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君との隣接点

ジャニヲタのときから与える愛だけやってきたから、そろそろそれがもう摩耗して疲れるってことに気づき始めている、わかってたけど本当はだけど認めたくなかったのであった。

自分と同じ魂を持っていると感じてしまっても、生まれと家庭環境は相容れないものだ。相容れてしまえてもおそらくは崩壊し失敗する。自分の魂と似ていると思うことは罪である。自分への裏切りなのだ。人に期待してしまうということをやめられない私にとって、のちに絶望するであろう未来をなぞるためのスタート地点に過ぎない。自分が傷つきようが自尊心が削られようが酒を飲んでなんとかやってきたのだが、もはやもうどうしようもない、修復不可能なところまで来ている。

私は人に勝手に期待をして、勝手に裏切られた気持ちになって、勝手に寂しくなって、それから落ち込むとこまで落ち込んで酒に溺れて気絶を繰り返して0まで上がってくることができる、そこでやっとなのだ。「とんでもなく迷惑ですね」そう言われたことがあった。本当にそうかもしれない、ごめんなさい、みんなごめんなさい、謝ることしかできない。

好きな人がくれる優しさは、空元気の状態とほぼ同義だと思う。
ありがとう、ありがとう、ありがとう

ありがとうじゃない、全然いやだ。本心じゃないならなんもいうな。本当に思ってること以外伝えたり優しくしたりしないで欲しい。

クレームというか、お客さんに今日怒られた。もうそれだけでどん底でパニック発作になりかけた。他人を責めることができる人は存在しているのだ。私が女だから、弱そうだから?そういうことだろう。男の店員だったらまず言わないかもしれない。

したがって、無意識に人を見下せるマンスプレイニングの世界に私は立っていた、しらないうちに。女として生まれたから。
いくら髪を派手にしようが顔にピアス開けようが見下して暴言を放って怒鳴る人はたくさんいる

私は気が滅入っている
散々だ。それはとても

話を戻すと、私は人から愛されることがなく愛されることなんてできないとこれからも、未来を考えてもそう感じる。私から愛を与えることは簡単だけど、それが帰ってくるわけでもないし、善行を積めば帰ってくるなんて馬鹿みたいなことも信じない。疲れてしまった。私は非常に耐え難い苦痛の中で疲れてしまった。

お金をもらってるからできるものではありません。私は愛される側になりたい、そうなるには…と説教をかましてくるSNSの汚染、見るに耐えないです。
疲れました。

みたところで私が愛を享受することなんてないのだから。

これからもきっとそうだ。

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