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病気、怪我との戦い。そして、ピッチで示した極上の輝き。

こんにちは、コミュニケーションチームの松本です。

今回のnoteは、11月19日(日)開催の本山雅志引退試合「モトフェス」を前に実施中の企画「モット語りつくそう!俺の/私の本山雅志」のスタッフ思い出シリーズとして、私のエピソードを紹介します。


以前のnoteで書いた通り、私は2009-10シーズンの計2年間、地方新聞社の運動部記者として鹿島アントラーズを担当していました。クラブハウスに通って日々の練習を取材し、ホームゲーム、アウェイゲーム、すべての試合を記者席から眺める中、取材対象者だったモトさんは、今思い返しても「華」のある特別な選手でした。

本山雅志と言えば、1999 FIFAワールドユース選手権での活躍に象徴されるように、20代前半頃までは敵陣を切り裂くドリブラーという印象が強かったですが、2009-10シーズン当時のイメージは、言葉で表すなら「献身的な天才」。攻撃的MFながら守備を怠ることなく、ピッチを俯瞰しているかのようなポジショニングでパスをさばき、要所ではドリブル、スルーパス、シュートで違いを生み出す。チーム全体を躍動させるため、メッセージが込められたようなすべてのプレー、フットボールのセンスに、何度もうなったのを覚えています。

同時に、その体は病気や怪我とも戦い、ピッチで見せる姿の裏には多くの苦しみがありました。私にとっての2009-10シーズンは、そんなモトさんの輝きと逆境に触れた2年間でした。

水腎症、椎間板ヘルニアとの戦い

高校2年時に椎間板ヘルニアを患い、痛みと付き合いながら、時に「足がしびれたままプレーしたこともあった」というモトさん。私が担当記者になる2009シーズンの前年、2008シーズンには腰の重い痛みが慢性的に続き、6月のリーグ中断期間中に「水腎症」と診断されました。腎臓で作られた尿がその中に溜まり、腎臓がふくらんで痛みを引き起こし、腎不全発症や手術が必要になることもある病気でした。

腎臓破裂のリスクもあるため、このままだとプロサッカー選手を続けるのは難しい。そんな苦境に直面しながらも、メディアも含め、限られた範囲を除いて病気の事実を隠しながらシーズンを戦い抜き、この時はオフ期間に腎臓の4分の3を除去することで、血管と排尿の機能回復に成功しました。

病気に苦しんだ2009シーズンに続いて90分フル出場こそ減ったものの、開幕からスタメンに名を連ね、リーグ3連覇に貢献。しかし、今度は2010シーズンを迎える前に椎間板ヘルニアを再発症し、宮崎キャンプには帯同せず、2月に手術を行いました。実は、2009シーズン中も「足がしびれて、歩くのもしんどい」という時期があり、その体は満身創痍でした。

全治は約3カ月。リーグ4連覇をかけた2010シーズン、モトさんの戦いはリハビリから始まりました。

復帰戦で見せた圧倒的な存在感

2010年5月16日、リーグ第12節名古屋グランパス戦(豊田スタジアム)で、モトさんはようやくシーズン初のメンバー入りを果たしました。

余談ではありますが、名古屋戦の数日前、一部スポーツ紙などが内田篤人さんのシャルケ04移籍を報じました。クラブからの正式発表は6月上旬まで時間を要しましたが、名古屋戦は南アフリカワールドカップによる中断前最後の試合だったので、結果的に内田さんの移籍前ラストゲーム(本人はメンバー入りしたものの、出場せず)となり、色々な意味で印象に残る試合でした。

67分、2-1の状況から今季初出場したモトさんは、試合の空気を一変させました。出場から2分後にマルキーニョス選手の追加点をアシストすると、その後もモトさんを経由してどんどんパスが回り、背番号10を起点に面白いようにチャンスが生まれました。試合を支配しながら時間を進める中、91分にはゴール前のこぼれ球を拾い、正確なコントロールショットで今季初得点。4-1と大勝したチームの中で、その存在感は際立っていました。

名古屋戦の前、チームには屈辱的なトピックがありました。5月12日に行われたAFCアジアチャンピオンズリーグ(ACL)ラウンド16、浦項スティーラーズ戦で0-1と敗戦。リーグ4連覇と並ぶ目標に据えていたアジアタイトルを早々に逃し、直後の名古屋戦は再出発を図る意味で負けてはいけない一戦でした。そんな試合で、復帰できた喜びをかみしめるように、見ているこちらが楽しくなるようなプレーでチームを勝たせるモトさんの姿は、輝いてすらいました。

ゴールよりも印象的なアシスト

もう一つ、2010シーズンで印象的だったモトさんの試合があります。10月24日のリーグ第27節横浜F・マリノス戦(カシマスタジアム)です。

復帰後も途中出場が多かったモトさんは、この試合が今季初先発。マルキーニョス選手の出場停止に伴い、2トップを採用していたアントラーズでは比較的珍しい、トップ下でのスタメン出場でした。

FWと近い位置を保ちながら、常に相手の嫌がるポジションでボールを受け、チャンスを作る。試合開始からトップ下のお手本のようなプレーを披露し、36分、ゴール中央でボールをもらうと、かかとを使って最前線の興梠慎三選手にパス。トラップから難しい体勢でゴールを決めた興梠選手の能力の高さにも舌を巻きましたが、「そのタイミングでパスを出すのか」と記者同士で思わずうなりました。

さらにその3分後、今度はペナルティエリア外の中央でゴールに背を向けた状態から(小笠原)満男さんのパスを呼び込み、ボールを受ける瞬間、背後にいる興梠選手の位置をチラッと確認すると、スペースへヒールパス。相手DFより早く反応した興梠選手が右足を振り抜き、この日2ゴール目を決めました。

新聞記者は試合が終わると、結果に応じてどんな内容の原稿を書くか会社と調整するのですが、試合終了後、私は会社の上司にこう伝えました。

「原稿のメインは、今季初先発で2アシストの本山でいきます」

この試合は、岩政大樹監督も公式Youtubeでモトさんとの印象に残るゲームの一つに挙げていました。岩政監督の回想には、DF目線だからこそ分かるモトさんのすごみが詰まっており、私はその動画収録には立ち合えなかったのですが、収録後に内容を聞いた時、当時の自分の判断はやはり間違っていなかったと、少し嬉しくなりました。

↓↓モット語りつくそう!俺の/私の本山雅志~第3弾・岩政大樹~↓↓

笑顔あふれるモトフェスに

このnoteを書いている時点で、チームはリーグ戦3試合を残すだけとなりました。タイトルには届かず、ACL出場権を獲得できる2位以内の可能性も消滅しています。フロントスタッフとして、こういう時だからこそ日々の業務にまい進し、同時に、クラブがこれまで大切にしてきた一体感を持って取り組んでいくこと、物事の本質と向き合いながら、すべては勝利のために行動することが改めて必要だと感じています。

現在、アカデミースカウトとして活動するモトさんは、こう言っています。

「選手だった頃の自分は、チームを勝たせる、チームに貢献する選手でいたいと常に思っていました。だから、練習でも決して手を抜くことはないし、日々の積み重ねが大事だ、と。アントラーズのアカデミースカウトになって、やっぱりチームに、クラブにどんな貢献ができるのかを第一に考えていきたいです」

「モトフェス」という引退試合タイトルには、モトさんの引退とこれからのキャリアの成功を祝うとともに、イベントに携わるすべての人に「楽しんで欲しい」という本人の思いが込められています。

笑顔あふれるモトフェスにするため、11月19日の開催日まで、全力で準備を進めていきたいと思います。

それではまた、次回のnoteで。

11月19日にカシマスタジアムで開催する「モトフェス」のチケット購入は「鹿チケ」から

「モトフェス」の特設サイトはこちら


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