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ウィルバー理論解題(その7):ホロンの20原則(9~11)

今回は、ホロンの20原則のうちの9から11を解説する。
9.どのレベルのホロンを消去しても、それより上のホロンはすべて消去され、それより下のホロンは消去されない。
10.ホロン階層は共進化する。
11.ミクロは、深度のあらゆるレベルでマクロと相関的な交換を行う。

9.どのレベルのホロンを消去しても、それより上のホロンはすべて消去され、それより下のホロンは消去されない。

たとえば、もし宇宙のすべての分子を消去したら、自動的に宇宙のすべての細胞および細胞より上の階層のホロン(有機体、動物など)もすべて消去される。一方、宇宙のすべての分子を消去しても、原子と素粒子は残る(消去されない)。このことは、物理的にも、論理的にも、時系列的にも真実である。つまり、高位か低位かの区別は、決して恣意的なものではない。この並べ方は何か特定の価値判断を持ち込んだ結果ではないのだ。
原子と分子は、いかなる細胞の発生の前にも完全にそれ自身で存在していた。言い換えると、原子や分子は、細胞の存在に依存していない。一方、細胞は原子にも分子にも依存している。宇宙のすべての細胞を消去すれば、その後にくるすべてのもの、植物、動物、社会は同じように消去される。しかしその前にくるもの、素粒子、原子、分子、高分子は消去されずに残る。
どのホロンがどのホロンの上位か、下位か、あるいは同レベルだけれども関連し合っているかを判断するとき、この原則が判断基準になる。
ところが、「この世界は連続する階層で成り立っている」とする全体論者のほとんどが、どのホロンがどのホロンの上位か下位か、という判断において間違えている、とウィルバーは言う。言い換えると、深度と幅(スパン)を取り違えているという。つまり、幅が広いものを深度の上位に位置させたり、他のホロンへの依存度が高いものを下位にもってきてしまったりしている、ということだ。

いわゆる「ガイア理論」あるいは「生命の織物」理論の提唱者、つまり「人間を含む地球上の有機体は、ガイアというひとつの巨大な有機体の一部、ちょうど人間にとっての細胞のようなものである」という理論の提唱者は、階層構造における序列の間違いを犯している。もし、人間を含む地球上の有機体がガイアというひとつの巨大な有機体の構成要素(下位ホロン)だとするなら、地球上から人間を含む有機体をすべて消去したら、地球も消滅することになってしまう。
もちろん、地球を消去したら、当然地球上のすべての有機体も消去される。その反面、宇宙全体の原子は消去されない。これは、地球と有機体が同じホロンの上位と下位の関係性ではないことを物語っている。むしろ「違うホロンだが関連している」という関係性である。生物としての人間は、生命システムの全体のネットワークに確かに依存しているが、だからといって、人間は地球の下位ホロンではない。人間と地球は別系統のホロンなのだ。

「ガイア理論」や「生命の織物」「生命の網(ウェブ)」理論を唱える人たちには、こうした別系統のホロンを同一系統として扱ってしまう混乱が多く見受けられる、とウィルバーは言う。量子から全宇宙に至るまでの、存在の入れ子状の連鎖を考えるときに、たいていの理論家が下図のような序列かそのヴァリエーションを提示しているという。(序列は「インテグラル・スピリチュアリティ」より。図は著者が作成)

おかしな階層構造


これを見ると、確かに下位部分、原子-分子-細胞-有機体あたりまでの序列は、「下位を消去すれば上位が消去される」という関係になっているが、上位部分では、家族-共同体-国家あたりのどれを消去しても、種や生態系、およびそれより上位(宇宙を含む)がすべて消去されてしまうことになる。そんなバカな! また、この序列では、最下位である「量子以前の真空」がもっとも幅(スパン)が広く、最上位である「宇宙」がもっとも幅(スパン)が狭いことになってしまう。さらに、これでは発生の時間的序列も混乱している。この序列だと宇宙がすべてのものの最後に発生したことになってしまう。いくら何でも無理があるおかしな階層構造だ。

「ほとんどの理論家が深度と幅(スパン)を取り違えているため、ホリスティックな連続階層を構成するつもりで、結局、退行的なそれを作り出している。それは、深度が増すほどに幅(スパン)の狭くなる存在のピラミッドを滑り下りて、存在論的な最底辺へ私たちを案内してしまうのだ」

進化の構造

ウィルバーはいわば、この世界をこうしたおかしなやり方で統合化することを避けるために、真に統合的な理論を提示しているわけだが、もちろんそれは、たったひとつの「地図」でできることではない。ウィルバーが真の統合理論のために提示している「大きな見取り図(ビッグ・ピクチャー)」は、これから少しずつその全体像を見ていく。まずは、ホロン概念について続けよう。

ガイア理論を唱えるエコロジストのなかには、「人間は地球にとっての癌細胞のようなものだから、絶滅した方が地球全体のためだ」と考える人もいるようだ。確かに、人間が地球環境に対してやっていることを考えるなら、こう言われても仕方がないかもしれない。ただ、ホロンの階層構造を考えるなら、地球上の生命進化は人間を除外するかたちでストップしていた方がよかったか、というと、そうとも限らない。人間が存在することで、生命圏、心圏(そしておそらく神圏)におけるホロンは、より豊かで深いものになっているはずだからだ。ある種の霊長類で進化が止まっていて、人間まで進化しなかったとすると、心圏において人間が有する深層構造はこの世に存在しえなかったことになる。言語を巧みに操り、思考し、深く広くコミュニケーションし、これほど豊かで自由な表現や創造性を発揮する種は地球上に存在しえなかったことになる。これこそが人間という種なのだ。そして、人間という種は、紛れもなく地球上で進化してきたのだ。そういう意味で、地球というドラマの舞台では、物質から神に至るまでの進化の実験が日々行われていると言っても過言ではない。地球という惑星の豊かさは、単に生物が多様であるという点にあるのではない。
それと同時に、人間は心圏におけるさらなる進化の課題を抱えていることも否定できない。人類全体が現在の意識レベルにとどまっているなら、確かに人間同士の殺し合いは絶えず、地球環境を破壊し続けることにもなるだろう。
人間と地球は、別系統のホロン構造体として、同じぐらい豊かで深い下位ホロンを内包した存在として、お互いを認め、尊重しながら連携すべきだろう。もちろん地球は人間にとって大切な「住処」だ。「自宅」を「ゴミ屋敷」のように扱っていいわけがない。
人間の階層的意識構造の問題や、平和をいかにつくるか、地球環境をどうするか、といった問題に関しては、もちろんこれから詳しく取り上げていく。

この原則9は、もうひとつ重要な意味を含んでいる。それは、ホロン階層の深度とホロンの「基本性」「有意性(重要性)」との関係である。
ホロンの基本性が増せば、有意性は減る。逆に、有意性が増せば、基本性は減る。下位ホロンであればあるほど基本性が増し、有意性は減る。上位ホロンであればあるほど基本性が減り、有意性は増す。
原子は、コスモス全体に対して、相対的に基本性が高い。多くのホロンが原子の存在に依存しているからだ。原子なくして、分子も生命体も社会も存在し得ない。その一方で、原子はホロン階層の深度が相対的に低いため、より多くの(より全体的な)ホロンが、原子というホロンの外部に存在することを意味する。つまり、原子は他のホロンを内に含む度合いが低いため、それだけ有意性が低いことになる。
分子は原子の存在に依存しているため、原子は分子より基本的である。一方、分子は原子より深い深度を持つため、原子より有意である(重要度が高い)。
ホロンの深度が深くなると、そのホロンはより全体性が高まる。つまりより多くのホロンを下位構造として包含することになるため、有意性は高くなる。
人間を含めた霊長類というホロンは、相対的に言って極めて基本性が低く、有意性が高い。それだけ多くの下位ホロンを部分として内包している。その分、多くのホロンに依存している。その一方で、コスモスのそれだけ多くの部分が、その存在全体に反映され、それだけ多くのコスモスを意味づけている。
「人間は、ミクロコスモス(小宇宙)である。私たちの中に宇宙が眠っている」といった言い方をよくするが、それは決して間違ってはいない。
もし、人間と地球との折り合いが悪いとすると、それは物質圏や生命圏と心圏との折り合いの悪さだと言うこともできる。「地球が人間にとって住みにくい場所になりつつあるから、宇宙に活路を見いだそう」などとしている場合ではない。

これは後々詳しく見ていくが、人間の意識の進化も、ホロン階層構造を持っている。意識進化が下位の人と上位まで進んでいる人とを比べた場合、何がどう違うかと言えば、下位の人は、同じ対象を見ても、上位の人に比べて部分的にしか見えていない、ということがハッキリ言える。その部分性とは知識の量ではなく、むしろ認識の深さである。深さとはすなわち高さである。上位の人は下位の人が見ている範囲も当然見えている。なぜなら、上位の人の意識は、下位の人の意識レベルを構造として内包し、さらにその総和を超えるものを獲得しているからである。だからこそ、下位の人には見えていないその対象の「深層」まで見えている。さらにより高い視点で見ているために、より広い範囲も見えている。それは、登山の高度が上がれば、より広い景色が視界に入るのに似ている。
だからといって、意識の下位構造は価値が低いということではない。下位構造は上位構造に比べて基本性は高く、有意性は低い。基本性が高いとは、たとえば下位構造に(幼児期トラウマなどの)病理が発生している場合、一般的にその病理は深刻化しやすい。つまり意識構造全体がそれだけ不安定化する。それは意識の下位構造が、意識全体に対してより基本性が高いからだと言えるだろう。つまり意識構造の土台がぐらついている、ということだ。
意識構造のホロンに、この原則9を当てはめるなら、「意識階層のあるレベルを消去すると、それより上位の意識階層はすべて消去され、それより下位の意識階層は消去されずに残る」となる。つまり、意識の階層構造とは、下位から順番に積み重なるかたちで進化するものであるため、途中を省いたり、順番を入れ替えたりできないことを意味する。ブッダ的な意識の人は、ヒットラー的な意識レベルを下位構造として、その存在の基礎にしているのである。
まとめると、意識構造の進化を考えるとき、一般的に下位の人の意識は、上位の人の意識より基本的(下位を基礎として上位が積み重なっている=下位あってこその上位)であり、上位の人の意識は、下位の人の意識より有意性が増している。
このことは、ウィルバー自身の、あらゆる対象に注ぐ視線の深さと高さ、目を行き届かせる範囲の広さを知れば明らかだろう。

『これから見るように、この思考実験(コスモロジーにホロン概念を導入する)を注意深く行なえば、恣意的ではないやり方で、理論家たちの連続階層が本当にホリスティックなのか、それとも単に退行的なのか決めることができる。そして私たち男性と女性とを本当にホリスティックな仕方で宇宙に位置づけるもう一つの(オルタナティブな)「大きな見取り図」(ビッグ・ピクチャー)を描くことができるのである。』

進化の構造

10.ホロン階層は共進化する。

ホロンが孤立して進化することはない。孤立したホロンというものはないからである(場の中に場があり、その中に場があるのみである)。
進化とは、単一のホロンに還元できない何かである。単一の分子、単一の植物、単一の動物が孤立したかたちで進化するわけではない。むしろ、進化はホロンおよびそれと不可分な環境を一単位として起こる。ミクロ進化とマクロ進化は相互に依存している。個体とその環境は相互に進化する。すべてのエイジェンシー(個を保とうとする力)は、常にコミュニオン(適応しようとする力)のなかで発揮される。

「マクロ的な構造はミクロ的な構造の環境となり、その進化に決定的な影響を与える。あるいはそもそもその進化を可能にする。また逆に、ミクロ構造の進化はマクロ構造の形成や進化に決定的な要素となる。」(エリッヒ・ヤンツ)

進化の構造

そもそも、あるホロンは、それの上位ホロンにとっての「要素」であると同時に下位ホロンにとっての「環境」であり得るため、本来は何がマクロで何がミクロなのか、何が個で何が集団なのかを見分けることはそう簡単ではない。
すでに私たちは、あるホロンが環境の変化に抵抗して、ある程度の自律性を発揮することを見てきた。同時に、上位ホロンによってその不確定性(振る舞いの恣意性)をある程度制限(条件づけ)されたり組織化されたりすることも見てきた。
特に、人間の個人と、たとえば国家のような集団との関係を考えると、分子と細胞との関係のような上下関係とはだいぶ様子が異なることがわかる。すべての有機的組織(たとえばアリのコロニーなど)は、その構成要素に対して有機体全体が優先権を持つ。しかし国家とその構成員の場合、その国の体制が民主的であればあるほど、国が国民に奉仕する、全体が部分に対して服従する、という傾向が強くなる。一方、独裁国家になればなるほど、社会が構成員に対して発揮する支配力や強制力は強くなる。もちろんこの支配力や強制力が強くなればなるほど、その社会構造は病理化する。ウィルバーはこう言っている。

「病理的な社会構造の本質とは、社会的ホロンを個体的ホロンに変え、同時にその市民をもっとホリスティックなシステムの単なる構成要素、あるいは全体の織物の単なる糸にしようとする試みにある」

進化の構造

独裁者にとっては、国民が一枚岩になって自分の自由にならないと困るのである。
確かに会社組織は、社員を単なる組織システムの歯車としか見ていないかもしれない。だから機能しなくなったらいつでも交換可能だと・・・。政治家は国民を単なる統計上の数字としか見ていないかもしれない。
それでも、である。それでもやはり、個人と集団という社会的ホロンは、「部分/全体」というホロンの基本的なパターンを保持している。つまり原則6にあるように、個人の意識は国の可能性を定め、国の意識(その国の多数派の意識)は、個人の意識の確率性を定める。

「それ(社会的ホロン)は規則や法則に従う傾向を見せ、発達し、ある程度まで上昇または下降の因果関係によって機能する」

進化の構造

歯車が組み替わることによって、システム全体が大きく変化する場合だってある。
個人のエイジェンシーは、「私は〇○国の国民である」というコミュニオンのなかで発揮されるだろうし、「私は○○国の国民である前に地球市民である」というアイデンティティを獲得する国民が増えていけば、国全体の体制も変化するだろう。
つまり、国と国民は共進化する。

11.ミクロは、深度のあらゆるレベルでマクロと相関的な交換を行う。

ホロンが進化するにつれ、そのホロンが内包する下位階層のホロンは、構造的な組織の同じレベルにあるほかのホロンとの関係のネットワークのなかに存在し、またその存在に依存している。ホロンのそれぞれのレベルは、社会的(マクロ)環境にある同じ深度のホロンと相関的な交換を行うことでその存在を維持している。
簡単に言うと、ある深度(垂直方向の重層性)を持ったホロンを高層ビルにたとえるなら、その高層ビルは、近隣にある高層ビルとの関係において、同一階同士でネットワークを組んでいる、ということだろう。
たとえば、人間というホロン構造体が内包する物質、生命、心の三つのレベルを考えてみよう。

○物理的な身体は、他の物理的な「身体」(重力、物理的なエネルギー、光、水、天候など)との相関的な交換のシステムのなかに存在している。
○人間は、生産と消費という手段を通じて、基本的な物質の交換のための経済のなかに組織された社会労働という手段を通じて、物理的な自己を再生産している。
○人間は、家族や適切な社会環境のなかに組織された感情的-性的な関係を通じて、生物的な自己を再生産する。また、その生物的な存在を他の生命システム(とエコ・システム)の全体のネットワークに依存している。
○人間は、文化的・象徴的な環境との交換を通じて、心的な自己を再生産する。その本質は、他の象徴の交換者との相関的な象徴交換である。この相関関係は、特定の社会の伝統と制度に組み込まれていて、社会自体が文化的レベルで再生産すること、すなわち心圏で自己を再生産することを可能にする。

以上のことをごく単純化して言うなら、「人間は、物理的環境、経済的環境、社会的環境、文化的環境と相関的な交換を行なうことで、自己の物質的、生物的、心的な再生産を行なっている」となるだろう。「肉体を持つ私」「経済活動をする私」「社会の一員としての私」「生態系に組み込まれている私」「文化的な文脈のなかの私」は、常に再生産をくり返している。
ここで言う「再生産」とは、「今日の私は、昨日の私に比べると違う自分になっている」ということだろう。この場合の「違う自分」には、進化も退行も含まれる。
ここで、単純な計算を試みてみよう。
人間というホロンは、物理的環境、経済的環境、社会的環境、文化的環境(他にもあるかもしれないが、ここでは便宜上この4種類)という環境領域のそれぞれにおいて、仮に10段階の進化を遂げるとしよう(この10という数字はもちろん任意)。そうすると、人間ホロンは「4×10」で合計40種類の垂直方向・水平方向それぞれに異なる進化の領域を持っていることになる。もちろんこの40種類は、それぞれに有機的に関連し合い、同時多発的に進化の道を歩んでいる。

「コミュニオン」とは、もともと水平方向に「周りの環境に適応しようとする力」だったことを思い出していただきたい。そして、自律的な力だった「エイジェンシー」は、コミュニオンのなかで発揮される。つまりホロンは「周囲の様子を見ながら、自律的に振る舞う」ということだ。そしてこの場合の「周囲」とは、周りの高層ビルの同じ階に限定される、ということである。つまり、自分というホロンと周りの高層ビルという環境ホロンは、階ごとに異なるネットワークを組んでいるわけだ。物理領域での自己の再生産は物理的環境との関係で、文化的領域での自己の再生産は文化的環境との関係で行われる。たとえば、文化的領域において、自己が進化の方向へ再生産されれば、文化的領域での自己の「階」が一段上へ上がるわけだ。つまり、領域ごとに進化レベルにバラつきが発生する場合がある。このバラつきが様々な弊害をもたらすのだが、それについては後々取り上げる。
そして、もちろんあるレベルでの自己の再生産は、その下のレベルの確率性を定め、その上のレベルの可能性を定める(原則6)。さらに、原則8において、エイジェンシーとコミュニオンの水平方向の引き合いで起こる変化を「変換」と呼び、自己超越と自己分解の垂直方向の引き合いで起こる変化を「変容」と呼んだことを思い出していただきたい。表層構造の変化である「変換」は、深層構造による基本的なガイドラインの範囲内でしか起きない。もちろん上位レベルの深層構造は下位レベルを含んで超えている。したがって、下位レベルは上位レベルの深層構造の何たるかを知らない。ヒットラーはブッダの意識構造の何たるかを知らない。そしてもうひとつ、この4つの力は同時に働いている。変換が変容を準備し、変容は新たな変換を準備する。
物理的領域においても、経済的・社会的・文化的領域においても、近隣のビルという環境の同一階同士とネットワークを組む(コミュニオンを発揮する)かたちで、自己の再生産が行なわれる。それと同時に、あるホロンに「変換」が起きれば、その変化は同一レベルのネットワークに影響を与えるだろうし、あるホロンに「変容」(ひとつ上の階への引っ越し)が起きれば、ひとつ上の階のネットワークにも影響を与えることになる。

ここで注意していただきたいのだが、たとえば人間のようなホロン構造体を高層ビルにたとえると、それぞれの「層(階)」が下から順番に積み上げられている様子はよくわかるが、上位階層が下位階層を「含んで超えている」という様子はわかりにくくなる。
そこで、下図では、高層ビルのイメージと「入れ子」構造のイメージを併記してみせた。これらは同じホラーキーの違う側面をそれぞれ表している。そのうえで、隣のホラーキーとの関係性(すなわち環境)を表している。
くり返すが、ある「階層(ホロン)」は、それより下位のレベルを要素とし、同一レベルとネットワークを組み(コミュニオンの発揮の場とし)、上位のレベルを環境とし、エイジェンシーとコミュニオンの力(変換)と自己超越の力(変容)によって進化する。この高層ビルのイメージで言えば、たとえば5階というホロンは、4階以下を要素とし、5階同士でネットワークを組み、6階以上を環境として進化する。6階以上を環境にしてはいるが、6階以上の深層構造が何たるかを5階は知らない。なぜなら、6階とは、5階以下をすべて足し合わせたものを超えるエイジェンシーを獲得しているからだ。
ここではさらに、同一階のホロン同士のネットワークに物理的・経済的・社会的・文化的領域の4種類の領域を設けている。
これが仮に、人間の意識進化の階層構造を表すホラーキーだったとすると、たとえば「戦争とは何か」「平和とは何か」という認識(各階で並べ替えの対象になる家具)に関して、物理的・経済的・社会的・文化的領域において、5階と6階では認識(転写)に差があり、もちろん6階での認識は5階での認識を含んで超えるものであり、5階での認識は6階での認識を理解できない。そして、5階同士は同じ認識でネットワークを組むことになる。さらに言うなら、あるホロンが5階から6階へ進化するためには、6階以上のホロンを環境とすることがひとつの条件になるだろう。

4領域の同一階層間ネットワーク

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