千羽鶴
父が大きな手でちっちゃい何かをいじっている。真剣に指を動かしているのだが、とにかく何をしているのか分からない程小さい。
「これを超えるのは大変だぞ」と常々感じる背中をきゅっと丸めて、必死だ。そのちまちました様子がおかしくて、思わず「何してるの?」と聞いた。
「鶴折ってるの」
「鶴?」
「そう、千羽鶴」
父がいじっていたのは千羽鶴専用の小さな小さな折り紙だった。
あー。そういえば昨日言っていた。
父の職場の仲間が、急に倒れたという。
原因は脳の出血。
最悪のレベルで、この段階の人は9割の人が命を落とすと言われているらしい。
会ったことどころか話もあまり聞いたことがないが、父と同世代の女性だ。旦那と娘が2人、娘の1人は私と同い年だとか。
なんの予兆もなかったのに、ある日突然妻ないし母が倒れた。もう命が危ない。しかもコロナの影響でお見舞いも出来ない。
父もかなりお世話になっていたというし、その旦那さんと娘さんたちの気持ちを一瞬察するに。
「私も折るー。でも折るの久々だな出来るかな」
「お、さんきゅ。折り方そこに入ってるよ」
紫色の折り紙を引き寄せると、想像以上に小さい。
折り紙なんてまじで久しぶりだ~。
三角に折って、さらに三角に折って、両面を四角に広げる。
ステップが進むに連れて、
「小さいなこりゃ!!」
悲鳴を上げると父が愉快そうに笑った。
「ん?ここ最後どうするんだっけ」
「あーそれはね、こうしてこうして…」
父が器用に手を動かして最後の仕上げをしてくれたようだ。
大きな手から姿を現した小さな鳥を見て、思わず感嘆の声が飛び出した。
「うわぁぁぁぁぁ」
凛と翼を広げる鶴。
羽と、尻尾と、くちばしの先端まで繊細で細い直線が続き、その直線の繋がりが舞妓さんのような華やかな上品さを生み出している。見れば見るほどその存在感は増し、少しでも力を入れたらぺしゃんこになってしまうのに、上向くくちばしから確固たる強さを感じた。
鶴を千羽折ると、病気が良くなる。
日本にはなんて美しい言い伝えがあるんだろうとうっとりした。
しかも案外、折り紙って楽しい!
折っているときはなんだか夢中で、折れ線一つ一つにこだわりたくなる。一枚の四角い紙がこんな鳥を生み出すなんて!
私は次々と折り紙に手を伸ばして鶴を折っていった。途中から弟も参戦して、お父さんの1.5倍くらい手が大きい弟の四苦八苦している様子に笑ってしまった。
「もう持って帰ってきた分全部出来た!ありがとう!」
父の勧告を聞いて、ちょっと残念な気持ち。
もうちょっと折りたかったな~。
私の鶴がほんのほんの少しでも、何かの力になったら嬉しいなと、そう思った。
最近、私は言葉にし過ぎる傾向があるんだと気づいた。
言葉は形のないものを形にしてくれるような気がして、「それ」にどんな言葉を当てはめるといいのかを考えるのが、楽しい。
でも同時に、恐怖のようなものを感じたり。
例えば就活で一言付け加えるのを忘れただけで、「それ」は一気に違う方向へ進んでいき、するすると人の頭の中で変換が起こって×か○かを付けられる。
けど、この千羽鶴を超えられる言葉はないんだよなぁと、私は弟の作ったぶきっちょな鶴を眺めて思った。
「よくなるといいですね」とか「元気を出してください」とか、
そういう言葉をかけたいわけではない。
ただ、鶴を送りたい。
そこに言葉が介在しないから、想いが大きなうねりとなって、日本人の心を癒し続けてきたのではないだろうか。
真の優しさは言葉ではない。
そういう「余白」を知っている日本の文化が好きだ。
そっと隣に寄り添える優しさをもっている人に、私はいつも敬意の念をもつ。
将来は、君みたいな人になりたいなぁと、鶴を眺めた。
「10年後20年後、どんな人間になりたいですか?」と面接官に聞かれて「千羽鶴のような人」とか言ったら首を傾げられてしまうだろうか。
緊急帰国。コロナ。就職活動。
社会は中々思い通りにいかないけれど、この悔しさが、千羽鶴への一歩になったら、とても嬉しい。
上手に言葉にすることを求められる社会の中で、言葉にしないことの美しさを知り、言葉にしている。
矛盾だらけでおかしいけれど、そんな風に思った、小さな出来事だった。
本当にドラマみたいな話だけれど、千羽鶴を送った女性は、その後命を取り留めた。
女性の家族はお見舞いに向かった父を暖かく迎えてくれたというが、千羽鶴を見た瞬間、全員の頬を涙がつたったという。