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首のカラーを外す(自宅待機 13)

「メイちゃんのお家」の永本さんに電話でチビのことを知らせたら、とても残念がって、一生懸命慰めてくれた。
 最後には涙声になっていた永本さんは、チビのことを本当にかわいがってくれたのだと思う。
 チビも永本さんにはなついていたのだろう。

 友人たちにはずいぶん慰めてもらったが、なかなか心が安まらなかった。
 けれども、実際にチビを知っている永本さんに話したら、すうっと胸の痛みが引いていくような気がした。

 翌日、チビの写真を永本さんに送った。猫部屋の低い戸棚の上で眠っているところ。ここは日当たりが良く、チビのお気に入りの場所だった。
 バレンタインデー用のピンクのカードに写真をはさんだら、ちょうどハート形に開いた穴にチビの顔がぴったり合った。

 数日後、永本さんからチビにお花が届いた。真っ白なストックとレースフラワーに、ピンクのガーベラ、薄紫のスイートピー、淡いピンクのバラをあしらったアレンジメント。
「チビちゃんのことは一生忘れません」と書いたカードが添えられていた。

 他の猫たちのことを覚えている者はもう私しかいないが、チビには死んでからも思い出して懐かしんでくれる人が私以外にもいる。それは大きな慰めだった。

 ところで、いつ頃からかはっきり覚えていないのだが(1月の半ば頃だったか)、お風呂に入ったとき、両手の親指と人さし指の間がお湯の温かさを感じなくなっていた。
 変だとは思ったが、さほど気にしていなかった。
 2月に入ってまもなく、今度は手の甲がやけに冷たくなった。指先も常に氷のように冷たい。

 同じ頃から、目玉クリップで物を挟んだり、ホチキスで紙を留めたりするのに苦労するようになった。
 入院中から握力は落ちていたが、退院後すぐはホチキスが使えないほどではなかった。
 それが、ほんの数枚の書類を留めるのに、ホチキスの針を何10個も無駄にした。
「この針、弱いのかしら?」
 ホチキスが留められないのは自分の手のせいだと思わず、針が悪いのだと思っていた。

 2月17日、九段坂病院へ頚椎のMRIを撮りに行った。
 検査後の診察で、MRIをガラスボードに並べていた中井先生に、
「アンヌさん、前より悪くなったところない?」
 と聞かれた。
 前より悪くなったところ? そう言えば……
「最近、右手の指に力が入らないんです。それと、もう何日も前から手の甲が冷たいんですけど。冬だからかな」

 ぼんやり手を眺めながらそう答えたのを聞いているのかいないのか、中井先生はMRIの写真から目を離さずに、
「なんだか変だぞ。こんなの見たことがない」
 とおっしゃる。

「えーっ、なに、なに?」
 思わず椅子から立ち上がってガラスボードの写真をのぞきに行った。
「真っ白になっている」
「どこが?」
 不安に駆られて写真を見ると、灰色に写るはずの脊髄の中が細長く白くなっていた。
「なんですか、これ?」
「空洞だろうと思うけど」
「脳腫瘍の影響ですか?」
「きっとそうだ。早くした方がいいな」

 いつもゆったり構えてユーモアを感じさせる中井先生にしては珍しく、深刻な表情になった。
 どおりで毎日頭が痛むはずだ。
 ここ数日はもう限界のような気がしていた。頭の中の爆弾がいつ破裂してもおかしくない。3月まで持つかどうか不安になった。

 中井先生は脳外科の臼井先生に手紙を書いて、MRIも貸し出してくれた。
 手術が早まるようならカラーを外さなくてはならないが、今すぐカラーを外してもいいかどうか、レントゲンを撮って見てから決めるということで、レントゲンを撮りに行かされた。

 立ったままカラーを外して4枚。手術以来、寝ないでカラーを外したことはなかったし、4枚目は下を向いてと言われたのでちょっと怖かった。
 下を向くと首の後ろが痛かったが、多分、動かさなかった筋肉を動かしたせいだろう。

 レントゲンの結果、カラーを外してもいいと言われた。
 枕も今まではバスタオルを折り畳んで枕代わりにしていたが、普通の高さの枕を使ってもいいとのこと。

 家に帰ってから、おっかなびっくりカラーを外してみた。
 痛くも何ともないからすっきりしたが、今までの癖で首を動かさずに体ごと方向転換してしまう。
 カラーを外したまま時間がたつと首が凝ってきたので、首を回す運動をしたかったが、首を動かすのはまだなんとなく不安だった。

 手術に備えてカラーなしの状態に慣れるために、家の中では外して過ごし、外出時にはカラーをはめることにした。


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