは彼女の気持ちに救われたところがありました。

 たよりは兄の砂潺(させん)について「兄さん」などといった呼び方ではなく「砂潺さん」と呼びますが、これはおそらく「本当に兄なんだったら助けてくれるはず」という思いから、自分を親から守ってくれなかった砂潺の事を兄と呼びたくないのだと考えられます。

 ただ、彼女はそんな砂潺について「親が怖くて、私を助けてまで敵対できない気持ちは当然分かる」「でも親に私を殴るよう命令されても、うまくはぐらかして決して自分で殴ったりはしなかった」と、彼の事を決して心から恨んでいるわけでもない事を明かし、物語の最後で、彼女を心配し異世界にやってきた彼と別れの挨拶をする事を決めます。

 また、彼女は砂潺を恨む気持ちについて「親が怖くて恨む事すらできないから、砂潺さんの事を三人分恨んでるんだと思う」としている事から、感情的に動いてしまわないよう、努めて自分の事も客観的に観察しているのが分かります。



 そのたよりの兄、砂潺(させん)についてですが、彼は21歳で、たよりより3つ上です。

 彼はたよりと違い、両親に気に入られており、また学業においても部活においても良い成績を残し、一見するととても順風満帆な学生生活を送っているように見えます。

 ただ、彼は親の跡を継がせられ、魔法の研究などというオカルトな事をさせられている事、そして家政婦兼ストレス解消の道具として扱われている妹の事。その二つが非常に大きな悩みとしてありました。

 親に屈し、したくもない研究なんかをさせられ、逆らったら妹のようになるという恐怖。そして兄でありながら目の前で苦しんでいる妹を常に見捨て続けているという無力感と自らへの失望。にも関わらず傍目からは立派な優等生のように見られている。その落差の気持ち悪さ、居心地の悪さ。


 そんな中、彼の妹、たよりが時空移動の魔法を再現した機械を盗み、異世界へと逃げた事を知ります。彼は後先を一切何も考えず、何の準備もなく、予備の機械を使って彼女を後を追いました。

 その後パソレットの師である、シュリンターに拾われ、そこで二人で妹を探すのですが、ずっと考えます。思わず追ってきたものの、自分は果たして何がしたいのか。妹に逢えたとして何を言えるのか。

 そしてついに妹と再会し、彼が言ったのは「助けなくてごめん」という言葉。「助けられなくてごめん」ではなく「助けなくてごめん」というのが、彼の嘘偽りのない気持ちでした。ずっと親に歯向かう事から逃げ続けてきた奴ですが、ここだけは逃げちゃいけないって思ったんでしょうね。その気持ちの表れが、この「助けなくてごめん」なんです。


 結局彼はパソレットやシュリンター、そしてパソレットの仕事の同僚であるファクシンに妹を託し、一人で帰還します。

 人が悪い事をする理由の大半はその人の弱さであると私は思うんです。そこへ行くと、彼がずっと親を放置し妹を見捨て続けるという悪行をしていたのは、彼の親が怖くて逆らえないという弱さから来ているものです。

 その一方で、彼が妹を心配し異世界にまで追いかけ、無事を確認したら謝った後、すぐに一人で帰ったというのは、間違いなく彼の強さが実現させた善行であると言えるでしょう。



 その砂潺をかくまっていた、パソレットの師であるシュリンターについては、最初は物語の成り行き上生まれたキャラクターでした。

 異世界において言語が通じないという設定上、砂潺が一人でたよりを探すのは無理があるという事で、彼に協力者が必要となったわけです。

 というわけで生まれた、パソレットの師、シュリンターは普段の私の口調をそのまま使って喋ってもらっています。それも物語の成り行き上生まれた事から来ています。

 とりあえず口調の設定をしないと試しに書き進めるという事もできないため、「とにかく話を書いてみる」必要性から、きわめて適当に私の口調をそのまま真似てもらい、結局そのまま全部私の口調を元に彼女の台詞を書き上げる事となりました。書いているうちに、シュリンターへの思い入れも増していき、この口調じゃないとシュリンターじゃないって思うようになりましたし。

 結果的には面白い人物に仕上がったんじゃないかなと思うとともに、結果的に彼女の性格や言動は私が学生時代にお世話になった准教授(以下、S先生とします)の影響が出てるなって感じました。恐らく書いている最中は意識していなかったと思うのですが、教授という存在に対するイメージとして、こう、片付けが苦手で、割といい加減で、楽観的で……そういったものがありまして。それが、考えてみればあのS先生から来ているんじゃないかなって思うんです。


 そういう発見もまた、私が創作をしていて楽しいって思うところの一つですね。あ、あと彼女の発言で「(前略)そんな境遇の子を自分が直接よく知っていて信頼しているわけでもない相手に預けて保護を任せる事ができるかと問われればかなり悩む程度には、この世界も平和に満ち満ちてはいないよ。」というものがあるのですが、私と付き合いの長い方には分かってもらえるんじゃないかなと思いますが、私、この台詞めちゃくちゃ好きなんですよ。この無駄に長ったらしい言い回しをするところ。

 私の作品の定番みたいな感じですね、こういう無駄に長ったらしい台詞。多分言ってる本人は楽しいんでしょうけど、聞いてる人は「さっさと終われ、もっと簡潔に言え」って思ってるんでしょうね…。でも好きなんですよ。現実でこんな喋り方したら普通に反感買うでしょうし、作品の中に落とし込むのは許してほしいんです。




 さて、ここまで4人の人物について語ってきたので、次はもう1人の登場人物。ファクシンについて語ろうと思います。

 彼はパソレットの同僚であり、学生時代の後輩です。彼とパソレットは学生時代、歴史学者になるべくともに勉学に励み、そこで翻訳魔法も習得したのですが、二人とも学者への道を断念し一般企業に就職しています。

 彼もまた、言ってしまえば物語の成り行き、必要性から生まれた人物ではあります。パソレットが彼にたよりの事を話し、協力を仰ぐ事でパソレットが自らの独占欲を乗り越える様を描く。その必要性から彼は生まれたと言えます。

 ただ、その展開において彼は見ている側にとっても「この人は絶対たよりに何かひどい事をしたりなんて事はしないだろう」と思ってもらえる人物である必要がありました。なぜならそうでないと「いやでも、この人ちょっと危ない感じもあるし、この人とたよりを遠ざけておこうとするのは至極まtっとうな判断だろう」という言い訳が生まれてしまうからです。

 この世界の住民はみんな我々の基準で言うところの「良い人」であるという世界観の問題もあり、また、パソレットの中での言い訳を作ってはならないという事もあり、私はファクシンをぐうの音も出ない、すさまじく気持ちの良い善人として描きました。


 そのためか、彼を書いている時はとても気分が良かったです。なんていうか、成人男性のくせしてかわいい奴なんですよね、ファクシン。パソレットに食事を奢ってもらう場面なんて特に。

 ただかわいい奴ってだけじゃなくて、ちゃんと真剣に話も聴いて、真剣にたよりの事も考えているので、本当に良い奴なんだなって思います。それに彼って、心底パソレットの良心を信じていて、ひとかけらもそれを疑っていないんですよ。だからパソレットの中の後ろ暗い気持ちなんてほんの少しも察していないんです。

 あの世界観だから良いものの、この人疑う心が無さすぎていつか人に騙されるんじゃないかって思わなくもないですが、まあ多分大丈夫でしょう。誰でも無条件に信じるわけじゃないです。きっと。

 それとですね、彼の「なんだか楽しいですね」からの発言が、私はとても好きなんです。歴史学者を諦めてしまったけど、その過程で学んだ翻訳魔法がこうして人のために使えている。その事実が嬉しいという彼の気持ちが、とっても良いなって思うんです。私も今まで色々諦めてきたし、だめになった事もあったけど、彼みたいに思える時が来たら、本当に良いなって。




 という事で、人物について色々書いてきましたね。最後にここまでで触れられなかった点を2つほど書いて、それからまとめを書いて、それで終わろうと思います。


①彼らの名前について

 たより、砂潺はそれぞれ「遠くから来たもの」というイメージで名前がつけられています。たよりは「誰かに受け取ってほしいという願いのこめて、遠くからやってきたお便り」砂潺は砂のせせらぎという漢字から「川の流れに身を削られ続けながら、やっとの思いでぼろぼろになってやってきた砂つぶ」というイメージです。
 それに対し、異世界に住む人間は、我々の世界でのよくある名付け方である「自然の物から持ってくる」というのとの対比として「人工物を掛け合わせて作る」という名前の付け方をしています。パソレットはパソコンとタブレット、ファクシンはファックスとミシン、シュリンターはシュレッダーとプリンター、名前しか出ていないもののアイロフォンはアイロンとフォン。


②こだわりについて

 ここまでに書けなかった、この作品についてのこだわりとして、まずパソレットとたよりが恋仲か否かはそれぞれの人の自由としたかったため、彼らが一緒に寝る場面は絶対に描かないようにしました。流石に一緒の布団で寝ていたらそれはどう見ても恋仲でしかないだろうと。

 それと、パソレットは必ずたよりをたよりとしか呼ばないようにしています。そういう傾向があるとかではなく、例外なく絶対に彼はたよりの二人称をたよりとしています。彼は別に明確に意識しているわけではないかもしれませんが、恐らく彼女が今まで「たより」と呼ばれる時の多くは親に怒鳴りつけられている場面だったであろうという事から、その記憶を上塗りしたい気持ちでできる限りの愛情を込めて常に「たより」と呼び続けているのだろうと思います。






 さて、ここまで長々と書いてきましたが、やっぱりこういう、自分の作品に対する気持ちというのは表に出したくて出したくて仕方ないものの、いざちゃんと言葉にしようとすると結構大変なんですよ。

 それでも今回、こうしてちゃんと形にできたのはエネルギーが満ち溢れていたからに他ならないです。そしてそのエネルギーというのは、私の友人がこの台本で声劇をしたいと言ってくださって、それが嬉しくてたまらなかった事から生まれたものです。

 書きたいから書いている。それは間違いないんですが、それでもやっぱり書いたからには読んでもらいたいし、好いてもらえたら当然嬉しいに決まっていますから。


 これまでもこれからも、この作品に限らず、私の作品を読んでくださった方には感謝しかないです。もしそれで好いてもらえたら、本当に嬉しいですね。


 それでは、ここまでこのnoteにお付き合いいただき、ありがとうございました!今回の投稿はここで締めさせていただきますね。また作品語りなり自分語りなり投稿する事もあると思いますので、もしご興味を持っていただけたら、読んでくださると嬉しいです!

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