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湿地に眠る皮製品

研究のためにしばらくデンマークに滞在しているのですが,家の近くに泥炭湿地があります.沼と草原の中間のようなところで,低温や,酸素が少ない水中環境のために,苔や草が腐らずに堆積し,ずぶずぶと湿った土地がずーっと広がっています.ちょっと歩けそうに見えるところでも,誤って足を踏み入れてしまうと,足首まで埋まって靴がどろどろになります.

ヨーロッパの北西部や,北海道などの寒冷な高緯度地域では泥炭湿地がよく見られるようです.泥炭 (英語ではpeat [ピート] といいます) は,乾かしたあとに燃料として使われたり,燃やした煙でウイスキーに香りをつけるのに使われたりするそうです.(ウイスキーの香りを表す「ピート」という単語,聞いたことありませんか…?)

今回は,そんな泥炭にまつわる研究を紹介します.


泥炭湿地と考古学

泥炭湿地は,考古学的にとても興味深い場所です.酸性・低温で酸素が少なく,コケの成分などが微生物の繁殖をおさえるため,動物やヒトの皮膚や毛などの軟部組織が残りやすいのです*1.そのため,陸上の多くの遺跡に比べて,泥炭湿地では,過去の皮製品などがよく発掘されます.

ただ,そうして発掘された皮製品がなんの動物の皮を原料としていたかについて,正確に調べる方法がこれまでありませんでした.泥炭湿地に埋没した皮は「皮なめし」のような状態になるため,形としての皮は残りますが,DNAは分解されてしまうため,DNA分析には不向きです.顕微鏡などで観察して動物種に特徴的なパターンを探す研究は昔から行なわれていましたが,推定した結果が本当に正しいのかについては議論がつづいていました.

皮製の服や袋の種類によって使われている動物の種類が違ったり,特定の動物の皮が好んで使われていたりすることがわかると,過去のヒトと動物との関わりや,現代とは異なる文化のなかに暮らしていた当時のヒトが動物をどのような視点で捉えていたかを推定できます.


タンパク質の分析

そのような状況で,コペンハーゲン大学の研究グループは,デンマークの泥炭湿地から発掘された11の皮製品について,顕微鏡による形状観察と,質量分析機によるタンパク質の分析をあわせて実施しました*2.

生物は,種によって,体組織を構成するタンパク質が異なっていることがあり,皮製品に存在するタンパク質を分析することで,それがどの動物の皮から作られたのかを明らかにできます.

タンパク質分析の結果,皮製品は,1つがウシ,6つがヒツジ,3つがヤギ,1つがヤギかヒツジと同定されました.顕微鏡による観察では,5サンプルについてはタンパク質分析の結果と同じ種同定ができていましたが,6サンプルについては,同定結果がタンパク質分析の結果と異なっていました.

また,特にウシの皮製品からは,出産前の最後の1ヶ月と出産直後の子牛に特徴的に見られるタンパク質が検出されました.この結果は,この皮製品が特に非常に若い子牛の皮から作れていたことを示唆します.


おわりに

過去の遺跡から発掘された皮製品は,汚れたり分解されていたりするため,見た目だけでは何の動物の皮なのか正確に判定することができない場合がありますが,最新の自然科学的な手法を適用すれば,そうした種判別がより正確に行なえる場合があります.

しかしそれにしても,*1の記事に書いてあるように,泥炭湿地には動物の皮だけでなくヒトのミイラなども埋まっていることがあるようです.湿地のあぜ道を歩くのがちょっと怖いような,若干わくわくしてしまうような,複雑な気分です.

(執筆者: ぬかづき)


*1 泥炭湿地の考古遺物については,以下の記事でもとりあげられています.
湿地に眠る不思議なミイラ|ナショナルジオグラフィック

*2 Brandt LØ, Schmidt AL, Mannering U, Sarret M, Kelstrup CD, Olsen J V, Cappellini E. 2014. Species identification of archaeological skin objects from danish bogs: comparison between mass spectrometry-based peptide sequencing and microscopy-based methods. PLoS ONE 9:e106875.



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