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0422_普通のこと

「もっとこう凄い感じだと思ってた」

 私が言うと、向井川さんは笑った。あの頃の私と全く一緒じゃないかとも言った。

「夢が叶ったら、もっとこう、ぶわぁぁぁって凄い高揚感に包まれて、最終ステージに辿り着いたのだ、勇者よ、的な感覚があるもんだと思ってたんですけど」

 私は身振り手振りでこの気持ちを伝えるが、向井川さんは笑ったまま。散々、ヒィヒィ笑ったあとで、良かったねと言った。

 私は念願だったケーキ屋を開店した。小さな頃から思い描いた······わけではない。親の店をいずれ継ぐため······でもない。ただ、仕事に嫌気が差して、勢い退職したところで、その当日、帰り道に向井川さんのケーキ屋でミルフィーユを食べた時、うっかり感動してしまったのだ。そして私もこれを作りたいと思ってしまった。

 35歳にして、製菓学校に入学しました。

 その時の夢が叶った。言うは易しだが、実際は結構しんどかった。向井川さんに師事したのはたまたま学校の紹介があったからだが、当時の向井川さんには結構な人数の生徒がいたりして、なかなか彼の手業を盗むのに苦労した。で、あっという間に10年が経った。
 まもなく45歳を迎える私、今に至る。

「大分、頑張ったよねぇ」
「そう······ですかね。きっと皆こんなことさらっとやっているんでしょうね。もっと早い年で」

 私は自分でも分かるほど、カラカラと渇いて笑う。

「そうだねぇ、もっと早い歳でさらっとやるんだろうね。で、きっとみんなあなたの年ではやれないと思うんだろうね」

 珍しく妙に引っかかる物言いだった。

「だから、あなただけなんだろうね。やれないと思われることをやったのは」

 彼のその目は、私をまっすぐ見ていた。

「思ったよりも凄い感じにならなかったのはね、すでに君がそれに足るからだよ」

 足る?

「自分の店を持つくらい普通、と言うような人に成長したんだろうね。すごいことをすごいと思わなくなるのが本当にすごいことだよ」

 そう言って、向井川さんは私のミルフィーユを食べる。彼は優しく笑い、美味しいと言った。

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