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深夜のうめき声(頚椎腫瘍 21)

 上野のオババが手術を受けた日の午後、茅ヶ崎夫人も腰の手術を受け、2人揃って回復室に泊まることになった。

 その晩、消灯時間も過ぎてしばらくたった頃、さほど遠くない部屋からうめき声が聞こえてきた。どこかが痛いというより、呼吸が苦しそうな声だった。
 同時にナースコールも鳴り出した。

 夜中にナースコールが鳴ると、夜勤の看護師さんがすぐに音を止めて見に行くのだが、このときはなかなか音がやまなかった。
 夜勤の看護師さんは2人いるから、どちらか1人は手が放せないとしても、もう1人は来てもよさそうなものだのに、いつまでもピンポン、ピンポンと鳴っている。
 早く看護師さんが行ってあげればいいのにと思っていると、やはり同じ思いの人がいるらしく、ナースステーションの方で「看護婦さーん、看護婦さーん」と呼ぶ声がした。(当時はまだ、みんな看護婦さんと呼んでいた)

「看護婦さん、いないのかしら?」
 たまらず、だれに言うともなく言ってしまった。
 国分寺のお姉様も気になったとみえて、腰のコルセットをはめて起きる音がした。その間もうめき声とピンポンは鳴り続いている。

 やがて、うめき声はしなくなったが、そうなるとますます心配になってくる。
 ピンポンの方はだいぶ長い間鳴っていたが、ようやく鳴り止んで、偵察に行っていた国分寺のお姉様も戻ってきた。
「看護婦さん、来たの?」
 とたずねると、
「いるのに鳴らしていたのよ。上野さんだった」
 と笑いながら言う。

 聞けば、上野のオババが寝たまま足の先にポリ袋をはさんで、隣のベッドの茅ヶ崎夫人の口元に差し出していたそうだ。
 茅ヶ崎夫人が手術の後で苦しそうにしているのを、吐きそうだと勘違いして、自分は首を手術して起き上がれないから、足で袋を渡そうとしていたらしい。お節介な上野のオババ。

 茅ヶ崎夫人は血中酸素が不足しているとかでなかなか戻って来なかったが、上野のオババは何日もしないうちに元の病室に戻ってきた。

 入院患者は寝就きが悪く、寝しなに入眠剤を出してもらう人が多い。私の部屋の人たちも、私以外は全員薬を飲んでいた。
 回復室から戻ってきた上野のオババも、寝る前に看護師さんに薬をもらって飲んだ。

 私はもともと寝就きが悪いのだが、1度もそういう薬のお世話になったことがない。それで、いつもみんなのいびきを聞くはめになる。
 ようやく寝就いたと思うと例の頻尿のせいで目が覚め、またしてもみんなのいびきを聞いて眠れなくなる。

 上野のオババは首がねじれていたので、後ろと前の両方から切って骨を矯正していた。
 私も喉の近くを切ったことがあるのでよくわかるのだが、手術で喉を触ると後が苦しい。痰がからんで呼吸困難になる。
 私が夜中に目を覚ましたとき、上野のオババも苦しそうな息をしていた。

 無音の(息をしていない)状態がしばらく続き、その後、ものすごいあえぎ方をして一気に息を吸い込む。何度かあえいで再び無音になる。
 これを繰り返していた。

 苦しそうで、息が詰まって死ぬんじゃないかと思うほどだったが、睡眠薬だか入眠剤だかをもらっているので、苦しくても目を覚ますことができない。
 隣のベッドで聞いていると怖くなった。

 しばらく気を揉んでいたが、思い切ってナースコールを押した。
 看護師さんに話したら痰を吸引したらしく、上野のオババはやっと静かな寝息を立て始めた。

 翌朝このことを話すと、本人はまるで覚えていなかった。苦しかった記憶もないと言う。
 そこへ、上野のオババが申し込んでおいた個室が空いたという知らせが来た。
 私は個室になど行けば、夜中に呼吸困難になってもだれも気がつかないから、病室を移るのはやめた方がいいと引き止めた。
「今移らなければ他の人が入るから、後で個室に行きたいと言っても、すぐに移れるかどうかわからないわよ」
 師長さんにそう言われて、上野のオババは迷っていた。
「上野さん、ここにいれば? また呼吸困難になったら私がナースコールしてあげるから」
 そう言って引き止めたので、上野のオババは個室に移るのをやめた。

 後で三崎口夫人に、
「アンヌさんは優しい人なのね」
 と言われた。
「上野さんにあんなにズケズケ文句を言っていたのに、ほんとは優しい人なんだって思ったわ。上野さん、アンヌさんは命の恩人よ」

「命の恩人」は大袈裟だ。無呼吸症候群でも死ぬことはないそうだし、術後に痰が詰まって命を落としたという話も聞いたことはない。(後で知ったが、喉の切開をすると痰が詰まって窒息することはあるそうだ)
 上野のオババの呼吸困難も、放っておいても死ぬほどのことはなかっただろう。死にそうに苦しんでいたのは確かだが。

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