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0313_傍観

 ぬくい朝だった。わずかにまだ冷たい風が時折吹くものの、穏やかで暖かい。眩しいほどの陽射しが私を照らし、私は、冬眠から目覚めた何かのように目を細めた。

 私にとって、日々生きることは大変なものだと感じている。それは温かい布団の中からなんとかして這い出なくてならないことから始まり、与えられる本意ではない仕事(かと言って本意な仕事があるわけではない)に忙殺されて昼食もままならないことも含まれる。日常のありとあらゆる困り事が、私には『生きることの苦労』だと思えるのだ。
 道の先に、母娘の姿がある。子供が駄々をこねているようで、母がそれにこまねいているのが分かる。幸せな絵である。但し、当人らを除く、である。当人たち、この場合の母娘に関しては、この瞬間、幸せでもなんでもなくただただ苦痛でしかないのではないか。例えば稀に、何らかの理由でこの母娘が離れ離れで暮らしているとして、この日の逢瀬が何年ぶりかであったなら、少なくとも母にとっては子供の駄々でさえ幸せに感じるかもしれない。でもそれは稀に、であり、おそらくはこんな日常である母娘は相当に多く、そしてやっぱりしんどいのではないか。
 生きることは苦痛である。幸福も多々あろうが、数で言えばきっと苦痛が多い気がする。私は、そう思う。それをなんとかこなして、いなして、乗り越えた先にあるのが『死』であるのだから堪らない。まさになんのために、である。

 夕方、陽が落ちてもまだそこそこにぬくい。私の視線の先には、帰路を急ぐ人たち、友人同士でじゃれ合いながら歩く人達、何かをぶつぶつと呟きながら時折道の小石を蹴飛ばして歩く人、さまざまいる。

 私は今日、1日中、ぼんやりと家の周辺を歩き、時々公園のベンチに座り、また歩いては駅に向かったり、過ごしていた。そこでさまざまに道行く人を見ていた。苦痛ではないが、取り立てて幸福でもない。それでも、こうして陽が落ちて、先日までの冷たい風が段々と温くなっていることを感じて、私の人生が少しずつ進んでいることを実感している。

 生きることは大変である。

 それは変わらないけれど、「そうなのだなぁ」と傍観できれば、わりと苦痛も幸福も平たくなるのだろうか。

 少なくとも私は今、そうして、生きている。


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