『ダンジョンズ&ドラゴンズ/アウトローたちの誇り』はまさしくアナログゲームの映画である

おはようございます。エニィと申します。

この度、遅ればせながら映画『ダンジョンズ&ドラゴンズ/アウトローたちの誇り』を見てまいりましたのでその感想をここに記します。

多くのネタバレ要素を含むため、注意して閲覧ください。

著者プロフィール

この映画に関しましては、DnDを含むアナログゲーム経験について語る必要があると思いましたので軽く私のプロフィールを説明させていただきます。

私は長くマジック・ザ・ギャザリングというカードゲームを遊んでおり、普段の活動はマジックに関する配信や動画投稿になります。
DnDは昔から興味があったものの、TRPGへの苦手意識から手を出していませんでしたが、マジックとのコラボ、そしてウィザーズ社からの日本語版再販を機に現在数回ですが身内と遊んでおります。

それではここから本編となります。繰り返しになりますがネタバレを含みます。

広大なるフォーゴトン・レルム世界の風景

映画を見て最初に驚くのはその雄大なフォーゴトン・レルムの光景です。

極寒の吹雪が吹きすさぶ監獄から始まり、脱走、そして仲間集めの旅の中で彼の地は様々な姿を見せます。

のどかな農村、活気ある都市、神秘的な森…。

DnDというゲームはRPGの祖として、後継の様々な作品に、特にファンタジー世界という舞台の形成において大きな影響を与えてきました。

映画においても、他作品と重ね合わさる部分がいくつかあります。
たとえばThe Elder Scrollsシリーズ。私はスカイリムが大好きなのですが、死者の眠る墓、吟遊詩人が歌う酒場はこちらも共通のものです。
あるいは女戦士ホルガの元恋人、マーラミンの村は穏やかな緑あふれる場所で、ゼルダの伝説で旅の途中に訪れる村はこんな場所だよなあなんて思ったりもしました。

DnDをやっていなくとも、それが現代における「ファンタジー」のイメージを作り出した一因であるため、どこかで、かつて旅した大地を思い出してしまいます。

その広大で美しい世界が、現代の高度な技術によってまさに現実のものとなって現れ、我々はキャラクターとともにそこを歩く気分に浸れるのです。

現代のゲームは非常にグラフィックが強化され、その世界に入り込むような体験ができるようになりました。
しかし、こと映像に関してはそれに特化した映画という存在は、いまだに一日の長があります。
この、美しく表現されたフォーゴトン・レルムを歩く感覚だけでも、この映画には価値があるといえるでしょう。

「DnD」らしさ

この映画の感想で、「原作を知らなくても楽しめる」という声をよく聞きます。
それは間違いありません。美しいファンタジー世界と胸躍る冒険。
単純に映画として優れています。

では、この映画はわかる人にだけわかる小ネタを仕込んで満足させるだけで、原作を真の意味で再現することをやめ、大衆受けを狙った映画であるかといえばそれは違うでしょう。

この映画、観た人間がDnD世界に興味を持つように、そしてその世界を知った時に最高の納得を得られるように仕掛けられています。

たとえば戦士のホルガ、直接戦闘、めっっっちゃ強くありませんでした?
逆に魔法使いのサイモン、いくら魔法使いでも村人に押さえつけられるのはさすがに弱すぎでしょ~なんて思ったりもしませんでした?

DnDにはアーマークラス(AC)というものがあり、これは回避力のようなものです。
このACより高い出目が出ると攻撃が当たり、逆に言えば出なければ無敵なのです。
ダメージはクラスや能力にかかわらず共通な代わりに、このACで耐久に差をつけているシステムなんです。

公式で映画の登場人物のキャラクターシートが公開されているのですが、それを見るとホルガはスキル込みでAC18。
対してサイモンは12です。
ちなみにAC18はまー当たらないと考えていいでしょう。攻撃判定は基本的に1d20(20面ダイスを一回振る)+能力修正値ですし。
つまり、ホルガはそこらの兵士の攻撃なんてそもそも効いてません。

こういったシステムがかなり自然に作中に落とし込まれており、そしてあえてそれは説明されません。
視聴者が興味を持って調べた時。あるいはセッションを初めてプレイしてこれに気付いた時。
「そういうことだったのか!」の感動は非常に大きなものになるでしょう。

また、私がとても好きなシーンにドルイドのドリックが潜入するシーンがあります。
次々に別の動物へと姿を変え、追手から逃げるこのシーンは多彩なカメラワークをはじめ映像面での美しさもありますが、何よりも彼女が動物に変化する存在であることを強烈に印象付けます。
実際にドルイドは獣に変化できるの力を持っていますし、これでできることって結構多いんですよね。

もう一つ好きなシーンを挙げましょう。
ここそこの杖が初めて登場する橋を渡るシーン。
なんてことないアイテムとしてもらったけどこれマジックアイテムじゃん!は私の卓でもあり、ちょっと思い出して楽しくなっちゃいましたね。

さて、この二つのシーン。視聴者に対してかなり重要な要素の披露となっています。
ドルイドの変身能力、そしてここそこの杖に共通するもの。それは。

様々な可能性を提示してくれる存在だということです。

これはアナログゲームの映画だ

アナログゲーム、とりわけTRPGの大きな魅力の一つに「自由度」があると私は考えています。

コンピューターRPGでは、攻略法は定まっていることが多いです(オープンワールド系などそうでもないものもありますが)。
このダンジョンを攻略するにはこの仕掛けをこういう風に動かして、出てきたボスを倒して…。
そのため、よくあるネタとして「こうやったほうが絶対楽じゃん!」みたいな突っ込みがあったりしますよね。
これは制御しているのが自由意思がないコンピューターである以上仕方のないことです。ゲームそのものに意思決定権はありません。

その点、アナログゲームはそれを仕切っている人、DnDの場合はゲームマスター(GM)ですね。その人が「いいよー」と言えばそれは通るのです。
GMが考えた攻略法があっても、それより面白いこと提案してきたから変更しよう!なんてことだって全然あります。

先ほど、ドルイドの変化、そしてここそこの杖は様々な可能性を提示してくれる存在だと言いました。

ここで「こういうことができそう」という情報を与えられた視聴者は、映画を見ながら「自分だったらこうする」を考えていくことができます。

自分なりの攻略法を考える、その楽しさを味わうことができるんです。

アナログゲームの核であるこの面白さを映画で感じやすいように提示しているのは、この映画がDnDの映画であり、ひいてはアナログゲームの映画であるという強い意志が伝わります。

ヒロインがヒーローに恋しなくたっていい

ここからちょっとポリコレ的な話です。

私はハリウッド映画でよくある主人公の男がミッションをクリアした後、ヒロインとキスシーンをして終わり、という映画が好きではありません。

なんだか、女性がトロフィーであるように見えてしまう上に、ヒロインの様々な魅力が提示され、優れた能力、意志の強さ、好きなものがわかっても、結局それらじゃなくて主人公との恋愛を選んでしまうのか、という失望があります。急に薄っぺらく見えちゃうんですよね。

ここで今作の一応ヒロイン…?として設定されているであろうホルガを見ましょう。
彼女は一人でも戦える強力な戦士です。まあこれは最近珍しくもないですね。「強い女性」を表現することに映画界は注力しているので。
ただ、ホルガはある一人の男を愛し、そのために部族を追われ、男ともうまくいかなかったという過去があり、彼女の目的は自分の部族を見返し、彼とまた暮らすことです。
主人公であるエドガンは信頼していますが、そこに恋愛感情はありません。
エドガンの娘、キーラともとても親密で、まるで母のようですが、おそらく彼女はエドガンと結ばれることはないでしょう。

ホルガはとても強力な女性です。
それは腕っぷしの強さはもちろん、意志の強さにおいてです。
彼女は恋愛なんて興味なかった優秀な女性が共に過ごす中で主人公に惚れて…というような心変わりはしません。
既に愛した男がおり、それを取り戻すために奮戦しているのです。

私は「強い女性」を描くうえで、単純に行動力があったり、自分で戦う女性「だけ」を表現することには反対です。
それは従来「男性的強さ」とされていたものの模倣であり、「強さ」とはそれだけではないはずです。
言い方は悪いですが、ホルガはとても「乙女」です。酒は飲むし口も悪いですが、好きになった男とどうしても一緒にいたいという思いは乙女、と呼ぶにふさわしいでしょう。
では「乙女」には強さはないのか。そんなことはありません。
その一途な思いは強さでなくて何でしょうか。
今一度、女性の強さとは、ということを問いかける一つのきっかけになるキャラクターでしょう。

アウトローの誇り

この映画の副題、アウトローの誇り。
主人公たちのパーティは確かに皆アウトローです。

ちょっとした欲から転げ落ちたエドガン。
愛した男のために部族から追い出されたホルガ。
名門の出身ながらインチキマジックショーで生計を立てていたサイモン。
森に生き、一般的な生活とは外れたドリック。
邪悪な国の生まれという負い目を持つゼンクもそうでしょうか。

どれも普通とは違う。どこか蔑まれながら、それでも生きている人たち。
彼らは偉大な冒険の後もどこかで痛みを抱えて生きていくでしょう。
皆が讃えても、皆が認めても、彼らが完全に救われるなんてことはありません。

自分たちはアウトローだ。社会から外れた人間だ。

その事実はどうやったって変わらない。でも彼らには誇りがある。
アウトローの誇りが。

なにをやったって、生き延びて、目的を達成して見せる。
そんな誇りが。

私もアウトローです。社会不適合者です。
ふてくされて、絶望して、社会に恨みを持って生きています。
でも、この誇りは胸に刺さりました。

100年たとうが1000年たとうが、きっと何者かになって見返してやる。それが私の誇りです。

終わりに

期待度がかなり高い状態で見に行ったので、もしかしたら裏切られるかな、という不安はあったのですが、素晴らしい「DnD」の映画でした。

決まったキャラクターが存在する映画と、自分がキャラクターの一人となるTRPGの食い合わせの悪さを恐れていましたが、作中に仕掛けられた様々な工夫で、魅力的なキャラクターを見ながら、自分でもどう動くか考えてみるという新しい楽しみ方ができて満足です。

最後となりますが、ここまで触れてこなかった大好きなキャラクターへの愛を少し主張して締めようかと思います。では。

うおー!!!!ドリックちゃんかわいい!!!!!
角がかわいいね!!!案外茶目っ気があるところもよかった!!!!
アウルベアもかわいいね!!!!1ドローしていい!?!?!?!?
していい!!!やったー!!!!サルーフの群友も喜んでいるよ!!!!
サイモンとなんだかんだうまくいったりいかなかったりしながら幸せにな!!!!!!

ここまでお読みいただきありがとうございました。

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