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ユカタン半島に伝わる四女神

↓こちらの友人のブログに書いてあった内容が。。。
https://nogi1111.blogspot.com/2019/09/blog-post_26.html?m=1

次に、ここで書こうとしてた内容と被っていたので、

「あぁ~!先を越されたな~!」 

と思いましたが、こういうのはとても嬉しいです。

通低意識というのでしょうか?波長のあう人とは離れていても通じあうものがあります。

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古代から続く女神の信仰は世界中に残ってますが、その殆どが迫害を受け、純粋な形を残しているものは少ないのですが、メキシコのユカタン半島の、マヤの伝統を継ぐ少数民族は、そうした迫害を逃れ古代そのままの女神信仰を細々ながら現代まで伝えています。

特に注目に価することは、女性のための成人の通過儀礼が残っていることで、そこに登場する四人の女神は、その特徴から、世界中で信仰される女神の元型(アーキタイプ)と考えられます。

同時に、四人の女神は女性がその内側に持つパワーの象徴であり、子供の時代を終えたあとの「女」としての人生のそれぞれの時代を表しています。

具体的に、どのような儀式かというと、部族の中で成人を迎えた少女は真夜中に一人で手にした松明の灯りのみを頼りに神殿へ、或いは洞窟の中へ、或いはジャングルの中の指定された場所へ向かうように長老の女性に言い渡されます。

その場所で、その少女は四人の女神に順番に出会います。

実際は、女神に扮した巫女に出会うのですが、事前に何も知らされず、まっ暗闇の中で出会うのですから相当のインパクトがあることでしょう。

一人めの女神はビューティフル・ウーマン。
目が覚めるような美しさの若く官能的な女神です。
世界中の女神の中の処女神の元型で、花嫁に象徴されるような女性の若く美しい時代を表します。

二人めは、マザー・ウーマン。
豊かさを象徴する女神でふくよかで優しげな姿をしています。
地母神や豊穣の女神の原型で女性の母親の時代を表します。

3人めは、ウィズダム・ウーマン。
老賢母の女神で、威厳のある老婆の姿です。
オズの魔法使いや眠り姫の童話に出てくる善良な魔女。
映画『千と千尋の神隠し』にも銭婆という老賢母が出て来ます。
年老いて賢く知恵のあるお祖母さんの時代を表します。

そして最後の4人めはクレイジー・ウーマン。
気の狂った女神。
髪を振り乱し、恐ろしい表情で襲い掛かってきます。
ハワイのペレやインドのカーリーの元型です。
日本の能の舞台で用いられる面が女性のクレイジー・ウーマンの側面をよく表してます。

儀式の中で、少女は4人の女神が自らの人生とパワーを表す『鏡』で有ること、美しい女神も、恐ろしい女神も全て自分の内側に存在することを体験を通して学びます。

女神性というものに対して現代人が抱くイメージは、処女神や地母神、老賢母までは受け入れる事ができると思いますが、全てを破壊しつくすようなクレイジー・ウーマンの暗黒面はなかなか受け入れ難いと思います。

いや、実際にこの儀式を受ける成人を迎えた少数民族の少女たちも最後のクレイジー・ウーマンが髪を振り乱し暗闇の中から襲い掛かってくると、叫び声を上げて命からがら逃げ出すそうです。

生身の人間が自らの全てを受け入れるには、人生の経験を積む時間や真実の自分を受け入れる勇気、経験で育まれた知恵、そういったものが必要で、それこそ一生をかけて学んでいけば良いのだと思います。

しかし、現代の場合はそこかしこに『歪んだ鏡』が仕掛けられ、ほとんどの人は一生のあいだ真の自分自身と向き合うことなく人生の終わりを迎えてしまうというのが問題です。

この傾向は、ここ十数年あまりで世界的に加速している気がします。

少し前までの名女優、オードリー・ヘップバーンやイングリット・バーグマン、カトリーヌ・ドヌーブたちはスクリーンの中で、若く美しい少女から年老いてもカッコイイ老婦人まで、一生をかけて見事に演じきって、「年を重ねることの美しさ」や「自分に自信を持つこと」「ありのままの自分を愛すること」の価値を広めましたが、今はなかなかそういう女優さんは見つからないと思います。

むしろ真逆の価値観、人工的なアンチエイジングで、いかにいつまでも若々しくいられるかが世界的に広められています。

私から見ると、それはヨーロッパの文化的に成熟した価値観が、即物的で安っぽいアメリカ的な価値観に追いやられているように思います。

しかし、永遠の眼から見れば、若さも老いも、生も死も、それぞれ川の流れの一局面を切り取ったようなものです。

情景として写真や絵に写しとることは出来ても、川の下流だけ、あるいは上流だけが単体で存在することはできません。

それは川も人間も同じことで、若い頃だけ、あるいは年老いた頃だけを切り取って「自分」と言うことは本来は意味が無いことです。

こうした話は現実的で夢がないように思えるかも知れませんが、スピリチュアルな観点から見ると、老いと若さ、生と死という二元性の観点から思考を解き放つことが実は『永遠の生命』に近づく第一歩であったりするのです。

クレイジー・ウーマンの意味する死や破壊という行為については、西洋の錬金術の書にも、無垢な赤ん坊を殺害する行為の図が載っていますが、これは再生の前に必要な破壊を意味しています。

こういうことは、何が正しくて間違っているかという二元論に囚われている限り、見えてこない。

西洋の錬金術も、東洋のタントラや仙道、密教が一般には秘密とされたのは、準備が出来てない者には正しく伝える事ができないからです。

さて、四人の女神のエネルギーを理解し、自らの内に受け入れる事は女性ばかりでなく男性にも大いに意味の有ることですが、男性の場合はどうやら1回死んでから蘇る必要があるようです。

錬金術師は、死と再生を乗り越えて両性具有(アンドロギュノス)として生まれ変わる事が知られていますが、「最後の錬金術師」と呼ばれる第二次大戦頃のフランスに実在していたフルカネルリという人物は会ったことのある人物によると
「男にも女にも見えた」
そうです。

彼は数冊の本をこの世に残してますが、そのうちの1冊は、女神の寺院に関連するものです。

この事については長くなりそうなので、またいつか別の記事で書こうと思います。

最後まで友人のブログに被ってしまいましたが。。。(笑)

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