アンヌ

自分では気がつかないうちに頚椎と脳に腫瘍ができて大きくなっていました。 幸い摘出手術は…

アンヌ

自分では気がつかないうちに頚椎と脳に腫瘍ができて大きくなっていました。 幸い摘出手術は成功しましたが、また別の腫瘍が次々に見つかり、それぞれ対処したり経過観察しています。 そんなことも含めて、これまでに出会った人たちや、心に残る出来事を綴っていきたいと思います。

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目次(入院以前のこと・頚椎腫瘍)

腱鞘炎(入院以前のこと 1) 足のしびれ(入院以前のこと 2) 中井先生(入院以前のこと 3) 入院初日(頚椎腫瘍 1) 先生を脅した茅ヶ崎夫人(頚椎腫瘍 2) 脊髄造影(頚椎腫瘍 3) 脳腫瘍(頚椎腫瘍 4) 造影剤の副作用?(頚椎腫瘍 5) 手術(頚椎腫瘍 6) 回復室にて(頚椎腫瘍 7) 多発性神経線維腫(頚椎腫瘍 8) 仰向けに寝たまま食べるには(頚椎腫瘍 9) 元の病室へ(頚椎腫瘍 10) 首には傷が2つある?(頚椎腫瘍 11) フィラデルフィアカラー(頚椎腫瘍

    • 首のカラーを外す(自宅待機 13)

      「メイちゃんのお家」の永本さんに電話でチビのことを知らせたら、とても残念がって、一生懸命慰めてくれた。  最後には涙声になっていた永本さんは、チビのことを本当にかわいがってくれたのだと思う。  チビも永本さんにはなついていたのだろう。  友人たちにはずいぶん慰めてもらったが、なかなか心が安まらなかった。  けれども、実際にチビを知っている永本さんに話したら、すうっと胸の痛みが引いていくような気がした。  翌日、チビの写真を永本さんに送った。猫部屋の低い戸棚の上で眠っている

      • 頭に爆弾を抱えている(自宅待機 12)

         頭痛は毎日していた。  起き上がるときの例の脈打つような痛みだけではなく、夜寝ている間中、後頭部が痛かったり、夜中は何ともなくて朝起きたら頭の右側が痛かったり、強弱の程度は日によって違うが、常に後頭部か頭の右側が痛かった。  前の日に動き過ぎて疲れると頭痛がひどくなると思って、1日に体を動かす量を制限していた。  仕事の用事で出掛けたら買い物には行かないとか、お風呂に入ると体力を消耗するので、出掛けたり洗濯もした日には入浴しないとか。  それと、空腹を我慢しても体力がな

        • 再び脳外科へ(自宅待機 11)

           2月1日、寝箱を棺にしてチビをその中に寝かせ、電話で霊園に火葬の依頼をしてから虎の門病院へ出かけた。  18日に九段坂病院へ行ってからすぐに脳外科を受診したかったが、臼井先生の外来がある金曜日(21日)は体調が悪くて行けなかった。  翌週の火曜日(25日)は臼井先生が休診で、金曜日(28日)に電話したら、先生は学会のため海外に出張していると言われた。  ようやく受診できたのがこの日だった。  臼井先生に中井先生からの手紙を渡し、早く手術を受けたいので入院日を決めて欲しい

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        目次(入院以前のこと・頚椎腫瘍)

          チビとの別れ(自宅待機 10)

           チビは1月6日からほとんどものを口にしていなかった。抱くとぐっと軽くなってしまって、体がだるいらしく、あちこち向きを変えて寝ていた。  食べなくなって10日目、チビはもうだめかもしれないと思った。あと1週間かそこらしか持たないかもしれない。  そんなことを考えていたら、次の日の朝はカリカリを食べた形跡があった。  猫部屋には常に新鮮な水と、食べても食べなくてもカリカリを置いていたが、朝起きて水を取り替えようとしたら、お皿に盛ったカリカリが舌で押されたように片側に寄ってい

          チビとの別れ(自宅待機 10)

          友人たちの応援(自宅待機 9)

           外を歩くと寒さのせいか、それとも腫瘍のせいか、頭全体が真綿で締め付けられるような感覚があった。  同じマンションの顔見知りの奥さんたちに会って、首の腫瘍を取ったことを話し、「まだ脳にもあるの」と言うと、一様に、 「明るいわねぇ」  と感心される。  よく買いに行くお弁当屋の奥さんにも、 「そんなふうに見えないわね」  と言われた。  無理して明るく振る舞っていたわけではないが、暗い顔をしていられない性分らしい。  それもあるし、落ち込まずにいられたのは友人たちの励ましも大

          友人たちの応援(自宅待機 9)

          杖をついて歩くということ(自宅待機 8)

           1月も下旬になると、だんだん重いものを持てるようになってきて、お惣菜とキュウリを買って、片手にぶら下げて持ってこられるようになった。  この冬は雪が多く、みぞれが降ってひどく寒い日もあった。雨やみぞれが降ると傘は重いし、杖をついているから両手がふさがって不便だ。  物を持つことを考えると杖を外した方が便利だが、右足がまだ弱いので、杖をついていると安定感があるし、道行く人もよけてくれることが多い。  自分が杖をつくようになって、世の中には足の悪い人が多いことに気がついた。

          杖をついて歩くということ(自宅待機 8)

          ケイコさんの支援(自宅待機 7)

           天気予報では雪になると言っていたのに、気温が高いので雨になった土曜日の午後、ケイコさんが両手に持ち切れないほど食料を持って来てくれた。  手作りのミネストローネ、水菜と生揚げの煮びたし、いんげんのごま和え、関山のちらし寿司、アンデルセンのパンをいろいろ(その中から私はぶどうパンとアーモンドのペストリーをいただいた)、それにケーキまで。  ケイコさんは元々は仕事関係の知り合いで、私の顧客筋に当たる人だったが、いつの間にか友達付き合いになり、10年以上つかず離れずのお付き合い

          ケイコさんの支援(自宅待機 7)

          緊急事態発生(自宅待機 6)

           九段坂病院を退院するとき、N先生が中井先生の外来予約を25日に取ってくれた。  ところが、11日に虎の門病院の脳外科を受診したら、すぐにでも手術しなければならないほど脳腫瘍が進行していることがわかったので、首のカラーを外してもいいかどうか中井先生に早急にお伺いを立てなければならなくなった。  以前は寝ていて起き上がったときに頭痛がしていたのが、寝ている間も後頭部が痛くて気になるようになっていた。  痛み止めのロキソニンを出してもらっているので1日3回飲んでいたが、効いてい

          緊急事態発生(自宅待機 6)

          脳外科受診(自宅待機 5)

           1月6日(木)、明け方、例のぐわんぐわんと脈打つような痛みに襲われた。  前日は具合が良く、買い物がてら銀行や郵便局へも行ったのに、やはり調子に乗って動き過ぎると次の日に響く。  この痛みは久しぶりだった。退院してから頭痛が起きないので、もう大丈夫だと思っていたのに、髄液の漏れがひどくなったのかと心配になった。(実はこの頭痛は髄液とは関係なかったのだが、この時点ではまだわからないのでそう考えていた)  お昼過ぎになっても、寝ていても、ずっと頭が痛かった。  夜もひと晩中

          脳外科受診(自宅待機 5)

          お風呂の入り方(自宅待機 4)

           友人からお風呂の入り方について質問されたので、ここでお風呂の入り方を説明しておこう。  入院中は入浴時には入浴用のカラーに付け替えていたが、自宅では入浴用のカラーがないので、ふだんはめているカラーの布製のカバーを外して入っていた。  まず、横になって今つけているカラーを外し、カラーについている布カバーを外す。  布カバーを取ったむきだしのカラーをもう1度首にはめてお風呂に入る。  洗うのは国分寺のお姉様に教えてもらった方法で、シャワーを高い位置に掛けてお湯を出しっ放し

          お風呂の入り方(自宅待機 4)

          雪の大晦日~悲惨なお正月(自宅待機 3)

           大晦日は大雪になった。入院中も何度か降ったし、暮れのうちにこんなに雪が降るのは珍しい。  午前中に洗濯。病院でも下着やパジャマなどはコインランドリーで洗濯していたが、家に帰ったらシーツなど大きいものも洗うことになる。  腕の力がないので、大きなものは洗濯機から取り出したり、広げて干したりするのがひと苦労だ。  まったく、呆れるくらい力がなかった。  ふとんはもちろん敷きっ放しだが、寝ているうちにずれてしまった掛けぶとんや毛布を整えたくても、毛布を両手で持って広げることも

          雪の大晦日~悲惨なお正月(自宅待機 3)

          硬膜の水漏れ(自宅待機 2)

           退院した日の夕方、お隣りのおばさんからインスタントのお吸い物や味噌汁の差し入れがあった。  翌日は荒巻鮭の切り身をいただいた。おいしい鮭で、スーパーで買った鮭は食べないチビが、おばさんにいただいた鮭は喜んで食べた。  ご近所のNさんも心配して様子を見に来てくれた。  私が1人でもなんとかやっているのを見て安心したらしく、お茶を飲みながら少しお喋りして帰っていった。  こうして近所の人たちが気にかけてくれるのは心強い。  京都の恭子さんからお見舞いの京菓子と、元旦にお茶に

          硬膜の水漏れ(自宅待機 2)

          帰宅(自宅待機 1)

           退院した日は駅の近くでお弁当とパック入りのお惣菜を買って帰り、ボランティアのOさんにも食料品の買い物を頼んで、手をかけずに口に入るものを買い置きした。  まだ重たい物を持つことができず、買い物をしてもせいぜい500グラムぐらいのお弁当をぶら下げて帰るのが関の山だった。  牛乳の1リットルパックは両手で抱えて、冷蔵庫から食卓に運ぶのがやっと。  毎朝コーヒーを飲んでいたマグカップも重く感じられ、薄手の軽いカップを使うことにした。  両手を上に上げて棚の物を下ろしたりもでき

          帰宅(自宅待機 1)

          退院(頚椎腫瘍 32)

           今年も残すところわずかとなり、病院も年末年始の準備に入って、どの病室も空きベッドが目立つようになった。  体調が回復した患者は年内に退院するし、長期入院の患者もお正月は家族と一緒に過ごすため、次々と一時帰宅し始めた。  病室の前に置かれていた歩行器がすっかり片付けられてしまったので、廊下はいやにがらんとして、病棟全体が閑散とした雰囲気に包まれた。  私の病室でも、既に錦糸町のおばあちゃんと国分寺のお姉様が退院し、新たに入室したSさんは別の病室に移ったので、私の他は茅ヶ崎

          退院(頚椎腫瘍 32)

          退院許可(頚椎腫瘍 31)

           クリスマスに一時帰宅する前、N先生には28日に退院したいと伝えておいた。  先生からは、24日に帰宅してみて、その結果を見てから相談しようと言われたが、24日の夕方病院に戻ってから先生には会わなかった。  24日は金曜日で、週末は先生は休みだから、翌日も翌々日もN先生には会わなかった。  病室のメンバーはもとより、顔見知りの他の病室の人たちや、親しい看護師さんたちに聞かれるたびに、 「来週の火曜日に退院するの」  と言ってから、 「って、自分で勝手に決めているんだけどね。

          退院許可(頚椎腫瘍 31)