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長崎で路頭に迷いかけた話

長崎について

大学を卒業し新卒で配属された部署は、社内でも珍しく出張が多かった。国内のみだが北海道から沖縄まで30都道府県は訪れている。僕は経費で行くリョコウが大好きだったので泊まりの出張案件は積極的に手を挙げた。新人は前のめりになれという会社の方針に従った形だ。サラリーマンの鑑と言えよう。個人プレーな働き方だったので、先方との調整は「火水は別件が……」とか嘘をついて必ず土日にくっつけて計画した。

特に思い入れがあるのは長崎だ。僕は長崎駅近くのマドゥバニというカレー屋が日本一うまいと思っているので、長崎出張には目を光らせていた。その中で一度、池島という島に行ったことがある。4年ほど前の話だ。

余談だが僕は島が好きだ。島には海があり、生活感がある。船を経由する仕入れという制限によって、本島では普通な物にもわざわざ仕入れたという意思の跡が見える。そこに訪れる僕もまた島に行きたいという意思を持って貨物と同じ船に乗る。祖父母の関係で山系の田舎には何となく覚えがあるのだが、島の生活は僕には想像がつかない。
僕は旅行中にその土地に生きる人の生活を想像する癖があるので、生活感が垣間見えるのはとっても楽しい。特に観光地化していない島の人たちは大抵フレンドリーだ。あーはいはい観光客ねというスレた感じ(これは観光客も悪い)がなく、なんならなんで来た?笑、くらいの感じで会話してくれるので、とても嬉しい。

だから僕はいつでも島に行くチャンスを伺っている。長崎出張が決まった段階で長崎市から行ける島を調べていたくらいだ。

池島について

今回訪れた池島は九州最後の炭鉱と言われており、2001年まで実際に稼働していた。石炭の需要減に伴い閉山となり、最盛期に7800名近くいた住民が、今では100名強になった。高度成長期を支えた島であり、その趨勢が色濃く残っている。

池島へは二つの港からアクセスできるのだが、近い方の港でも長崎駅から電車で1時間半かかる。最寄り駅は本当に何もなかった上、普通の街中で降ろされるので、少し困惑した。GoogleMapを開けばどうにでもなるのだが、ちょっとした緊張感は旅のスパイスになる。できるだけケータイは使わないほうが面白い。

船の出航まで時間があったので、一旦海沿いに出ようとフラフラ歩いていると、小学生くらいのクソガキ3人が自販機を蹴っ飛ばしていた。「な!すげーだろ」「おれもおれも!」と騒いでいる。聞き耳を立てると、どうやら蹴っ飛ばすと偶に飲み物がランダムで出てくるらしい。そんなん大興奮に決まってる。哀れな自販機は浦島太郎の亀くらいリンチにあっていた。
恥ずかしながら僕は善人ではないので止めもせず、小学生たちに何やってんの〜混ぜて〜と声をかけてみた。興奮状態の子供たちは人見知りせず、なんなら俺が発見した!くらいのテンションで応えてくれた。発見しちゃだめだろ。お前だな、最初に蹴っ飛ばしたのは。
港ってどっち?と聞いてみたら、怪訝そうな顔をし、「あっちだけど何しに行くの?」と聞かれた。池島に行くために東京から来たと言うと、「あんなとこなんもねーって!」「東京から!?すげぇ!」と純粋な反応が返って来た。長崎楽しいけどなぁ。まぁ地元の良さは出てからじゃないとわからないと言うもんね。

あ、金がない

ここで、一つ問題が生じた。悪ガキ共にお菓子でも買ってやろうかと思い財布を見たところお札がない。小銭も確か300円くらいしか入ってなかった。子供達によると、船代は現金払いらしい。まぁatmで下ろせば良いだろうと思ったけれど「このへんコンビニ無いよ」と言われた。無い……?馬鹿な、21世紀だぞ。そもそもお菓子う店もなかった。

地方、特に観光地化していないエリアは、往々にして現金社会である割にATMがない。一応注意してはいたつもりだったのだがうっかりしていた。子供たちに何とかならないかと半泣きで相談したけれど、近くには郵便局しかないとの事だ。その日は日曜日、当然ATMも開いてない。いよいよ危機感が顔に出たのか、天使のように可愛い子供たちが「お金貸してあげようか…?」と言ってくれた。いやいや、20代中頃にもなって小学生から金巻き上げるとかさすがにあり得ない。ありえない…よね?うん駄目だろう。オートチャージのsuicaはあるので、帰ることはできる。島に行きたければ何か考えねば。

焦る僕と一緒に天使たちもあーでもないこーでもないと考えてくれた。すると、どうやらもう一つの港の近くにはコンビニがあるらしい。そこまで行ければなんとかなりそうだ。近くまではバスで行けるようなので乗り換え検索アプリで調べてみると、確か400円弱だった気がする。100円足りない……。いや!もしかして、と思ってカバンを調べるとへそくりがあった。社員証に付けたキーホルダーの中に100円入っている。ほんっとうにギリギリだが、島に行けそうだ。

米津玄師って読める?

バスまでの間、天使たちと話をしていると、最年少のちびっ子が「おれこの前福岡行った!」と自慢してきたので、何しに行ったのか聞いてみると、米津玄師のライブを見に行ったらしい。恥ずかしながら僕は米津玄師をよく知らないので、あーよねづげんしね、と言ったら「けんし!げじゃない!」と返されてしまった。ごめんごめん。好きなものは大切にしたいよね。僕はもうそういう拘りを手放してしまったのに気付いた。純粋な反応に少しだけ面食らってしまった。

遊んでもらった

子供たちと遊ぶのは楽しかった。大人の腕力と脚力で"格の違い"を見せつけてやった(どちらが格上かは判断が分かれるところだ)。彼らはずっと元気で、友達を押し退けて全ての語尾に"!"を付けながら僕に話しかけてくる。話の途中で遮られてしまった子は悔しげだ。僕も小学生の頃はこんなふうに近所の下級生とあそんでいたなぁ。いつからだろう、子供に苦手意識を持ち始めたのは。多分大人になりたいと思ってからだと思う。当時中学生くらいだろうか。体は急に成長させられない以上、精神を大人にするしかない。今思えば痛々しいが、何かにつけ客観的であれ、冷静であろうと思っていた。気がつくと社会人になってからは、同じもの相手にも求めるようになった。それを前提としている内に、ある程度の責任を相手にも求める形でしかコミュニケーションが取れなくなってしまった。大人には責任がある。子供は透明で柔らかくて、責任は無用だ。だから気がつかない内に壊してしまいそうで怖い。子供もそんなにやわじゃないとは思うけど、変な怯えがある。
大人になろうとする時に僕は自分の子供らしさを否定し、そして何やかんや大人になった今、子供たちの中に眩しさを感じる。羨望というにはちょっとよれているけれど、方向性は同じだ。都合がいいなと思うし、幻想を押し付けているようにも思える。振り返ってみると自分の少年時代は"ぼくの夏休み"みたいに輝かしくはなかったし、その後は斜に構えて周りを見下していた。子供に眩しさを感じるのはおかしな話だ。
僕の場合この子供賛美的な考えは漫画やアニメなどのフィクションから来ていると思う。気がついたら昔好きだったキャラより年上になっていた、という経験はあるあるだろうが、僕らの成長に対してあの世界の多くは未成年を描いているという意味で一定だ。歳をとるにつれて、自分のコミュニティーに子供がいなくなっていく。子供ってどんなだっけ、と忘れた頃にそういったサブカルチャーの偏ったイメージで上書きしてしまったんじゃないか。これはちょっとださいなぁ。そんなことを考えながら子供達と別れた。

車内からばいばーいのやつ。手しか写ってないけど

池島を歩く

池島は想像以上に廃れていたけれど、美しかった。現在の島民100名強と書いたが、あまり人に会わなかった。最盛期には労働者たちが暮らしただろう団地はカーテンが掛かっていない部屋ばかりだったし、停まっている車のほとんどは錆び付いていた。島の中は人間の痕跡だらけだった。寂しさ、熱のあと、生き物、ここにいた人たちはどこに行ったんだろう。どこでだって生きてはいける。でもこの島で理想の生活をするのは難しかったんだろう。大きな時間の流れの中で、僕が諦めなければならなかったものはなんだろう、と考えながら歩いた。あと猫が沢山いて幸せだった。

人の気配を感じない団地。

最後に

「東京いいなー」という米津玄師大好き少年に、大人になったらくればいいじゃんと言った時、「無理だよ。俺たちはどこへも行けない……」と絶望していたのを思い出す。その大げさなリアクションに思わず笑ってしまった。何言ってんだよ、行こうと思えば行けるよなんて軽く返したけれど、本当はもっと言った方がいいことがあったんじゃないか。僕だって愛知や埼玉の田舎で育った。今は都内に住んでいるけれど、自分を東京の人間だと思ったことはない。大学や職場には僕と同じように地方出身の人だってたくさんいる。確かに地元を出るのは勇気がいるし、金も家の都合もある。簡単じゃない。でも君が今そんなふうに諦める必要は無い。子供には無限の可能性があってほしい。そしてそれは本人以外によって制限されてはならない。君がそのサイコーな長崎の地元を出る決断をしたのなら、きっと想像以上に広い世界に出くわす。それを応援できるような大人になりたい。情けないことに、僕はまだ大人に成りきれておらず、子供にも希望を押し付けている。

おわり

「      ごくろうさま 」