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0331_キッチンの裏で

 休日に、ぼんやりとキッチンで座っては小さな窓から外を眺めていた。1階で人通りはないその視線の先は、隣家の外壁と一瞬横切るスズメが見えるだけで、日々景色が変わることはない。

 私は少しばかり疲れていた。
 4月1日に迫った仕事のためにこの1ヶ月は頭の中にそればかりが詰まっていて他に入る余地はなく、自分のあれがしたい・これがしたいは見る影もない。
 それなのに、ぼんやりと眺めた外が急に『何か』気になった。私はおもむろにキッチンの椅子から立ち、その部屋着のままで玄関を出て、裏手に回り、キッチンの小窓のある場所に出る。隣家との境目に柵があり、その内側には人ひとりがやっと通れるほどの細い道。

 そこには、なにもなかった。

 それはそうだろう。ここは私の敷地であり、誰もなにも立ち入ることはなく、私が意識して何かを置いたりしなければそこにはなにもなく、ただその他の道と同様に砂利がしかれた地面があるだけだ。

 私はふっと顔をあげる。
 誰かの視線を感じた。見渡しても誰もいない。視線は部屋の中から届いていた。そこは私が今さっきまで座っていたキッチンである。誰もいるはずがない。でも。私は窓の中ではなく、窓枠を見た。

 大きなカマキリがこちらを見ていた。
 カマを振りかざし、威嚇されてもいた。

 我が家は、元配偶者の趣味で窓枠が薄い緑色になっている。そこに紛れていたのか、すぐにはカマキリがいるとは思わなかったのだ。私に威嚇することで両カマを広げて振りかざし、それによって私は彼(彼女?)を発見することができた。もしかしたら、私がキッチンにいたとき、外のこの窓からカマキリは私を見ていたのかもしれない。その視線を感じて、私は何か気になってしまったのか。
 そういえば、こんな家の裏手の細い道、随分と立ち入っていなかった。雑草も生い茂っていて、その場にしゃがんで見れば最近の暖かさに活動を始めたダンゴムシやテントウムシも見られる。不意に口許が緩むと目の前をゴマダラチョウが飛ぶ。

 もう少し、力を抜こうかなと、不意に思う。
 きっと私が仕事でなにか失敗をしたとしても、ここにいるカマキリやダンゴムシ、テントウムシもゴマダラチョウも何一つ変わらずに生きているのだろう。

 別に彼らに義理もなにもないけれど、私はそんなに頑張らなくても良いのではないかと思えるのだ。
 キッチンに戻って、ビールでも飲みながらカマキリの動向でも目で追ってみようか。

 4月1日は明日だと言うのに、今この時の私の頭のなかには仕事が入る余地はなくなっていた。


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