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イヤフォンなしで歩く

外出するとき、僕はいつもイヤフォンで音楽を聴きながら歩く。
街の雰囲気と合う音楽がかかると、自然と足取りも軽くなる。
まるで映画の中にいるような、そんな気分だ。

しかし先日、イヤフォンの充電を忘れ、仕方なしに音楽抜きで散歩することになった。
「ちゃんと充電しとけば良かったなぁ…」なんて後悔していた。
でも、ふと耳を澄ますと、そこには無数の音があふれていた。

学生のはしゃいだ声。

車のエンジン音。

風が通り抜けるざわめき。

「あれ?世界ってこんなに音にあふれてたっけ?」

驚いた。

その場所に、その場所の音が加わるだけで、視界や匂いまでクリアになる気がした。

そして、一つ気がついた。
多分、今までの僕は、その場所を歩いていたけれど、
その場所に「いる」ことはなかったのだ。

その場所に「いる」というのは、自分の全てをその場に放り投げることだ。
自分を逃げようもなくその場に留めること、それが「いる」ということだ。

イヤフォンで耳を「他のどこか」につなげたままでは、その場に「いる」ことにはならない。
その時自分がいるのは、自分が作り出した「どこでもない場所」だ。
「どこでもない場所」にいるから、まるで映画のように感じていた。つまり、フィクションだからだ。

実は、イヤフォンをしていると、少し安心する。
満員電車の中でも、騒々しい雑踏の中でも、心地の良い場所(音楽)が、逃げ場としてあるからだ。

この前は、そういった逃げ場なしで、小さな不安と一緒に街を歩いた。
そうしたら、ドキドキが次第にワクワクに変わっていった。

この感覚には覚えがあった。小さい頃の気持ちだ。
あの頃は全てが未体験で、世界に対して体全体でぶつかっていた。
それはすごく怖かったけれど、裏腹のワクワクがいつもあった。

大人になると、自分を守るために、逃げる方法をいろいろ覚えた。

もちろん、それは必要なことだし。
僕は必要なら逃げることを強く肯定する人間だ。

でも、イヤフォンを取るような些細なことで、ちょっとだけ冒険ができる。
それは、いつも通りの自分の世界を、少しキラキラさせてくれる。

些細なことで世界は変わるよ。
なんて、歌詞みたいな経験をこの夏にした。

今日も地元の喫茶店でこのnoteを書いている。
もちろんイヤフォンは外したままで。

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。

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