察する能力が高すぎると色々疲れてしまう

仕事をしてると、「今日は上司機嫌悪いな」や「あ、急いだ方がいいっぽいな」などと他の人のことを察してしまい、自分のペースというより、他の人の顔色を伺ってしまう。

悪いことではないけど、自分の心が疲れていることに最近気づいた。

昔から、察する能力は高かった。

良い子でいるのが得意だった。

本音とは違う、「模範解答を述べるのが得意」。

良い子を演じて、周りに対していい顔をして、本音よりも建前で生きてしまう。

今でもそう、本音よりも先に、「この人はきっとこういって欲しいんだろうな」っていうのを考えてしまうし、答えてしまう。

でも、生きていく上では本音で語った方が言い訳で、後々苦しむのは自分っていうのは分かっているんだけど、それができない。

本音を言うのが、年々怖くなってる。

生きるのって難しい。

人間をもっと信用できるようになりたい。

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