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0229_私のおかわりくん

 タクシーの中は暑かった。
 外が寒い分、余計にそう思うのだろうが、それにしてもじんわりと暑さが空気中に漂うようで気持ちが悪かった。
「温度、下げましょうか」
 私の表情で伝わってしまったのか、運転手が言った。続けて、お急ぎですかとも聞いた。私は首を横に降り、急がないと伝える。車はまだ発車していない。運転手はただ、私を見ていた。

 声を掛けてくれて、
 ティッシュを2枚差し出してくれて、
 恐らく自分の分だろう冷たい(と、言うよりは常温の)お茶をくれて、
 ちょっと高そうな小さな粒のチョコレートをくれて、
 後部座席のモニターにお笑い番組をつけてくれた。

 私はそのとき、恥ずかしげもなく大量の涙を流していたのだった。それは私の中で今世紀最大の失恋である。
 運転手の彼は私を丁寧に気遣ってくれている。モニターでは若手なのかそうでないのかわからない芸人が笑いをとっていた。

「こんなんなんぼあってもいいですからね」

 そう言って、見えない何かしらを客席から貰う振りをしてそのテンプレに客が笑う。

「あの」

 少しして、運転手が声をかけてきた。私が乗車して5分が経っている。相変わらず車は走っていない。タクシーのメーターは回っていないが、この車の周りをそれこそ何人ものひとたちがくるくると歩いている。

「お茶は飲めましたか、チョコレートはもっといりませんか。おかわり、ありますよ」

 そう言って、空席である助手席のポーチのようなものからわさわさと色々な色の包装紙をしたチョコレートを取り出した。

 そういえば、私の涙は止まっていた。

 流れていた大量の涙はティッシュ2枚で拭けたし、常温のお茶はむしろ私の頬や顔を冷やしてくれた。チョコレートは、私の手の中にいる。誰も笑っていないのに、車内には笑い声があり、思わずつられる。

「ふふ」
「あ、やっぱりチョコレートいりますかね」

 そう言って取り出したばかりのチョコレートをまた差し出してくれた。

「こ」

 彼が続けて口にして、一文字で止まった。なにかと思って私はこちらを向く彼の顔を覗き込む。

「こ、こんなんなんぼあってもいいですからね」

 そう言うと、運転席に顔を向けてしまった。ミラーに写る顔はどこかほんのり赤く、車内はやっぱり暑いのだと思う。私は手を出した。

「おかわりください」

 私の両手に色とりどりのおかわりチョコが乗る。

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