変態

 午後八時、ブロックで頭を殴られた。ブロックと言ってもLEGOブロックみたいなオモチャじゃなくて、民家の塀とかに使われる、コンクリートブロックだった。
 殴られた時、最初はまさかコンクリートブロックだなんて思わなかったんだけど、というか殴られたのもよくわかんなくて、なんか変な音がして頭がすごく痛いなーなんて思ってたら血がぼたぼた垂れてきて、めちゃくちゃ気持ち悪くなってきて、は? と思って振り返ったらコンクリートブロックを持った幼馴染がすごい顔をして立っていたから、あ、コンクリートブロックで殴られたんだ、と理解して、俺は超びっくりした。
「え! 痛、なに?」
「てめえ、マジで、ふざけんなよ」
 被害者である俺はすごい怒りたかったのに、加害者である長谷川がブチギレていたので、堪えきれずに噴き出した。
「何、めっちゃ怒ってんじゃん、ウケる、こわ。なに」
「笑ってんなよ」
 この長谷川という男とは小学生の頃から付き合いがあるけど、普段あまり喜怒哀楽を表に出さないのだ。それが、人が楽しくテレビを見ている間に背後にブロックを持って忍び寄り、頭に振り下ろすほどにご立腹らしい。これは珍しい、面白いことになる。俺は長谷川の眉毛が吊り上がってるのを見てわははと笑った。長谷川の視線がより鋭くなる。ブチギレじゃん。ウケる。笑うと頭にガンガン響いた。
「あんま笑わせないでくんない? 出血多量で死んじゃうよ俺」
「あーもう死んじまえよお前なんか」
「何、マジで。何そんな怒ってんの?」
「お前、昨日女とホテル行ったろ」
 なんで知ってるんだろう。俺は考えながら額を濡らす血と脂汗を拭った。目に入ってきて沁みるのだ。それよりも割られた頭が尋常じゃないくらい痛かったけど、長谷川がまだ鈍器をしっかり掴んでいるから余計なことは言わないでおこうと思った。
「行ったけど」
 答えると、長谷川はあからさまに傷ついた顔をした。なんだか不憫だった。
「なんで、そういう……ことを、するんだよ」
 長谷川の言語能力が著しく低下した。長谷川は昔から勉強ができて、特に国語なんかは常に5段階評価で5を取っていたはずなのに。
 そういえば俺はいつも2だった。というか体育以外は大体2か3だった。
「そういうことって何? セックスのこと? 何で、俺セックスしちゃいけないの」
「ダメだろ!!!!!!!!!!!!!」
 長谷川が急にデカい声を出したから、俺はビクッとした。狭い1kの部屋に、長谷川の声が反響する。俺は目の前の男が何を言いたいのかわからなくて、困ってしまった。
「何でダメなの」
 言うと、長谷川は宇宙人でも見るような唖然とした顔で俺を見た。ゴン、と音がして、床にブロックが転がっている。おい、床に傷がついちゃったらどうするんだよ。俺は目で訴えたけど、長谷川はそれどころではなさそうな血走った目で俺を見下ろしていた。
「お前、俺のこと好きって言ったじゃん……」
「え、うん。言ったよ」
 そう、言った。二週間くらい前に、長谷川がこれから命綱無しでバンジージャンプすることが決まってるみたいな絶望し切った面で告白してきたのだ。何年も前から好きだったとか、もう胸の内に留めておくのは限界だったとか、重くてだるいことをうだうだと言っていたから、俺も好きだよと教えてやったのだ。そうしたら長谷川は、最初は不安そうに本当かとか気を遣ってないかとか聞いてきたけど、本当だと言い聞かせるとあんまり見たことのない嬉しそうな顔をして笑ったから、俺も嬉しくなった。こいつは昔から何もかもを難しく考えすぎるところがあって、俺はそういうところを常々心配に思っていたのだ。これで安心だなぁなんて思っていた矢先に、やっぱり何か思い詰めたらしくて、俺は頭を割られるに至った。何を間違えたんだろう。
「あれは嘘だったのかよ」
 長谷川が悲しそうに言うから、俺は少し腹が立ってきた。
「嘘なわけねーじゃん! シャレでお前とヤんないよー、俺」
 俺の言葉に、長谷川は狼狽えたようだった。そうだ、俺と長谷川はしっかり体の関係も持ったのだ。ばっこばこにヤったのだ。そうしないと長谷川は俺の言うことを信じないんじゃないかな? と思ったからであり、シンプルに俺も長谷川とヤってみたかったからであった。その後しばらくケツが痛かったけど、俺は文句も言わないで我慢したのだ。なのに、何なんだこの仕打ちは。あんまりだ。
 ちょっとだけ耳を赤くした長谷川が言いづらそうに口を開く。
「じゃあ、何で他の女とヤったの……」
「え。好きだから」
 俺がそう返すと、長谷川はすごく変な顔になった。


 遊ばれたのだと思った。この、元々下半身がだらしのない鷹野という男に、俺の純情を弄ばれたのだと思った。
 俺は、決死の思いで気持ちを伝えたのだ。もう何年も何年も殺して殺して埋めて燃やしてを繰り返してきた好意だった。しかし何度滅多刺しにしようと火葬しようと土葬しようと、より強固になって蘇るのだった。まるでゾンビだ、俺はやがて恐ろしくなってきた。奴への気持ちがいずれ俺を喰い殺すのではないかと思った。自分でも何故かわからないが、自己中心的でわがままで横暴で無神経で調子がいいだけの幼馴染に、俺は病的なまでに恋焦がれているのだった。
 俺は俺の恋心に殺されたくなかったので、下半身のだらしない幼馴染に告白をした。それで、その後大学の屋上からでも飛び降りて死のうと思った。ゾンビに食われる前にちゃんと自分で死のうと思った。俺は頭がおかしくなっていたのかもしれない。
 だから、「えー俺も好きなんだけどー」とクソふざけた返事を聞いた時は、最初こそ信じられなかったものの、本当に嬉しかった。人生において間違いなく一番幸福と言える瞬間だった。今までの全てがこの日のために存在したのだと思った。
 だからこそ許せなかったのだ。平気で俺を裏切ったことも、そういう不貞行為を平気で働ける人間だったということも、俺を失望させるにはじゅうぶんだった。よし、殺そう。と思った。結局女が好きなんじゃないか。俺の好意をからかって遊んでたんじゃないか。ふざけんな、痛い目見せてやる。と、はらわたが煮え繰り返って奴を殴りつけたはずだった。しかし、
「意味がわからない」
 俺はすっかり、戦意喪失していた。
「何がわかんねえの」
「お前は俺が好きなんでしょ」
「えー、はい」
 鷹野は少し恥ずかしそうに肯定した。俺はもうそれを少しも可愛いだなんて思えない。
「でもその子のことも好きなんでしょ」
「うん」
「意味がわからない」
「だから、何が?」
「俺とその女、どっちが好きなの!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
 俺は叫んだ。血まみれの鷹野はびくっと肩を揺らして、訝しげに眉を寄せた。
「え、昼ドラ?」
 昼ドラか否かと言われれば、間違いなく昼ドラだろう。そしてその元凶はお前自身だろう。俺は鷹野の顔をグーで殴った。鷹野は「ぎゃ!」と鳴いて床にびたんと張り付いた。
「痛い……」
「答えろやバカ」
「えーどっちも好きだよ、同じくらい」
 俺は這いつくばっている鷹野の胸ぐらを掴み、もう一度グーで殴った。そうしないと、俺はこの行き場のない怒りと不安に飲み込まれて頭がおかしくなってしまうと思った。
「ふざけんなよ、お前」
「別にふざけてねえよ」
 鷹野の目は、やけに綺麗だった。後ろめたさなど微塵も感じていないというふうに、子供の頃と何ら変わりなくキラキラと光を反射させて輝いていた。
「どっちも好きなんて、ありえない。そんなのおかしい」
「何で? お前のこと好きだったら他の子のこと好きになっちゃいけないの?」
「普通、そうだろ」
「それはお前が考える普通でしょー」
 鷹野はため息をついた。その顔には、いつの間にか鼻血が垂れていた。それを舌で舐め取って、鷹野は続ける。
「じゃあ最初に言っといてって話だよね〜。わかるわけないじゃん」
「言わねえだろ、普通……」
 言いながら俺は、自分がおかしな主張をしているような錯覚に襲われた。鷹野が呆れ切った表情をしていたからだ。聞き分けないない子供を諭すような顔を。
「お前はいつも言葉が少ないんだよね。だからあんま友達もできないんだよ、もっと自分の気持ちを言葉にして伝えていかなきゃダメだと思うよ俺は」
「待って、何で俺が怒られてんの? お前が悪いんだよね?」
「え、俺が悪いの?」
 俺は頭を抱えた。堂々巡りだ。同じ言葉を使って喋っているのに、会話が成立しない。夢の中で、何かから逃げようと必死に走っているのに、全然速度が出なくてその何かに食べられてしまったことがある。その感覚に似ていた。勝手は合っているはずなのに、何かがズレている。気味が悪かった。俺が鷹野の胸ぐらを掴む手が震えているのは、怒りなのかなんなのか、わからなくなってきた。
「お前の言う好きって、なんなの。何で俺だけじゃないの」
「何でって言われても……」
「俺はお前の唯一無二の好きを貰えたと思ってたんだよ。唯一じゃなきゃ……特別じゃないなら好きって言わないでしょ」
「特別だよ、お前は」
「特別が他にもいるなら、そんなの特別じゃない」
 俺はそう言う自分の声が震えているのに気づいて、気づいた時にはもう涙が溢れ出していた。ひどく虚しかった。最初に言って欲しかったなんて、こっちのセリフだ。「俺も好きだけど、この好きって言うのは別に特別な意味での好きじゃなくて、俺の中の好きって感情は色んな人に適用される好きだから特別な好きだとか勘違いしないでね!」と言われていたのならば、ああこいつは頭が少しばかり変なんだなと納得して、こんなに舞い上がったり傷ついたり苦しんだりすることもなかったのに。
「え、泣いてんの」
 鷹野が俺の顔を覗き込んでくる。ぼやける視界の中、彼が心配そうに眉尻を下げるのがわかった。
「ごめんって、泣くなよ」
 鷹野は俺を抱き寄せて、小動物にするように、優しく俺の髪を撫でた。俺はされるがままに、嗚咽を漏らす。こいつは何に対して謝っているのだろう。こいつ自身、それを理解していないのだということが、手に取るようにわかる。
 彼の体温に包まれて、赤子のようにあやされて、俺は少し落ち着きを取り戻した。
「長谷川、大丈夫?」
鷹野が俺の頭を撫でながら、優しく言う。その声がやけに柔らかくて、とてつもなく癇に障ったから、俺は鷹野の顎を下から殴りつけた。鷹野は「ぐぎゃ」といったような下品な悲鳴をあげてまた床に崩れ落ちた。
「ひはい……」
 舌を噛んだのか、床でごろごろとのたうったあと、よくわからない言葉を吐いた。恐らく、痛いと言ったのだろう。口元から血が滴っていた。ガキの頃、ナポリタンを食い散らかした後よくこんな絵面になっていたなあ、と、まだおかしくなかった頃の鷹野の顔を思い浮かべた。いや、もう、あの頃からとっくにおかしかったのかもしれないが。
「お前、なんなんだよ。頭おかしいんじゃねえの」
 俺がぐすぐすと鼻をすすりながらそう絞り出すと、鷹野はアハハと快活に笑った。綺麗に並んだ歯が真っ赤に濡れていて、そういう類の悪魔みたいだった。
「知らない、おかしいかもね。でもお前がおかしいのかもよ」
「うるせえ、異常者」
「嫌いんなった?」
 鷹野が目を細めて言った。俺は考える間もなく、答える。
「なってない」
 その言葉を聞いた鷹野は満足気に笑う。無邪気な子供のような笑顔だった。俺はその顔をすごく好きだと思った。憎たらしかったから、もう一発、今度は鼻を殴った。鈍い音がして、手の甲がじくじくと痛んだ。
「地獄に堕ちろよ」
 鷹野は鼻から血を濁流のように垂れ流しながら、ニヤニヤと笑う。
「別にいいけどー、そしたらお前一人で寂しいでしょ。一緒に落ちてね」
「死ね、マジで、苦しんで死んでくれ」
 苦し紛れに罵倒しつつ、それも悪くないと思った俺も、頭がおかしいのかもしれなかった。


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