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上司の期待に応える社員がいる限り不祥事はなくならない

お恥ずかしい話なのですが、サラリーマン時代私は「上司の期待していることってなんだろう?」と考えながら仕事をしていました。

「え、それが何かまずいことなの?」と思いました?まずくはないけど、古いです。

昭和時代なら、上司の期待に応えて、なんだったら先回りして「やっておきました!」というのがデキるサラリーマンだったはずです。

それ、忖度ってやつです。

それがうまくいっていたのは、会社や上司の価値観や判断が正しいとき。言いかえるとクライアントのニーズに合っているとか、世間一般の価値観と合致しているときです。

あるいは、多少ズレていたり、犯罪スレスレでも権力や地位や業界慣習のパワーでうやむやにすることができているときもアリかもしれません。

エラい人たちを怒らせないように、気に入られるように仕事をすることが、日本で生き抜く処世術だったんです。

だから街路樹だって切り倒すし、データ改竄なんておやすい御用です。だって、きっと、たぶん、会社はそれを期待してますよね。。

しかし、時代は変わりました。なんでもネットにあがっちゃいます。不祥事が明るみに出てきます。徹底的に叩かれます。

もう、エラい人がもみ消したり守ったりなんてしてくれないんです。「誰も指示なんてしてません。部下が勝手にやったことです」まあ確かにそうですね。

なにもかもが圧倒的に変化していくVUCAの時代。会社や上司の考えていることは高速で陳腐化します。もっとも最適解に近いところに立っているのは、最前線で働いている従業員です。

答えはエラい人たちのところにはありません。古いですから。最前線で働く人たちが自ら考えて最適解を出せて、それが経営を動かすような組織を作らない限り、この世界では生き残れないんです。

従業員が誠実に真摯にクライアントやマーケットに向き合って仕事をする。そこから発せられる最前線のアイデアや提言に、上司がレスペクトを持って接する。それができないかぎり、世に不祥事はなくならないんです。

失われた30年。それは、上司の期待に応え続ける誠実だけれど哀しいサラリーマンをつくり続けてきた日本社会の敗北の歴史です。

今からでも遅くありません。上司の期待に応えるのではなく、本当に大切なものはなにかを見失わず、自らの持ち場で世界にどんな価値を提供できるのかを考えて主体的に行動しましょう。

上司はもっと胆力がいります。チームのメンバーが自分の価値観を超える話を持ち込んできます。迎合する必要は全くないですが、受け止められますか?

不都合な真実も「お、おう。言ってくれてありがとう」と受け止められる人間的な器が必要です。

とても本質的で、いい時代になった、ということです。たぶん。

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