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白樺派と、「きれいごと」の物語

 

 後輩の女の子から、おすすめの小説を聞かれたことがあった。その子は国文科で、近代日本の小説が良いと言われたから、白樺派をおすすめしようと思い、武者小路実篤の「真理先生」を推した。

白樺派「大正デモクラシーなど自由主義の空気を背景に人間の生命を高らかに謳い、理想主義・人道主義・個人主義的な作品を制作した。人間肯定を指向し、自然主義にかわって1910年代の文学の中心となった。1910年(明治43年)刊行の雑誌『白樺』を中心として活動した。」

 白樺派はぼくの読書の原体験で、10歳くらいの時に、父親から志賀直哉の「小僧の神様」を渡されて、夢中で読んだ記憶がある。「真理先生」も大好きな作品で、彼女にも楽しんでもらえたらと思ってお勧めした。
 1週間ほど経って彼女に会って、感想をもらった。残念なことに、「きれいごと過ぎて、『はいはい、わかったわかった』って思ってしまいました」というものだった。
 確かに、白樺派はその性善説的・道徳的な物語から、しばしば「きれいごと」と批判されてきた。ぼくもそれ自体は反対しない。ただ、きれいごとの物語には、重要な役割があると思う。

 それは、「こうあるべきだ、という理想を描くこと」だ。

 できれば、戦争なんてない方がいい。できれば、みんなが他人を思いやっている方がいい。できれば、世界が善意で満ちていればいい。
 多分、上の「できれば」にはほとんどの人が賛同してくれると思う。でも、ほとんどの人が同じセリフを言う。

「でも、そんなのあり得ないよ」

 残念ながらそうだ。いつまでたっても戦争はなくならない。人は他人を犠牲にしても自分の身をかわいがってしまう。世界には、うんざりするほどの悪意が溢れている。
 ただ、それでも、理想を求めることを止めてはいけない。「そんなのあり得ない」とみんなが諦めていても、一人でも優しい人が増えれば、世界はちょっとだけ良くなる。
 白樺派の物語には、「こうあったらいいなぁ」と思わせてくれる力がある。それは、その後の読者の人生にも影響を与えているはずだ。白樺派の読者は、少なくとも、そういった理想を夢見る人間になると思う。
 「理想を抱いて溺死しろ」とある物語のキャラクターは言っていた。別に溺死するほど理想を抱かなくていいと思う。でも、ふとした時に、温かな夢を抱き、それに向けてちょっと進めれば、人生は少しだけ良くなる。
 彼女にも言ったのだけど、作者の武者小路実篤は幸せの中で「真理先生」を書いたわけじゃない。戦後、公職追放で貴族院を追われ、自宅で隠遁生活を送りながら、雑誌に連載した作品だった。戦後の目まぐるしい動乱の中で、現実逃避として書いたのかもしれない。ぼくとしては、動乱の先に平穏と理想を祈って書いたのだと思いたい。
 この記事を読んでくれた人にも、時間があればぜひ白樺派の物語を読んでほしい。最初の一冊としてのおすすめは、武者小路実篤「友情」、志賀直哉「小僧の神様」、有島武郎「生れ出づる悩み」あたりです。

https://www.amazon.co.jp/友情-岩波文庫-武者小路-実篤/dp/4003105044/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1518448416&sr=8-1&keywords=武者小路実篤

https://www.amazon.co.jp/小僧の神様・城の崎にて-新潮文庫-志賀-直哉/dp/4101030057/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1518448656&sr=8-1&keywords=小僧の神様

https://www.amazon.co.jp/小さき者へ・生れ出づる悩み-新潮文庫-有島-武郎/dp/4101042047/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1518448677&sr=8-1&keywords=生れ出づる悩み


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