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「出版か死か」が行き着く先は

出版か死かという規範

「Publish or Perish」という言葉があります。「出版か死か」とは剣呑ですが、研究者が職を得られるかどうかは業績に依存するため、論文を出版しないと、職を得ることは難しく、研究を続けることができません。研究の世界は、激しい競争に満ちています。そして、研究の世界は早いもの勝ちです。ある事実を明らかにするときに、最初にそれを論文として出版した人しか、栄誉にあずかることはできません。また、「ネガティブリザルト」と呼ばれる、「薬の効果が出なかった」とか「2つの集団に差がなかった」ような結果は、出版されなかったり、評価されなかったりする、といった問題もあります。こうした「ネガティブリザルト」を評価しないことが、さらに一番乗りを目指した競争を加熱させることになっています。研究者の競争が過熱することによる社会の損失は、誤った知識が社会に広まってしまうことです。みんなが業績を競い、十分な数の実験がおこなわれていないまま「たまたま」「ポジティブ」な結果が出た成果を、みんなが「正しい」としてみてしまう可能性があるかもしれないということです。

研究者の出版戦略のシミュレーション

モーガン博士らのグループは、シミュレーション研究によって、採用されている研究者の評価制度が、研究者の戦略や、社会に流通する知識に、どのような影響を及ぼすのかを調べました(註1)。コンピュータの中に、架空の研究者コミュニティを再現し、その行動を観察したのです。各研究者は、あるテーマについて、自分の時間を使って実験をおこないます。ここで、何度実験するかは、各研究者の「戦略」に依存しています。実験後、研究者は、統計解析をおこない、「ポジティブ」な結果か、「ネガティブ」な結果のどちらかが得られます。しかし、自然現象と統計解析の性質上、もし本当は「ポジティブ」な結果が得られるはずの現象でも、ごく小さい確率でですが、「ネガティブ」な結果が得られることもありますし、本当は「ネガティブ」な結果が得られるはずの現象でも、「ポジティブ」な結果が得られることもあります。こうして実験と解析が終わった後は、論文を出版し、次の研究に取り掛かります。研究者がキャリアを終えた後、出版した論文に応じて評価されます。評価が高い研究者ほど、多くの弟子を獲得し、その「戦略」が時代に受け継がれることになります。こうして、世代を重ねた後、研究者の「戦略」がどのように推移していくのかを調べました。

まず、モーガン博士らが注目したのは、先取権の強さ、つまり、二番目以降の人が、どの程度評価されないのかによって、研究者の実験数がどのような影響を受けるのかです。予想通り、一番の人しか評価されないと、先を越された研究者たちの戦略は受け継がれないため、次世代の研究者たちは、より少ない数の実験回数で論文を書くようになります。そして、そうした研究者がさらに成功していく結果、研究者コミュニティ全体として、行われる実験の回数が少なくなっていきます。その結果、上で述べたような「たまたま」「ポジティブ」な結果が出た成果が増え、社会に流通する正しい知識の割合は減っていきます。

過当競争を防ぐため、「ネガティブ」な研究成果も評価することが対策として挙げられることが多くあります。しかしながら、シミュレーション上では、これは有効な解決策にはなりませんでした。どんな成果でも評価されるため、実験の回数を少なくする戦略が有利になってしまいます。

望ましい研究者コミュニティに向けて

著者らは、有効な対策についても議論しています。例えば、事前に実験計画を投稿するなど(註2)、個々の研究にかかる実験以外の時間を増やすことです。そうすることで、実験回数の多寡によって、ひとつの研究プロジェクトにかかる時間が大きく変わらなくなるため、実験の回数を少なくするインセンティブが小さくなります。シミュレーションにより、ある対策が、研究者の行動にどのような影響を及ぼすのか検討することができます。そうすることで、頭で考えただけ考えていたのとは異なる論理的な帰結や、暗黙に仮定していた事柄が明らかになります。

研究者が置かれている環境について、ニュースなどで報道されることも増えてきました。こうした研究者を取り巻く環境は、研究者個人の問題というわけではなく、社会に流通する知識に影響を与える、わたしたちひとりひとりに関係する問題でもあるのです。

(執筆者:tiancun)

註1:Tiokhin, L., Yan, M. & Morgan, T.J.H. Competition for priority harms the reliability of science, but reforms can help. Nat Hum Behav (2021). https://doi.org/10.1038/s41562-020-01040-1

註2:「プレレジストレーション」と呼ばれます。より詳しくは
山田祐樹(2018)「自由を棄てて透明な心理学を掴む」心理学ワールド83号, pp.34−35. https://psych.or.jp/publication/world083/pw15
を参照。


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