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0206_雪の虫

「冷てっ」
 笹森がそう言って自分の襟元を手で払う。どうやら降ってきた雪が襟元に入ったらしい。空から、はらはらはらと柔らかくて薄い雪が降る。
「ごめんな」
 僕が言うと、彼は笑った。グズッと鼻をすすり上げて鼻を押さえた。息を吸うと冷たいなと言ってはまた笑う。

 2月、笹森がいる部署に僕は配属された。グループ他社からの転籍であり、業種も違うため半ば転職みたいなものだと他から聞かされていた通り、仕事内容が全く違うことを初日で理解した。結構愕然としていたのだが、笹森が声を掛けてくれた。なんでも聞いてくれと言う彼は同い年とのことで僕はすごく安心したのだった。とは言え、一から十まで聞くわけにもいかず、器用でもない僕は毎日必死に業務を覚えている。
 今日の定時間際、笹森と営業先への訪問を終えたときだった。今朝から続いた雪は十分に足元に積もっており、もういっそ直帰にするかと近くの公園で二人話していた。業務が残っていると言う僕に対して笹森は、そう言えば毎日あたふたと走り回っている様子をよく見るよと言った。あたふた、と言われた時点で僕はやや不満ではあったが、次の言葉が決定的だった。
「ちょこまか動いていて小さな虫みたいだ」
 思わず僕は彼の肩を思い切り突き飛ばした。馬鹿にするなとも言った気がする。彼のメガネが飛び、雪に染まったこの公園のどこかに消えた。僕らはここでそれを探している。
「替えのメガネもあるから、もういいよ。明日また雪が溶けたら出てくるだろうし」
「いや、それはだめだよ。僕は探すから、笹森は帰ってよ」
 僕は雪をかきながら言う。じゃあ俺も探そうと、笹森もまた雪に触れる。触れてサクっと崩れたところに、上からはらりはらりと新雪が落ちる。みぞれではなく、雪だからか、あまり濡れる実感もない。今年、はじめての雪。
「落ちてくる雪にも、影ができるね」
 公園の外灯によってできた雪のわずかな影は、空から雪が落ちてくる度にゆらゆらと、すでに積もっている雪に写る。まるで生きているみたいだなと思っていると、彼も同じように思ったのか、こちらを向いた。
「雪の虫みたいだな」
 くったくなく笑うその顔からは悪意の欠片もない。なんか分かってきたな。
「あ、ごめん、またこんな風に言っちゃった」
「虫、好きなの?」
 僕は影が写ったそこを手で掻き分けてメガネを探す。
「うん。昆虫好きなんだ」
 そう言って、笹森も僕のとなりに落ちた雪の影をさらう。
「どっちかと言うと、虫の表現は俺にとって褒め言葉で・・・・・・」
 罰の悪そうな顔で彼は僕を窺う。見ると、彼の輪郭をなぞるようにして雪の虫がゆらゆら揺らぐ。いくつかの雪の虫の行く先を目で追うと、そこにメガネがあった。雪の虫が、メガネに写る。
「えーっと、虫めがね?みたい?」
 僕が言い、笹森が笑う。
「へたっぴだけど可愛いな」
 可愛いのが虫なのかメガネなのか何なのか分からないけど、まぁ、なんとかここでの仕事は頑張れそうな気がした。

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