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真なるものは全体ではないー”ヒューマンカインド”から考える新たな全体

▫️真なるものは全体である?
今まで「真なるものは全体である」という言葉が好きだった。それはヘーゲルが意図した理解とはおそらく異なっている。
ヘーゲルは「個々人の最高の義務は国家の成員であることである」というように、国家という全体=真なるものという。ここには個々人よりも国家(全体)を優先する思想がある。

個人的に「真なるものは全体である」というヘーゲルの言葉を、人にはさまざまな側面や見え方があり、あらゆる事物が多様な側面をもっている、そのすべてを含む広い意味での全体が真である。と考えていた。

▫️部分対象という存在
私が考える「あらゆる事物が多様な側面をもっており、そのすべてを含む広い意味での全体」という一見すると正しそうな全体論が自分のなかで揺らいでいる。

「全体はその諸部分の総和より巨大だ。」この常套句は、世界の共有を徹底的に禁じるもののうちの一つである。p.157

ティモシー・モートン『ヒューマンカインドー人間ならざるものとの連帯』

ティモシー・モートンは、全体はつねにその諸部分の総和より少量であるということを主張する。

①諸部分の総和=全体:1+1=2
②諸部分の総和<全体:1+1=3以上
③諸部分の総和>全体:1+1=2未満

簡単な説明

簡単に具体例を出すと上記のようになる。①は私の考える全体、②がヘーゲル考える全体で、乱暴にいうと③がモートンのいう全体である。諸部分の総和が全体を越えてしまうというのはどういうことだろうか。

私たちには諸々の世界を共有することができる、ということである。私たち人間世界は、それとは別のありとあらゆるたぐいのボロボロで壊れた世界を共有している。クモの世界、トラの世界、バクテリアの世界。ヴィトゲンシュタインは誤っていた。私たちにはライオンを理解することができるー少なくとも、ある程度は。なぜなら、私たちが自分たちの世界をライオンの世界に向けて恩着せがましく拡張しているからではなく、私ちの世界には穴があいているからだー私たちは私たちのことをあまりよく理解していない。p.144-145

ティモシー・モートン『ヒューマンカインドー人間ならざるものとの連帯』

私たちの持つ世界はボロボロで不安定である。なぜなら、人間の持つアクセス様式(考えること、触ること、見ること、聞くことなど)が特権的であるとは言えないからである。人は創造的で動物は創造的ではないか?それをどのように証明するのか。もしくは人間が機械的に物事を実行していないということをどのように証明するのか?
ボロボロで傷つきやすく、首尾一貫しない。この不安定さを捨て去ろうとしてきたのが近代だが、この不安定さゆえに我々は、パッチワークのように世界を共有することができているのである。
そういったボロボロの世界の共有が諸部分の総和である。

▫️なぜ全体は諸部分より少量なのか
例えば、豪雨を全体として考えてみよう。

1時間に80mm以上の雨。 災害が発生するおそれのある雨。

気象庁HPより

豪雨とは、天候の特徴であり1時間に80mm以上の災害が発生するおそれのある雨である。これが豪雨の全体である。これに対する諸部分とは何か。モートンは「鳥にとっての水浴びであり、カエルにとっての産卵の場所であり、私の腕に落ちる雨粒である。」と述べる。
ある特定の定義された全体から派生するたくさんの意味、こぼれ落ちる世界が諸部分である。上部に広がる圧倒的な全体でなく、下部方向に漏れ出していく諸部分の総和。これが、詩のようにあるいは誰かにとっての脱目的的な意味のように広がる全体を越える諸部分である。

▫️沈越すること

全体はつねにその諸部分の総和より少量であるといった具合に全体論を書き直してみるのはどうだろうか。それを「沈越」と呼ぶことにしよう。p.158

ティモシー・モートン『ヒューマンカインドー人間ならざるものとの連帯』

モートンは「全体はつねにその諸部分の総和より少量である」ことを「沈越」という言葉で表している。
これは私にとって目から鱗の概念で「個別な物語をいかにして認めるか」という考えを進めていくうえで中心的な概念となるのではないかと考えている。

経済学は、あなたが楽しいと思うことをいかにして組織化するかに関わる。そしてエコロジカルな政治は、明らかにあなたとは関係のないあらゆるたぐいの楽しさを許容し増強することだけを意味している。p.162

ティモシー・モートン『ヒューマンカインドー人間ならざるものとの連帯』

私とは関係のないあらゆるものが楽しむことができる政治。私以外の誰かが楽しいと思うことを組織化すること。個別の物語を認めていくために、強くて巨大な全体論から沈越的な全体論への移行が必要であると考えられる。

真なるものは全体ではなく、あらゆるものが楽しめるボロボロの世界である。

▫️おわりに
『ヒューマンカインドー人間ならざるものとの連帯』は、3ヶ月ほどかけてゆっくりと精読しているが、素人にはわからない語彙や文章が多く、理解しているとは程遠い状態である。
モートンの思想に興味を持った方は、本書を和訳している篠原雅武氏の記事や他の著書を是非読んでいただきたい。

今後もまた自分なりに理解したことを書いています。

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