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社会転換の分岐点

われわれの生活のなかのいろんな取り決めの多くは、必然ではなく、慣習的に決っています。たとえば、言葉。あるものの名前は、われわれがそう呼ぶと決めたからそう呼んでいるのであって、なにかの必然でそのように決まっているわけではありません。だから、ふたつの言語の間で、同じものを別の名前で呼んだり、同じ発音でも、違う意味になることがあります。このように、社会の中で取り決めとしてあるものを、社会的慣習とよびます。

必然ではないがゆえに、社会的慣習は変化することがあります。古い慣習が、新しい慣習に置き換えられることがあるのです。これを社会的慣習の転換とよびましょう。社会的慣習の転換がおこるには、新しい慣習を奉じる少数派の人数が、ある閾値を超えていなければならない、とする仮説があります。つまり、少数派の人数が、ほんの少し違うだけで、慣習の転換が起こるか起こらないかが決まってしまうというのです。

このことをきちんと確かめるには、同じ条件下で、少数派の人数が違う状況を作り出さなければなりません。しかし、そのような研究のために都合の良い状況は、実社会ではなかなかありません。そこで今日は、実験室内の実験でこれを確かめた研究を紹介します(※)。

25%という分岐点
Centola博士らのグループは、実験室での実験でそのような仮説を確かめようとしました。被験者たちは、20人〜30人でひとつのグループをつくります。グループの数は、全部で10です。毎ラウンド、グループ内でペアをつくります。ペアは、同じ人物の顔の画像を見せられ、それに名前をつけるというゲームを行います。同じ名前をつければそのペアはポイントを獲得し、できなければポイントを失います。ポイントの大小に応じて、最終的に報酬がもらえます。

しばらくすると、グループの中に、見せられた顔にどんな名前をつけるかという「社会的慣習」が生じます。ここからが実験の本番です。いったん「社会的慣習」が確立されると、別の慣習を持っているひとびとが活動を開始します。実は、グループの中にはあらかじめ「サクラ」が紛れ込ませられていたのです。彼らを「少数派」とよびましょう。ひとつのグループにいる「少数派」の人数は、グループによって異なります。たとえば、あるグループでは4人ですが、別のグループでは8人だったりします。あるグループ内の少数派のひとびとは、見せられた顔に対して、それ以前に確立された「社会的慣習」には従わずに、あらかじめ決められていた名前をつけます。

結果はどうなったのでしょうか?導入された少数派の数が25%を超えるかどうかで、グループの運命は大きく異なりました。25%未満のグループ5つでは、少数派のサクラのひとびとがつけようとした名前は、グループ中に広まりませんでした。つまり、社会的慣習の転換は起こりませんでした。しかし、25%以上のグループ5つでは、少数派のひとびとがつけようとした名前が時間とともに他のグループのメンバーにも受け入れられ、ついにはもともとそのグループで確立していた名前よりも頻繁に使われるようになり、多数派を占めるようになりました。社会的慣習の転換が起こったのです。

おわりに
今回紹介した研究が示唆するのは、ほんのちょっとの数の差が、結果として社会の大きな違いを生み出すかもしれないということです。もちろん、分岐点となる25%という数は、今回の実験で観察されたものであり、他の社会的慣習に適用するうえでは慎重にならなければいけません。以前のあんそろぽろじすとの記事「並行世界の成功」で、音楽の人気が、偶然の影響を受けうることを紹介しました。われわれの社会は「ちょっとした差」の効果を、思ったよりも大きく受けてできているのかもしれません。

※ Centola, D., Becker J., Brackbill, D., Baronchelli, A. (2018) Experimental Evidence for Tipping Points in Social Convention. Science 360, 1116−1119

(執筆者:tiancun)


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