研修医がロンドンに大学院留学して解脱するまで Ep.6 ホテルでボリス

仮住まいであるJohn Dodgson Houseの環境は劣悪であったが、最終点検が遅れているOne Pool Street という寮が完成し次第、引っ越しできると聞いていた。入居1週間を過ぎたころ、大学のAccommodation Officeからメールが届き、その内容は以下のようだった。

建築のさらなる遅れを謝罪しているメール

「当初は1週間で終了すると思っていた作業が、なかなか終わらず、最低であと4週間は今のところに滞在してください。詳しい日程が決まり次第、追って連絡します」

このメールを外で読んだ私は道で卒倒しそうになった。あの劣悪な寮の環境に1か月もいたら自分は精神的におかしくなると確信し、大学に掛け合ってホテルに移動しようと決意した。(先述したように、一部の人はJohn Dodgson Houseではなく借り上げられたホテルに滞在していた)
私は大学のAccommodation Office, John Dodgson House受付, 大学のWelfare serviceなど当てはまるところにメールを送った。「私はOCDの既往があり、いま滞在させられているJohn Dodgson House の環境は劣悪なせいで、私の精神的安全が脅かされ、健康被害が出ている。学生生活のスタートを切ることができなくなっている。」という内容だったと思う。可能な場合は電話でもそれぞれの部署に窮状を訴えた。どこも「検討します、上に確認します」という返答で、Welfare Serviceの職員の一人に至っては、建設が遅れている寮があること自体理解していないようだった(大きい大学組織なのである程度は仕方ないが)。「部屋が汚いのは自分で解決しろ、That’s part of life」的なことを言われて怒りと悲しみに震えた。
 手ごたえのない返事のあと、一週間ほどどこからも連絡がなかったが、その間、私はホテルに移動することを全く諦めていなかった。今後何か問題になったときに記録に残るよう、寮のすべての不備を書き留めてメールで寮のオフィスに逐次送っていた。そんな中、そのメールは突然やってきた。

ホテルへの移動を知らせる福音


「あなたの状況を踏まえて、ホテルに移動することが決まりました。」

キャンパスからさらに近いRadisson Blu Edwardson というホテルに移動が決まった。冗談ではなく、本当に命拾いしたと思った。同じ留学生の友人(One Pool Streetに入居予定者のパーティで出会った。シンガポール人の女の子、一緒にフォーを食べた思い出があるのでフォーちゃんと呼ぶ)に連絡すると、自分のことのように喜んでくれて、引っ越しを手伝ってくれた。
これまで1週間の滞在で、食器や洗剤などを幾分か購入していたので、荷物がスーツケースに入りきらなくなっており、一人で引っ越ししていたら何往復かすることになっていただろう。

ホテルの部屋

ホテルは4つ星ホテルで、スポーツジムや朝食バイキングもついていた。部屋にはダブルベッド、アイロン、冷蔵庫、金庫がついており、頼めば毎日シーツやタオルも交換してくれる、とても恵まれた環境だった。


ホテルの朝ご飯。巨大なイングリッシュブレックファスト


ホテルには移れたものの、寮の完成予定時期は全く分からず、また再度引っ越しをするときは同じくらいの労力がかかると思うと、必要なものを買いそろえることもできない。先の見えない状態に気が遠くなる思いがした。一般のホテルなのでほかの学生がいないことも孤独感を深める原因になった。それでも、久しぶりに温かい部屋でくつろぎ、湯舟に使って疲れをいやすのは最高だった。

部屋にあったテレビをつけてみると、ニュースが放映されていた。テレサ・メイが首相を辞任したのを受けて、ボリス・ジョンソンが旅行先から緊急帰国してきた映像だった。別の番組を付けると、ヨーロッパ諸国による経済制裁を受けて、ロシアの核弾頭ミサイルがヨーロッパに向けられたというニュースだった。

自分の状況も、世界の状況も、色々なことが混沌としていて機能不全に陥っているような気がして、ニュース映像を前に笑ってしまった。
まるで不思議の国に迷いこんだアリスの気分だった。

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