色落ちジーンズを盲信するアメカジ野郎の虚しさ

なぜジーンズはここまでアメカジ野郎を束縛するのか?

世の中には正装からカジュアル、スポーツまであらゆるボトムスがあり、ジーンズはそのうちのただ一つにすぎません。

例えば、ウール、シルクで作られたような正装のパンツなどはクリーニング法や保管方法が確立されています。カジュアルやスポーツ用のボトムスは洗濯機で洗って干せば常に清潔で快適に使用できることが魅力の一つです。物にはそれを合理的に、最大限活用する手入れの方法があり、皆さんはファッションを楽しんでいます。ジーンズ以外は。

アメカジ野郎はジーンズの洗濯に異常なルールを適用し、無駄な手間をかけ、合理性とは全く真逆な無意味な営みを行っています。その悲劇は基本的にジーンズを「洗わない」ことからはじまります。

できるだけ洗わずに履き続けるため、アメカジ野郎のジーンズは不潔そのものです。ジャージを何度も履いて洗わない運動部がいますでしょうか?そんなジャージを想像しただけでも恐ろしい不潔さですが、なぜかジーンズだけは毎回洗う方が不自然だと信じられているのです。

洗剤も「ジーンズ専用」なるものを使います。何度も履き何か月も洗っていない不潔なジーンズを、できるだけソフトな洗剤で洗おうとしています。汚れは落ちるのでしょうか?(そもそも、高価なジーンズ専用洗剤が何でできているのか、本当にジーンズに最適か、普通の洗剤とどう違うのか確かめて納得して使用しているアメカジ野郎がいるのでしょうか?)

なぜアメカジ野郎はこんなにもジーンズが汚れても平気なのかというと、皆さんもご存じの通り「色落ち」のためです。履いたら洗う、洗って履くという当たり前にもほどがある履き方では、アメカジ野郎の納得する「色落ち」が出ないため「洗濯は悪」という狂った価値観がまかり通っているのです。

「ヒゲ」「アタリ」「ハチノス」と言ったただの不均一な色落ちにいちいち名前を付けてうっとりと悦に入り、もともと均一だった濃紺のジーンズを多大な手間と時間をかけてできるだけ不潔に保ち、残るのは他者とのコミュニケーションに欠けた独りよがりのファッションです。

貴方だったら、何か月も洗っていない汗まみれ、垢あみれ、ばい菌まみれのジーンズを履いた人を自宅に招きたいですか?愛車の助手席に座らせたいですか?大切な家族やペットと触れ合わせたいですか?一緒に食事をしたり、レジャーに出かけたりしたいですか?ともに生活をしたいですか?私なら、全てノーです。私なら、意味不明なジーンズの色落ちより周囲の人々の生活を尊重してくれる人が良いです。「そのジーンズを洗ってほしい」と言って、怒らずに洗ってくれる人が良いです。

「好きで履いているんだからいいじゃないか」という意見もあります。しかし、そこにはあまりにも大きく見え見えの落とし穴があります。

なぜ、不潔に履き続けた結果のくっきりとした色落ちは格好良くて、毎回洗濯した結果ののっぺりした色落ちが格好良くないのですか?その理由をはっきり説明できるアメカジ野郎はいますか?

気に入ったジーンズなら大切に履いて毎回洗濯してのっぺりした色を愛せばいいじゃないですか。なぜ汗まみれ垢まみればい菌だらけでヘンな色落ちをしたジーンズを格好良いと思うのですか?

はっきり言いますが、単純に「雑誌でそれが格好いいとされていたから」でしょう。アメカジ野郎が各自、自分の考えをもとにして価値観を持っていれば、世の中にいるアメカジ野郎の数だけ格好いい色落ちがあるはずです。

しかし、世の中がそうなっておらず、アメカジ野郎のほとんどが同じ方向ばかり向いて、不均一な色落ちを有難がり、その為に不潔なジーンズを履いて他者に迷惑をかけることを見ないふりをし続けています。

こういう点からも、アメカジ野郎は自分の頭で考えることができないのです。つまり、「本当に好きで色落ちジーンズを履いているアメカジ野郎はいない」「雑誌など他人の価値観に自分を合わせている」ということは明白です。 

アメカジ野郎は、雑誌やメーカーに刷り込まれた「良い色落ち」「良いジーンズ」を疑うこともなく、それが良いものだと信じています。

世の中にはGETON!やBOONを読まずに育った方々も多くいて、そういう方々はアメカジ野郎のような偏った価値観に人生を狂わされることもなく生活しています。

また、一度はアメカジ的価値観の押し付けに出会ったとしても、自分の頭で物を考えて、いい部分と悪い部分を判断して結論を出すことができた人ならばアメカジ野郎のような狂信状態に陥らずに自らの生活を第一優先にして生活しています。

与えられたチャンスで一度も自分の頭を使うことなく、客観的にみれば全くの無価値の色落ちしたジーンズに過大な価値を妄信しているアメカジ野郎は不潔なジーンズを履いて他者からの評価を下げても、気候に合わない時期にジーンズを履いて不快な思いをしても、いつか理想の色落ちのジーンズが完成すれば全てが救われると信じているのです。余りにも虚しいカルトです。

だから、不潔さによる苦しみも時間の無駄も労力も出費も全てが救いに向けた「楽しい」時間だと思えてしまうのです。アメカジ野郎はこんなに大変で手間がかかって知識も必要な「育てる」行為が無意味だと認めることが怖いのです、自分のやっていることに絶対に意味があると信じるしか道が残されていません。可哀想な存在なのです。

ジーンズメーカーにとっては、ジーンズ以外のボトムスを履く機会を奪い、手間や時間、金を使わせ後に引けなくし、搾取し続けることで思考力を弱らせて「洗わずに履き続けて変な色落ちをしたジーンズは格好いい」と信じ込ませているのです。色落ちジーンズをダサいと指摘する人こそダサいと反撃し、多様な価値観を認めず狭いアメカジ界隈だけでのエコーチェンバーを形成して偏った意見を強めています。

そうしてアメカジ野郎は「それを履いて自分は何をするか」という自己実現からどんどん離れていることにも気付かず、ジーンズを育てることが目的化してしまい、同じようなジーンズを何本も何十本も買うのです。得をするのはメーカーのみです。

哀れな托卵の標的になったアメカジ野郎は今日も自分は良いジーンズを育てている、ジーンズを育てるのは楽しい、そしていつか自分は格好良くなれる、格好良くなったら何かいいことがあるに違いない、と決して報われることのない期待を胸にいだいて不潔極まりないジーンズを履き続けています。

ファッションであれ何であれ、何よりも自己決定を重んじることは人生の最も大切なことです。本当に自分らしく自由に生きている人に、ぱっと見で「自由っぽい」印象を与えてくれるジーンズは必要でしょうか?

彼らアメカジ野郎がジーンズに抱く幻想は、そのまま彼らのコンプレックスの裏返しではないでしょうか。

悲しいことに、衣服は決してコンプレックスを解消してくれません。メジャーリーグの野球帽を被っても野球はちっとも上手くなりません。そんなことより、一日一分でも素振りをすれば必ず野球が上手くなります。

もう一度冷静になって考えて下さい。「ジーンズを育てること」が、そのジーンズの持ち主の何を成長させますか?育ちきったジーンズが何を与えてくれますか?手間も時間も金も社会的評価も捨てて、雑誌やメーカーの言いなりになって育てたジーンズってなんなんでしたっけ。まずそこを疑うことをアメカジ野郎たちに提案したいです。

自分が限られた人生のなかで何をしたいか、真剣に向き合って考えた時、そこに汚いズボンを色落ちさせることの優先順位は何番目ですか。

一つ言えることは、そんな汚いズボンの価値をでっちあげて多くの人に信じ込ませ、搾取を重ねたメーカーやマスコミの力は侮れないということです。

今回もお読み頂きありがとうございます。


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