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シリーズ「新型コロナ」その25:「バイオハザードマップ」の必要性

■日本は今までどのような災害対策をやってきたのか

このシリーズも25回目に至って、私たち庶民にとっては、少々耳の痛い事実を突きつけなければならないようだ。

以下の論考は、名古屋大学地理学教授の岡本耕平氏が2015年に発表した、都市と災害リスクに関するレポートをもとに執筆した。ただし、このレポートでは、感染症の蔓延は考慮されていない。
http://geog.lit.nagoya-u.ac.jp/okamoto/papers/Okamoto(2015).pdf

さて、ここに非常に興味深いグラフがある。
これは、1960年以降の人口集中地区(DID)の面積・人口・人口密度を、それぞれ1960年の値を100として示したものである。不思議なのは、人口密度は緩やかに下がっているにもかかわらず、人口集中地区の面積と人口は上昇し続けている、ということだ。これは何を意味するのだろう。人口集中地区(=市街地)から人が減っている?

DIDの変化

このグラフからは、日本の市街地面積は1960年から90年にかけて3倍以上に拡大したことがわかる。その間、市街地の人口密度は下がっているので、市街地は全体として低密になっていったのだ。
これは、感染症対策にとっては、3密を避けるという観点から、非常に都合がいいように思えるが・・・。

この謎を解き明かそう。
戦前までは、日本は稲作が中心だったため、人口のほとんどは低地にいた。ところが低地は稲作には適しているが、水害には弱い。そこで人々は、低地の中でも若干高い場所、あるいは低地に近接した台地を選んで住んでいた。
その様相が一変するのが、戦後の高度経済成長期である。
市街地が、低い方と高い方の2つの方向に向かって拡大したのだ。
低い方は、後背湿地、旧河道、三角州、干拓地・埋立地へ、高い方は、台地からさらに丘陵地、山地へと拡大した。

低い方が水害に弱いことは、水面の高さと土地の高さを比べてみれば一目瞭然だろう。ところが、たとえば丘陵地に造成された団地に入居しようとするときに、誰が切土や盛土の分布を意識するだろう。盛土、切土、および両者の境界で土地の価格に差があるわけでもない。しかし1978年の宮城沖地震で、盛切の境界部分が特に危険であることが判明した。地震時には、ほんの数メートルの差が明暗を分けるのである。

このように高度経済成長期に拡大した新しい市街地は、それまでは危険なため人が住まなかったか、あるいは開発する技術がなくて住めなかったか、のどちらかの場所であり、前者は水害、後者は土砂災害や地震災害へのリスクを抱えることとなった。

しかしこの時期は国家予算も潤沢だったため、こうして拡大した新市街地を災害から守るために膨大な予算が注ぎ込まれた。
ここに示したグラフは、1960年以降の国の治水治山対策事業費と市街地価格指数(全国平均)の推 移を示しているが、この二つは見事にシンクロしている。
このように、高度経済成長期からバブル経済崩壊後しばらくまで、国や地方の防災関連予算はうなぎ登りに上昇し、治水ダム、砂防ダム、河川改修、護岸、防潮堤などの工事がいたるところで行われた。もちろん、この時点の防災には、感染症の蔓延は想定されていない。

防災費と市街地価の推移

災害リスク無視で乱開発された市街地さえ、地価は右上がりに上昇し、しかも人々は、戸建て・持ち家志向が高まっていたため、もっぱら地価や利便性が居住地選択の基準となっていた。この時期、土地の災害リスクについて語ることはタブーだったのだ。地価や土地の資産価値に影響を与えるからである。したがって行政が「ハザードマップ」のような災害「予測」地図を公表することは、到底できなかった。ハザード情報の公表に抵抗したのは、まずもって当の住民たちだったのだ。
現在の災害リスクは、行政の責任でも何でもなく、バブル経済に浮かされた私たち自身が引き起こしたことなのだ。

ここで、今更ながら確認しておくが、日本列島は複数のプレートが接する、地球上で最も地殻変動が活発な地域に存在している。当然地震・津波が多い。しかも、台風の常襲地であることに加え、多雨な気候と急峻な山並のため、洪水や土砂災害が頻発する。日本は、世界の中で最も自然災害のリスクを抱えた先進国であると言っても過言ではないのだ。
そこへもってきて、このコロナ騒ぎである。島国である日本は、「水際対策が盤石だ」とタカをくくって、感染症対策に関してはほとんどノーマーク、ノープランだったことは否めない。

バブル期の風潮を一変させたのは、1995年の阪神淡路大震災である。この地震で「活断層」に対する認識が一挙に高まった。
阪神淡路大震災以降、様々なハザードマップや防災マップが作成・公表されるようになった。 洪水ハザードマップの場合、 2001年に水防法が改正されて、中小河川に対しても浸水想定区域の指定が義務づけられ、市町村役場もハザードマップの作成を余儀なくされた。
2019年の相次ぐ台風水害によって、このハザードマップと実際の被害地域とが見事に一致したことは、記憶に新しいだろう。

一方、2000年に土砂災害防止法が制定され、防災関係の法律に初めて土地利用規制の概念が持ち込まれた。「特別警戒区域」に指定されると、開発規制や移転勧告もありえる。
とはいえ、活断層上の土地利用規制が真剣に議論されるようになるには、東日本大震災による福島原発事故の発生を待たねばならなかった。

行政によるハザードマップ作成が盛んになった背景には、国や地方の財政逼迫もある。
すでにグラフで示したように、国の治水治山対策事業費は1993年をピークに急減し、近年はピーク時の約3分の1になった。
かつてのように潤沢な予算を使って、災害を腕力で押さえ込むことが難しくなり、ハザード マップ作成のような比較的安価なソフト対策に頼らざるを得なくなったのだ。
その一方で、バブル崩壊以降、地価も防災関連予算も激減しているにもかかわらず、低密な市街地の面積は依然として拡大し続けている。
私たちはもういい加減、バブルの夢から目を覚まさなければならない。

そして2020年、私たちは「水害ハザードマップ」「地震ハザードマップ」に加えて、感染症対策を前提にした「バイオハザードマップ」とも呼ぶべきものを作成する必要に迫られている。水害と地震を想定したハザードマップは、もっぱら地理学的な地図だが、「バイオハザードマップ」は、人の動きを想定した地図にする必要があるだろう。

■これからの「バイオハザードマップ」が満たすべき要件

さて、それでは、岡本氏のレポートを発展させ、「バイオハザードマップ」のあり方を通して、これからのあるべき市街化計画を、ごく大雑把に考えてみたい。

ここでもっとも考慮しなければならないのは、いわゆる「ドーナツ化現象」だろう。
ドーナツ化現象とは、中心市街地の人口が減少し、郊外の人口が増加する人口移動現象のことだ。人口分布図で見ると、中心部がどんどん空洞化している。
人々は、地価の高い中心市街地を避け、郊外に住居を求めるため、通勤・通学時には郊外から中心地へとこぞって人が移動し、帰宅時間には逆方向の移動が発生する。当然公共交通機関では、1時間やそこらの3密状態が毎日発生することとなる。
中心市街地では昼間人口は増えるものの、居住者(夜間人口)が減少し、コミュニティの崩壊などが問題になる。一方郊外においては、都心からの人口流入が急速である場合、それに対応する社会資本整備が追いつかなかったり、無計画な都市化が進むなどの問題が発生する。
郊外に住宅を構えるのは、主に子供がいる生産年齢人口であることから、児童数の増減は、全体の人口増減以上に急激なものとなる。中心部では、児童数の減少による学校の統廃合が加速されると同時に、老年人口の比率の増加がみられ、高齢化が進む。その反面郊外では、子どもの増加による学校施設の不足や待機児童の増加などの問題が発生する。

特に東京、大阪、名古屋の三大都市圏においては、隣接県への急激な人口流出というかたちでの広範囲のドーナツ化が起きている。
一方、大都市圏以外の地方都市においては、居住機能のドーナツ化だけでなく、商業機能のドーナツ化がみられる。すなわち、モータリゼーションの進行に伴い、郊外や国道沿い・バイパス道路への大型店・ショッピングセンターの進出がなお続き、いわゆる中心市街地の「シャッター通り」化に歯止めがかからない。さらに、まとまった土地が必要なことから、公共施設や公立病院なども郊外への移転が進んでおり、中心街のドーナツ化に拍車をかけている。高齢化して車の運転もままならなくなった中心街の住人たちは、医療難民、買い物難民と化していく。
もうひとつ、忘れてならない傾向は、高層団地やタワーマンションなどの乱立で、人の居住区域が、横方向だけでなく、縦方向にも広がっているということだ。
ドーナツ化現象は、どんどん距離が離れ、しかも分散化しているのだ。

こうした市街化の傾向は、感染症対策という観点から見ても、極めて危険な現象だ。ウイークデイの朝夕二回の交通機関内の3密状態は、昼間に中心部に持ち込まれたウイルスなどの病原体が簡単に増殖し、夕方には郊外へと大量に運び出されることを意味する。しかも高齢化している中心街の「医療難民」にとっては、感染による重症化や孤独死のリスクが輪をかけて高まる。
こうしてウイークデイに郊外に持ち込まれた病原体は、ウイークエンドには、ベッドタウン周辺の商業施設や公共施設へと大量に運ばれる。さらに、高層団地やタワーマンションなどは、簡単に縦方向へとクラスター化するだろう。

私たちは、経済発展の夢に浮かされ、感染症の蔓延にとって、どれだけ好都合な街づくりをしてきてしまったのか。
これから先、この状態をもとに戻してはいけない。
これからの市街化計画として、最低限考えなければならないことは、ひとつには、いかに人の移動距離と移動頻度を減らすか、ということ。(※ただし、だからといって、いわゆる「コンパクトシティ政策」が向いているかというと、そうでもない。近場で生活に必要なすべてが揃うような街づくりは、かえって密集化を生み、災害には脆弱になることが、すでに指摘されている。適度な距離を保ちつつ、移動距離と移動頻度の削減を目指す必要があるだろう)
もうひとつは、高齢者や若年齢者の感染リスクをいかに減らし、医療格差をなくすか、ということ。
そして、おそらくもっとも重要なことは、有事の際、年齢や社会的立場や居住区域に関係なく、すべての人が相互扶助できる地理的・社会的・心理的条件をいかに整えるか、ということだろう。言い換えれば、「人的ネットワーク」に則した街づくり、ということだ。


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