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チビとの別れ(自宅待機 10)

 チビは1月6日からほとんどものを口にしていなかった。抱くとぐっと軽くなってしまって、体がだるいらしく、あちこち向きを変えて寝ていた。

 食べなくなって10日目、チビはもうだめかもしれないと思った。あと1週間かそこらしか持たないかもしれない。

 そんなことを考えていたら、次の日の朝はカリカリを食べた形跡があった。
 猫部屋には常に新鮮な水と、食べても食べなくてもカリカリを置いていたが、朝起きて水を取り替えようとしたら、お皿に盛ったカリカリが舌で押されたように片側に寄っていた。

 私が朝食の支度をしていたら、ストーブの前に座っていたチビが何か食べたそうな顔をしたので、缶詰のチキンを開けてやったが、お皿を顔の前に持っていくとそっぽを向いた。
 缶詰はあれこれ買い置いてあり、欲しがると新しい缶を開けてやってみるのだが、どれも食べない。マグロもカツオもだめ。チキン、ビーフ、白身魚、舌平目、あらほぐし、ムースタイプ……。
 元気なときなら贅沢を言っているのだと思って次々に缶を開けたりしないのだが、こう弱ってくるとそんなことは言っていられない。なんでもいいから食べてくれないかと思う。

 チビは昼間猫部屋の自分の寝箱で寝ているが、夜はひと晩中私と寝て、ときどきゴロゴロ喉を鳴らしていた。ふとんの中で触ると、手足がいつも冷たい。

 寝箱にはいつもホットカイロを1つしか入れていなかったが、あまり寒そうなので2つ入れておいたら、珍しく手足を伸ばして寝ていた。その晩は、ふとんに入ってきたチビの手足もいつもほど冷たくなかった。

 気のせいかと思ったが、やはりカリカリを食べているらしく、ときどきお皿のカリカリが片寄っていた。ほんのひと粒かふた粒かもしれないが。
 ところが、缶詰のキャットフードは、目新しい缶だとほんの少しなめてみるが、食べるというほどではない。そのくせ、私が猫部屋に入って行くと、何かもらえると思ってねだって鳴く。

 やっても食べないだろうとわかっているが、毎朝新しい缶詰を開けてやらずにいられない。残りは捨てるしかない(開けて時間がたった缶詰は食べない)から無駄にすることになるが、わずかでもチビが食べる望みがある以上、缶詰ぐらい無駄にしてもかまわないと思った。

 チビが食べないのは鼻が詰まって食べられないせいだと思っていたが、かかりつけの動物病院から送ってもらった薬を飲ませたくても、食べないので飲ませることができなかった。
 何日も食べないから腸が動いていないかもしれない。
 無理にでも薬を飲ませた方がいいかと思ったり、胃が荒れるから飲ませない方がいいかと思ったり、もうどうしていいかわからなくなった。

 そうこうするうちにもチビは徐々に弱ってきて、ホットカイロを2つ入れてやっても、箱の中で寒そうにちぢこまっているようになった。
 この子はこのまま逝ってしまうんだろうな。私が入院する前に回復しなければ、病気のままよそに預けていくことになる。そんなことになったら、精神的なショックですぐに逝ってしまうかもしれない。

 1月27日、夜、夕飯の支度をしている途中にチビの寝箱をのぞいたら、いい匂いがするのか、首を上げて食べたそうな顔をした。もぞもぞと箱から出て、猫缶の置いてある棚のところへ行って鳴くので、すぐにジューシーチキンを開けて温め、スプーンでつぶしてやった。でも、食べなかった。

 しばらくして、私が夕飯を食べていたら、よろよろした足取りで出てきて鳴いた。食べていたイワシの甘辛揚げを少しかんでほぐしてやったが、やはり食べない。
 食べる気はあるのに食べられないのだ。
 部屋から出てくる歩き方も、足がもつれて危なっかしく、今にも倒れそうだ。

 1月30日、チビは鼻が詰まって息苦しそうにしている。猫は口で息ができないから可哀想だ。
 元気なときは名前を呼ぶと必ず返事をしたのに、今はだるいらしくほとんど反応しない。
 ひと月前に「メイちゃんのお家」から帰ってきたときはあんなに元気だったのに。
 明日の朝まで持つだろうか? 

 昼間でも私は首のカラーを外して寝ているので、こまめに起きて見に行かれないのが実に不便だった。
 猫部屋に様子を見に行くと、チビが箱から出て畳の上に敷いたビニールシートの上に横たわっていた。冷たいだろうに。
 トイレに行きたいのかと思って、抱いて砂箱に入れてやったが、そうではなかった。

 1月31日、猫部屋をのぞきに行くと、チビが寝箱の外に倒れていたので、ビニールシートは冷たいからタオルを敷いて寝かせた。
 ところが、何度見に行っても自分でタオルから降りて、ビニールシートの方にはみ出して寝ていた。
 今思えば、チビは私のそばに来ようとしていたのだろう。

 私が猫部屋にいると自分で箱の中に入っていったり、箱の中で寝るそぶりを見せるが、私が猫部屋を出ようとすると箱から出てくる。
 そんなことを何度かやっているうちに、ようやく、チビが私と一緒にいたいらしいとわかったので、ふとんに連れてきて寝かせた。

 退院した後、私はカラーのつけ外しで横を向くのに左側を空けておきたかったから、チビを右側に寝かせていた。入院する前は左側に寝かせていたので、チビは左側に寝たいらしく、ふとんの左側にもぐってこようとしたが、私は反対側に追いやっていた。

 チビが私の顔に自分の顔を寄せてきても、詰まった鼻をブーブー言わせてうるさいからふとんの中にもぐらせていた。
 チビは1カ月半も離れていて寂しかったのだろう。うんと甘えたかったのだろう。

 私はチビを左側に寝かせて毛布を2枚掛け、カラーをつけたまま添い寝した。
 横を向いて喉や耳の後ろを撫でてやると、チビは気持ちよさそうにゴロゴロ喉を鳴らした。音は聞こえないが、喉を触るとかすかな振動が伝わってくる。
 そうか、こんなふうに構って欲しかったのか。

 南の窓から差し込む冬の日射しが、ふとんの上に長く伸びていた。日射しは私とチビの顔の上にも当たって暖かかった。

 ひとしきり喉を撫でてやったら気が済んだらしく、チビは寝息をたてて眠り始めた。
 前の晩も鼻が詰まって苦しそうな息をしていたのに、このときは静かに眠っていた。
 時折、首を持ち上げて起きようとするが、私がそばにいることがわかると、また力を抜いて目をつぶった。

 夜、仕事が終わってチビを寝箱から抱いてふとんに連れていき、私の左側の場所に寝かせた。
 チビをふとんに寝かせておいて、私は夕食を食べ、後片付けをした。
 チビは私が寝に来るのを辛抱強く待っていたのだと思う。もう自分では歩いて出てくることができなかったから。

 午後10時。さんざん待たせて私がふとんに入ると、まもなくチビはあえぎ始めた。苦しそうに、数秒ごとにものすごい音をたて、上体を浮かせるようにして息を吸い込む。

 クマ子やトラ子が逝くときもそうだった。逝く間際はこんなふうに息ができずに苦しむのだ。チビももうじき逝くのだと思った。

 私はカラーをはめたまま体を起こして、チビの頭を支えてやったり、首を撫でてやっていた。
 しばらくそうしていたが、チビはいつまでも苦しんでいた。
 私は疲れて眠くてたまらず、翌日は脳外科の外来に行くつもりでいたから、朝起きて具合が悪くなるのが怖かった。
 それで、チビの頭を支えていた手をそっと抜き、カラーを外してふとんに寝そべった。
 チビはもうじき逝くだろう。そう思いながら、眠りに引き込まれていった。

 目が覚めたら夜中の2時だった。
 チビは静かになっていた。触るともう硬直が始まっていたが、お腹にはまだ温もりが残っているような気がした。
 爪を立てて何かをかきむしるように、両手はぎゅっと曲がっていた。よほど苦しかったのだ。
 チビのようなおとなしい、性格のいい猫が、どうしてこんな最期を迎えなければならないのかわからない。

 入院前も、退院後も、自分のことで頭がいっぱいで、チビのことに気が回らなかった。
 鼻炎の薬をもっと早くもらって飲ませていれば……。
 年末年始の寒い時期に、冷えきった部屋のヒーターを「弱」にして、ホットカイロをひとつしか入れてやらなかった。
 毎年冬は「強」にしておくのに、今年に限ってどうして「弱」にしたのか自分でも理解できない。
 とても寒そうにしていたのだから、もっと暖かくしてやれば良かったのに。

 あの時期、チビがふとんに入ってきてふるえていたことがあった。小さく丸くなって、手足は冷たかった。それなのに、何故、思い至らなかったのだろう?

 最期も、もうじき逝くだろうと思ってカラーを外して寝てしまった。もうじき逝くと思ったなら、どうして無理してでも起きて看取ってやらなかったのか。
 可哀想なチビ。ひとりぼっちで苦しんで逝ってしまった。

 ごめんね、チビちゃん。
 さよならも言ってあげられない薄情な飼い主だったけれど、今まで一緒に暮らしてくれてありがとう。チビちゃんのおかげで幸せだったよ。


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